益田岩船:八雲ニ散ル花 74

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橿原市の中心部から車で約10分ほど走らせたところに、謎の巨石があります。

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その巨石は、明日香村や高取町との境界に近い住宅街の中の山中にひっそりあります。

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「益田岩船」(ますだいわふね)と呼ばれるその巨石までは、駐車場から5分ほど、この小山を登って行く必要があります。

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その道は階段から山道になり、

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やがて竹林の中へと続いていきます。

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そして見えて来ました。

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圧倒的な質量の巨岩です。
石の材質は花崗岩。
その大きさは東西約11m、南北約8m、高さ約4.7mあり、重量も800tから900tにのぼると推定されています。

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上部に四角く彫られた二つの穴があり、その用途をめぐっては、古墳、空海が建立した石碑の台石、古代の天文台、ゾロアスター教徒のための拝火台、はたまた宇宙船の部品であるなど、様々な説が打ち出されています。
今尚謎に包まれているこの巨石ですが、富家の伝承に、思いもよらぬ解答が記されていました。

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富家の伝承によると、それは、聖徳太子のモデルとされる「上宮皇子」の叔母にして、後の「推古女帝」とされる「額田部皇后」(ぬかたべこうごう)によって造られたものだそうです。

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額田部皇后は、仏教は「男尊女卑」だと感じ、忌み嫌ったそうです。
それに対し日本古来の「幸ノ神」は、「女尊男尊」であることを知っていました。
そこで皇后は、仏教を禁止し、幸ノ神を奨励しようと考えます。
そのためには、民衆が信仰するためのシンボルが必要です。
皇后は女神の岩「イザナミノ神岩」を造らせました。

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益田岩船が置かれた「貝吹山」は、 当時、一年の元旦に朝日を拝む場所でした。
当時、まだ天照大神という神格は世に誕生していませんでしたが、太陽神が女神であるという信仰はありました。
そこで皇后は、巨大な花崗岩を使って幸ノ神信仰によく見られる女性のシンボルを造らせたのです。

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女神のシンボル、シンボル、そう、これはなんと、なんとも巨大な「女性の性器」だったと云うのです。
びっくり過ぎます。
あまりの壮大さに、その真相を知った時は空いた口が塞がりませんでした。

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つまり四角く彫られた穴は、女性の二つの穴を表しているそうです。
雨の日にはその穴に水が溜まり、両脇の低くなった場所から流れ出るように造られています。

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この円味のある岩の横にあるギザギザの彫り跡は、隠毛を表しているのだそうです。
恐ろしく抽象的であり、無駄にリアルです。
しかし額田部皇后は後世に、この巨岩がこれほど物議を醸し出させるとは、思いもしなかったことでしょう。

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額田部皇后は正月15日に神食を炊き、この神石に供えました。
額田部皇后が率先して神祭りを行ったから、皇后は「豊御食炊屋姫」(とよみけかしきやひめ)と呼ばれました。
皇后はその祭りに、百官を参列させた、と云います。

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18件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    昨日「出雲と大和のあけぼの」を借りましたが、一文に天雅彦は建葉槌を見立てたと考察されてますね。結局、エピソードのみ武内宿儺という事でしょうか?登美健ミカ槌が建葉槌と同一との考察もある様ですが、その母?の沙麻奈姫は出雲臣家(ホヒ?)の出となってますね。

    また、巻末の系図を見て驚いたのは高照姫が田心姫の娘で事代主の姉?になってますね。大国主の娘だと思ってましたが。ただ、2007年の初版なので本題名が変わる前になる前です。

    物部武内彦については五条さんの話しから、彦五瀬の子孫だったら面白いなと思いました。紀伊と熊野も近いですし、物部王家の出自なら波多が八代に移ったのは物部に請われたからなのかなと夢想してます。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      大元出版の本に関しましては、以前も申し上げたブレがあります。それをどう解釈するかは難しいところです。
      私は、より新しい本に先生の最終的な知見が記されていると考え、「あけぼの」よりも「ヤマト政権」の方を採用することにしています。

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    多分、私の理解不足ですね。

    「古事記と柿本人麿」の終わりの方だと思いますが、図書館に返してしまいました。

    古事記では武内宿儺は天若日子とされたと書いてあると思ったのですが。

    また、この本では武内大田根が物部武内彦に変わってますが「上宮太子と法隆寺」ては武内大田根に戻ってます。「大田根」は出雲の姫を娶ってからの名前と解釈していいのでしょうか?また、太田タネヒコと似てるのも不思議ですね。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      『第2次東征軍の物部イクメ王を裏切って、戦いに破れた武内宿祢を、古事記では「天ノ若日子」の名前に変えて、神話を作っている。
      高天原から矢を与えられて、アメノワカヒコは葦原の中ツ国に降りた。』

      確かにありますね。
      また別の本では、健葉槌=天稚彦としていたと思います。
      この二つを結びつけて、下照姫と武内大田根を夫婦とするのは無理があります。
      古事記や日本書紀は、このような突拍子も無い、時代を無視した歴史的事象を組み合わせて創作されている、くらいに考えたら良いのではないでしょうか。

      また、大元出版の本と本の間で、あるいは一冊の本の中でも、呼び名が変わるというのは多く見受けられます。
      これも本の内容を難解にしている理由かと。
      武内大田根は物部の臣下であったとき、物部宿禰武内彦であったと考えたら良いのかと思います。
      宿禰は物部の臣下、臣は出雲王家の姻戚者、彦は王や皇子などの王位継承者につけられるものだと考えています。

      大田田根彦、武内大田根の名前の類似性は以前も、narisawaさんと話題になったことがありました。たまたまなのか、何か隠されたものがあるのか、そう言った名前が流行っていた背景があるのか、なんとも言えないところです。

  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    有難う御座います。少しスッキリしました。17代15世代で考察してみます。

    おっしゃる通り郷戸家の伝承も待ち望んでますが徐福、下照姫、瀬織津姫に関係してくるから難しいのでしょうか?

    下照姫については、最近ニニギの系列との伝承を拝見しました。松田光世氏(伊勢神宮語り部、稗田系?)によると、本当の天孫降臨は古事記の因幡の白兎であると述べてます。ウサギとなっていますが本当は北イスラエルのニニギ王で妹を大国主に嫁がせたとなっており、八上姫に比定されると思います。その娘の下照姫については謎が多く、高照姫と同一との考察もある様です。

    また、口伝本では夫の天若日こを武内臣大田根としている様に思いますが時代が合うのでしょうか?どう思われてますか?

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      ニニギを古事記に照らし合わせるなら、崇神・イニエ王のことになりますね。
      下照姫とは時代も系統も違ってきます。
      稗田系はおそらく、豊家の系統になるでしょうから、白兎との関連を匂わせたいのでしょう。
      確かに高照姫と下照姫を同一に考える向きもありますが、富家伝承では明確に別人であるとなっていますので、私はその説を否定します。
      そこがブレてしまうと、そもそも富家伝承を考察する意味がなくなると思われます。
      大元出版の書籍に、天若日子と武内大田根を同一に扱っている部分があるとは、私は記憶にないのですがどのあたりのことでしょうか。
      確かに、古事記・日本書紀は年代を前後させ、真実を分かりにくくしていますが、両者の時代は合わない気がします。

  4. 不明 のアバター 匿名 より:

    丁寧なコメント有り難う御座います。

    ひとつ尋ねて宜しいですか、出雲口伝を紹介する中で真っ先に苦言を呈されるのがBC660年起源で17代しかいないと言う事です。古代の平均寿命からすると長すぎるし、1代が長すぎるとして偽書だと断定されてしまいます。

    一応、末子相続という事で1代40〜60年と主張してますが合ってますでしょうか?空位期間とか幼児就任とかもありえるかなと思ってめすが自分が検証してもちょっと世代数が少ない様な気がします。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      おっしゃる通り、富家伝承において王国時代の世代数は大きな疑問となります。
      私も伝承を理解するために、王家とそれを取り巻く系図を作成してみましたが、出雲王家の世代数の少なさが疑問でした。
      このことについて富先生に直接尋ねたことがございますが、師は王家17代については、間違いないとのことです。
      それは確か、失われてしまった(持ち去られてしまった)が、富家にあった古文書にも書かれていた、と話されていたように記憶しています。

      富家伝承の美しさは、その限りなく曖昧さの少ない、一貫性と違和感のなさ(整合性)にあります。
      それは日本全国を旅して、確信に変わりました。
      他の古史古伝とは一線を画した美しさが、富家伝承にはあります。
      なので私は、出雲王家17代に関しては、師の言葉を信じることにしています。非常に難しく、未だ解明できていませんが、17代を前提として王国時代を考察していく他ありません。
      あとは希望としては、神門家の口伝ないしは古文書が、世に出てきてほしいということです。

    2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

      横から失礼いたします。
      富家と直接血縁ではないと思って来た者です。(本名に富とつけた親は何故)
      出雲戦争から郷戸家と物部の血を引く家系と口伝されて、東出雲でなく西出雲血筋として6世紀以降は家系図があります。
      西出雲と物部の国境であった出雲市西部と石見の境の地にルーツを持ちます。
      五条様の仰る通り恐ろしいほどに他家から見ても富家伝承にはブレがなく、符合する点があまりに多いのです。
      郷戸家の正式口伝が出るのを断片を持つものとして心待ちにしておりますが、大変ガードが固く当家では神門・郷戸から女系祭祀者を出し、物部名は家督だけを継いで来ております。
      祭祀者ゆえ女子だけの口伝が多く、姉妹すら私に話さない事もあり、神門・郷戸の伝承にさらに奥があるとするなら何処までかと… 私が存命のうちに知ることが出来るのか?と思っているところであります。

      1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

        二つの口伝がすり合わされる日は、いつのことになるのか。

  5. 不明 のアバター 匿名 より:

    「ハウスホールディングス」の考察サイトを見ると大国主?と事代主?が王国の地形を把握する為に益田の岩舟と生石神社を指標としたと考察されている様です。

    岩舟は猿田彦神社と紀伊大島出雲、伊弉諾神宮の交差する所、生石神社と石鎚山天狗岳と八雲山と剣山の交差する所に金刀比羅宮厳魂神社、生石神社と大神神社の間に住吉大社、生石神社と再度山の延長に石上神宮等です。全て出雲系で間違いないですか?

    また、確認メールは登録させて頂きました。宜しくお願いします。

    口伝本について不明なところが多々あるので教えて頂ければうれしいです。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      ご提示された神社が、すべて出雲系かというと、難しいように思います。
      石鎚山天狗岳や剣山は、出雲の匂いはしますが、別の強い影響も感じられます。
      住吉大社は神功皇后ゆかり、石上神宮は物部系とされますが、全く出雲と無関係かというとそうでもありません。
      時代を経てさまざまな家が姻戚関係を結んでおりますので、一概に〇〇系というのも、難しいのではないかと思います。

      考察は自由であり、それぞれの主張を満足させうる状況が、日本の古代遺跡にはあります。真実は一つしかないはずなのですが、さまざまな主張・王朝説が成り立ってしまいます。
      古代史を探求すればするほど、この沼に陥ってしまうのですが、迷わないための命綱が必要であり、それが私の場合は『富家伝承』となります。

      とは言いましても、私も素人のひとりですので、あくまで個人的な知識と見解でよろしければ、『偲フ花』のコメント欄でお尋ねください。
      お答えできる範囲でよろしければ、ご回答させていただきます。

  6. 不明 のアバター 匿名 より:

    すると以下の様な感じの推移となるのでしょうか?

    どこかで岩舟の巨石を見つけ加工しイザナミの神岩として祭祀する→イザナギの神岩を切り出す→イザナギの神岩加工が中断する→出雲大社とイザナギの神岩のラインである岩舟山山頂にイザナミの新岩を移動し向きをイザナギに向ける→イザナギの新岩がある場所にイザナミの神岩に向けて生石神社を創建する→ライン上になる出雲に日置王に神社をたてさせる。

    畝傍山は岩舟山の北みたいでライン上にはないですね。生石神社も推古が創った物でしょうか?

    話は変わりますが、頂いた購読確認メールですが利用規約が英文でよくわかりません。購読費用とかが発生しないなら登録させて頂こうと思ってますが如何なのでしょうか?

    また、登録する事により何が変わるのでしょうか?

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      推古女帝は、イザナギの神岩に手配を、物部守屋に命じました。
      彼がその巨岩を切り出すために目をつけたのが、今の生石神社の場所でした。
      イザナギの神岩があとわずかで切り出される、という時に、守屋は仏教推進派に討たれてしまいます。
      それでイザナギの神岩は完全に切り出されることはなく、そのまま放置されているということのようです。
      なのでおそらく、夫婦の神岩が互いに向き合っている、そのラインの延長線上が出雲である、というのは偶然であろうと思われます。
      ただ、偶然であるからこそ、神秘的だなとも思えます。

      購読に関して、費用は発生しないと思います。
      私はこのブログに、一切の収益性を持たせておりません。
      逆に、登録をしたからといって、特別に変わることもありません。
      WordPress利用者であれば、更新時にメールでお知らせなどが届くはずですが、利用者でなければそうした利点もないのかもしれません。

    2. izume-world のアバター izume-world より:

      横からすみません。17代と少ない理由は年の数えた方もあるのかしら????魏志倭人伝から古代の倭人(この漢字は蔑んでる呼称ですねえ(^_^;))の年齢を研究されてる古田氏は、「古代には一年を二年と勘定する“暦法(年の数え方)”が存在し、これにより“一年に二才”歳をとり、寿命が“二倍”に見える描き方がみられる」とし、これを、『二倍年暦』と命名したとありました。これはもうここを訪れる方にとっては既知の有名な話ではありますが、恐らく稲作ですよね由来は。

      「春耕〜秋収までの稲の神=年神がいる期間を「一年」、秋収〜春耕までの年神がいない期間を次の「一年」と数えたとすれば、「春耕秋収を計りて年紀となす」との意味が明らかになります。そして、十月には収穫を終えて年神が出雲の「大年神」のもとに帰られ「神のいない月・神無月」となり、逆に出雲は年神が集まる「神在月」となったのではないか」←このように考察されてるブログ記事がありました。

      ほんでもって17代。。と考えても合わないんでしょうか。私、とっても年代のズレとかを考えるのが苦手な人なんでわからんのですけど、

      富家伝承が真実の歴史の礎ではないかと私が思ったのは、継体天皇が日本書紀にある応神の5世孫ではない、本当は富家の彦太であった、というくだりから、蘇我氏のことを研究しはじめたら、これはすごく信憑性がありこれは間違いないなと確信に近いものを感じてからです。

      不比等は蘇我氏と尾張氏を徹底的に抹殺したかった、父のやったことに対して正当性をもたせるために、蘇我氏=悪にしたかった。なので、そこを隠すとなるといろんなところに綻びが生じてしまったんでしょうね。もう神功皇后や仲哀天皇や応神のくだりめちゃくちゃですもんね。。

      1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

        17代は17代ですので、二倍年歴は関係なさそうですね。二倍年歴にしたからといって、1代が倍の年数生きるわけではありませんから。
        代数の謎は富家伝承のアキレス腱なのですが、逆にいえばそこに、何か隠された真実があるのかもしれません。

  7. 不明 のアバター 匿名 より:

    池田清則と申します。

    初めてコメントします。

    フェスブックで口伝を紹介してますが考察の機会があり、「たっちゃん」のブログでイザナミの神岩とイザナギの神岩が遠く向かい合っており延長線上が出雲になっていると載ってました。

    よく見てみると出雲大社と日置王の神社がレイラインの先にある様です。また、岩舟の近くに斉明天皇陵があるみたいで、この人も幸の神を信仰したと思いました。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      池田様、コメントありがとうございます。
      なるほど確かに、益田岩船と生石神社の石の宝殿を結んだラインは、出雲方面に伸びることになりますね。
      生石神社のイザナギの神岩は本来、筏で運び出されることになっていましたので、最初から意図されたものかは不明ですが、面白いと思います。

      斉明女帝は男尊の仏教を嫌い、女尊のサイノカミを深く信仰したそうです。

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