出雲神奈備神社・伊怒神社:八雲ニ散ル花 05

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出雲大社から北側に竜山、八雲山、弥山など、聖地とされる山々が連なっていますが、その中でも最も高い峰(536m)をもつ「鼻高山」という山があります。
その鼻高山を遥拝する神社が「出雲神奈備神社」です。

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出雲族には「鼻の長い動物の住む国から来た」と祖先渡来の伝承があるそうです。
つまり、出雲族は古代インドのドラビダ族がシベリアを越え、日本列島へ渡って来たと伝えています。
大分の宇佐神宮の社家であった宇佐公康氏が社家の伝承を本にしてあるそうですが、その中にも、
「サルタ族がシベリア方面から、日本列島に移動漂着した」と記しているそうです。
宇佐神宮といえば「豊王国」いわゆる「邪馬台国」があったところになりますので、その宇佐族は出雲族より昔から日本にいたということにもなります。

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ドラビダ語では「サルタ」を「長鼻」と意味するので、サルタ彦を「鼻高神」と呼ぶそうです。
鼻高山はサルタ彦を祀った神奈備であると云うことです。
サルタ彦は「猿田彦」と字が充てがわれたので、猿面の神と伝えられていますが、実体はインドの像神「ガネーシャ」のことだと云います。
出雲族は父神に「クナト大神」、母神に「幸姫」とし、その子神としてガネーシャである「サルタ彦」を祀ったのです。

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出雲神奈備神社の現在の祭神は、「天乃御中主大神」「天照皇大神」「大己貴神」となっていますが、本来は「サルタ彦」を遥拝するための場所だったようです。
鼻高山から、西の山谷は「神門谷」(ごうどだに)といい、出雲王家の「神門臣家」が住んでいた名残りだと思われます。

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出雲族は幸神三神を子孫繁栄の神として祭祀しましたが、中でもサルタ彦は盗賊や亡霊の侵入を防ぐ村境の峠道や境川の橋の守り神として崇められ、「道の神」と呼ばれていくようになります。

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出雲神奈備神社からほど近いところに、こんもりと杜に囲まれた「伊怒神社」(いぬじんじゃ)があります。

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この辺りは、奈良時代、出雲郡伊努郷(いぬごう)と云い、神門臣家の領地であった場所のようです。

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御祭神は「赤衾伊努意保須美比古佐倭氣命」(あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみこと)と云い、国引き神話の「八束水臣津野命」の子神になります。

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また配祀神に后の「天之甕津日女命」(あめのみかつひめのみこと)を祀っています。
この妻神に似た名前の神に「天津甕星」(あまつみかぼし)がおり、その別名を「天香香背男」(あめのかかせお)と云います。
この二神は、その名の類似性から同族であった可能性が濃厚です。

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天香香背男は、日本書紀の「国譲り神話」において、次のように述べられております。
天神(天照大神)が経津主神・武甕槌神を遣わして、葦原中国(出雲王国)を平定する時の話です。
二柱の神は「天に悪い神がいます。名を天津甕星といいます。またの名は天香香背男です。どうかまずこの神を除いて、それから降って、葦原中国を平げさせて頂きたい」と言いました。
そこで「武葉槌神」(たけはづちのかみ)を遣わし、天香香背男をを征服させました。
武葉槌神は別名を「倭文神」(しとりのかみ)といい、映画「君の名は」で出てくる宮水神社で祀られているというのもこの神です。

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天香香背男の「カカ」とは通説では星神の輝くという意味だろうと解釈されていますが、出雲では「蛇」のことを古語で「カカ」と呼びます。
古代インドでは河の神「ワニ」と森の神「コブラ」を習合させて「ナーガ」という蛇神を創り出しました。
出雲のドラビダ族は、この蛇神を「龍神」としてサイノカミの眷属として祀ってきたと云います。
このことから、天香香背男・天津甕星は出雲族と婚姻関係を結んで、出雲族とは戦争をしたくない天津神の一族であったのだろうと推察します。
また出雲を攻めた総大将として設定されている「武甕槌」も「甕」の字が使われており、子孫とされる「藤原鎌足」も実は出雲王家の血を引いていると富家の伝承は伝えています。
実際に出雲王国を滅ぼしたのは、武甕槌でも藤原氏でもないのですが、記紀の創作にあたり、そのような設定にされたのでしょう。

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境内にはサイノカミが鎮座し、

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とぐろを巻いた藁の蛇が祀られています。

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出雲族は龍を藁で作り、それを木に巻きつけて祭祀してきたそうです。
この木に巻きつけられた龍は、今でも出雲の各神社でよく見かけることがあります。
この木は御神木として「斎の木」(さいのき)と呼ばれるそうです。

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サイノカミの母神「幸姫」は分かれ道である「チマタ」に宿ると云われ、チマタは八方に道が伸びます。
母神は子供・子孫繁栄の中心であるので、幸姫は「八地股姫」(やちまたひめ)とも呼ばれました。
この名前は神龍「ヤマタノオロチ」にも通じているように思います。

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古代出雲王国の歴史は、記紀の製作以来巧みに隠されており、その存在は異説のような扱いを受けていますが、こうして富家の伝承を元に現地を訪ね歩いていると、確かに辻褄の合う史実の片鱗が見えてきました。

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