丹生川上神社(上社・中社・下社)

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奈良県吉野郡には「丹生川上神社」(にうかわかみじんじゃ)という名の神社が3つあります。

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丹生川上神社は古来、祈雨・止雨をはじめとして天変地異や国家・朝廷の大事に際しては臨時祭を行う重要な神社で、本来は1つの神社しか存在しなかったそうです。
しかし次第に衰退し、江戸時代に入った頃には、丹生川上神社の所在すら分からなくなってしまったと云います。

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そんな折、丹生大明神という神社が、丹生川沿いにありました。
そこで、この神社が丹生川上神社だろう、という説が有力になり明治4年(1871年)に認定されます。

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それが今の「下社」となります。
とても荘厳な雰囲気の神社です。
素通りできない何かを感じて、立ち寄ってしまいました。

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境内には「牛石」や

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「蛙石」、

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「産霊石」(むすびいし)など、変わった石が鎮座します。

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さて、丹生川沿いの丹生大明神こそ「丹生川上神社」に違いないという、もっともな意見に異論が出されます。
それは「大日本史」に記載された内容に合わないんじゃないかと。
そこで、吉野川上流にある「高龗神神社」(たかおかみじんじゃ)が、丹生川上神社に相応しいという説が出てきます。
じゃあ仕方ないということで、明治7年(1874年)に高龗神神社を丹生川上神社の奥宮として「上社」に、それまでの丹生川上神社を「下社」に改めました。

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ところが大正になって、今度は高見川流域の「蟻通神社」(ありとおしじんじゃ)が本来の丹生川上神社であるという説がでてきます。
で、また、大正11年(1922年)に蟻通神社が丹生川上神社に認定されました。
しかし、すでに上社と下社が存在しているため、当社は「中社」にしようとなりました。

なんたる打算。
各神社の表記などを見ると、この三社は表向きは手を取り合っているように見えながら、内心複雑な、大人の事情が垣間見れる気がします。

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経緯はともあれ、この「下社」が相当すごい神社だというのは、肌で感じます。
この川沿いから山に向かって、ぐいぐい伸びる本殿への階段は、まさに龍神の威厳を感じさせます。

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あたりの樹勢もよく、

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とても気持ち良い神社でした。

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「上社」にやってきました。

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蟻通神社が「中社」となると、各神社のご祭神を変更するという、奇妙なことが行われました。
「下社」は「高龗神」から「闇龗神」(くらおかみ)へ
「上社」は「罔象女神」(みつはのめのかみ)から「高龗神」へ
「中社」は「雨師明神」(あめしみょうじん)から「罔象女神」に改められました。

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「高龗神」は山の峰の龍神で、
「闇龗神」は谷底に棲む龍神です。
「罔象女神」は、イザナミが死ぬとき生まれた女神で、龍の姿をした水の精でだと言います。

「上」「下」と「中」に相応しいご祭神に変更することによって、三社をひとまとめにしようとしたのでしょうか。
神様って、そんな感じでいいのか!?

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「下社」に対して、「上社」は社殿が新しいからでしょうか、それほど神威を感じることはありませんでした。
しかしこれにも理由がありました。

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「上社」はもともと別のところにあったそうですが、大滝ダムの建設に伴って今の場所に遷座したそうです。
つまり、本来の聖地は水没してしまいました。
遷座にあたっては、旧社殿を解体して移設する計画だったそうですが、先代宮司の希望もあって社殿はすべて新築されたそうです。
なのでピカピカです。
旧社殿は「飛鳥坐神社」に譲られたと云いますが、その社殿の方がよほど神さびています。

やがて旧本殿の下から11世紀末以前のものとみられる石敷きの祭壇が出土したそうです。
今までに発見された最古の神社関連の遺構ということです。
それは現在、拝殿前に復元されていました。

しかし、、「上社」、沈めちゃいけなかったんじゃないのか!?

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境内の一角に、旧社の遥拝所らしき場所がありました。

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残っていたら、素晴らしい聖地だったんでしょうね。
思わず手を合わせてしまいます。

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境内にはご神水が流れていました。

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本殿には旧社地に生えていた樹木の根に、しっかりと抱かれていたという「霊石」が飾ってあります。

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吉野郡の山深い奥地、東吉野村に「中社」がありました。

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側には、確かに龍神でもいそうな「高見川」が流れています。

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丹生川上神社 中社は、敢えて「中社」とは記していません。
それは「当社が丹生川上神社の本家本元である」、という気概の表れからでしょう。

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社伝に因れば、鎮座地は神武天皇が天神の教示によって天神地祇を祀り、戦勝を占った地であり、白鳳4年(675年)に罔象女神を御手濯川(みたらしがわ / 高見川)南岸に奉斎し、その後現在地に遷座したものと伝えます。

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また、「名神本紀」という書には「『人声の聞こえない深山で我を祀れば、天下のために甘雨を降らし霖雨を止めよう』との神託により創祀した」との伝えがあることを記していると云います。

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「続日本紀」には、古来、大和神社の別社とされ、祈止雨の霊験著しい雨師神として、朝廷から重んじられたとあり、「二十二社注式」によると天武天皇によって創祀されたものとされているそうです。

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丹生川上神社は、、水の宗社、水に関わる神社の総本山として、古代より「祈雨」には黒馬(黒=雨雲)を、止雨には白馬(白=白雲)を朝廷が献上し、「水」を祀って、「祈雨・止雨を司る社」として篤い崇敬を集めてきました。

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境内に「清めのお水」と書かれた井戸がありました。
神社裏手の山を地下水源として、水が湧き出ています。

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丹生川上神社と称されるようになった当社の現在の主祭神は「罔象女神」(みづはのめのかみ)、水の全てを司る神様です。
水利系の神、雨の神として信仰されてきました。

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確かにここ境内中には、水の気が溢れているように思えました。

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樹勢も良く、不思議な感覚を覚えます。

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高見川を少し遡ると、素晴らしい聖地があると云うので行ってみます。

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このエメラルドグリーンの澄んだ川を見ているだけで、胸が満たされていきます。

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丹生川上神社中社は、古くは「雨師明神」と称され、江戸時代からは「蟻通明神」とも称されてきました。
真の丹生川上神社が、上・中・下社のどこだったのか、一時は朝廷からの篤い崇敬と隆盛を極めていた当社も、時代の流れとともにそれが何処だったか分からなくなるほど衰退してしまいます。
しかし名を変え、丹生川上神社中社は地元の人たちから、尊い聖地とひっそり崇め続けられてきたのです。

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目的のものが見えてきました。
手前に広がる淵は「夢渕」と呼ばれています。

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鉄橋が見えます。

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渡ります。

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そこから見える小さな太鼓橋のところにあると言います。

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それはやや小ぶりな滝でした。
吉野離宮の東にあるので「東の瀧」と呼ばれているそうです。

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小さいながらも龍神が棲まうに相応しい雰囲気を醸し出しています。
罔象女神坐が宿っていると云うのもうなずける聖地でした。

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