岡崎神社:八雲ニ散ル花 番外

投稿日:

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豊国軍の一部は占領軍として稲葉国の伏野に残り、月神の信仰を広めようと考えて宇佐社を建てた。
そこには、兎神が祭られた。後で「イナバの素兎」の神話が作られ、白兎神社の名前になった。

稲葉国の別の所に住み着いた豊国兵もいたらしく、青竜寺では兎神も祭っているという。
豊国兵は京都にも行ったらしく、京都の岡崎神社にもウサギ神が祭られている。もとは月の神だったのが、今では「多産の神」として拝まれている、という。

- 富士林雅樹 著『出雲王国とヤマト政権』より -

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今回の京都旅は、曽良くんを失った悲しみの供養の旅でもありました。
京都市左京区岡崎東天王町に鎮座の岡崎神社(おかざきじんじゃ)は、うさ神が祀られているというので参拝に向かったのです。

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ぶらぶらと哲学の道を歩いていると、

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岡崎神社にほど近い場所に「大豊神社」なるもの発見。

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岡崎神社で「豊」とくれば、大いに気になります。ワクワクが止まらん!

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大豊神社は平安時代初期の887年に、宇多天皇の病気平癒を願って藤原淑子(ふじわらのしゅくし/よしこ)が創建したと伝えられています。

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藤原淑子は平安時代前期の女官で、藤原長良の娘です。宇多天皇の養母となり、後の天皇即位に藤原淑子の力が大きく関わったとされます。

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大豊神社が創建された最初の場所は背後の椿ヶ峰という山中だったそうで、当時は「椿峰山天神」(ちんぽうざんてんじん)と呼ばれていたそうです。
寛仁年間(1017~1021年)に今の所に遷されたとか。
と、豊は関係なし??

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本殿のあるあたりは鬱蒼としていて、少々不気味な雰囲気さえ漂っています。

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当社で特徴的なのが

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狛鳶(こまとび)、

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狛猿、

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狛ねずみなどの末社群の石像です。

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中でも狛ねずみが鎮座する社は大国社で、祭神は大国主命となっています。

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これは大国主がスセリビメとの結婚の許しを得るため、スサノオの館へ訪れた時、火攻めに遭遇した際にねずみが現れて助けてくれた神話に由来するのでしょう。

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あらためて本社本殿を見てみれば、そこには狛蛇の姿が。

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祭神は菅原道真・少彦名命、そして応神天皇となっています。
菅原道真は椿峰山天神に由来するものでしょうが、大国主が末社で少名彦(おそらく事代主)が本社に祀られているのは面白いです。
天神様と言えば今は菅原道真を指しますが、本来は手間天神・事代主をさしていたと、淡路島のたぬきさんに教えていただきました。
道真は事代主の末裔なので、道真信仰と置き換えられていったと。

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それともう一柱、応神天皇です、キター!!
これは竹葉瀬ノ君のことではないでしょうか。

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本来当地には豊系の神社があって、椿峰山天神が遷されて合祀されたのかもしれません。

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さて、岡崎神社にやってきました。

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やあ、曽良くん。

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岡崎神社には狛犬ならぬ狛うさが鎮座していました。

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岡崎神社は別名「東天王」ともいわれ、かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされています。

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境内をよく見てみると、

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うさぎ、

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うさぎ、

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うさぎで溢れています。

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岡崎神社の祭神は「速素盞鳴尊」(はやすさのおのみこと)「奇稲田姫命」くしなだひめのみこと)「三女五男八柱御子神」(やはしらのみこがみ)・・・うさ神関係あらしまへんやんー!!

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創建は延暦13年(794年)。
桓武天皇の平安京遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つとされ、都の東に鎮座するころから東天王と称されるとあります。

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貞観11年(869年)に清和天皇によって、播磨国廣峯から祭神・牛頭天王(速素盞鳴尊)が勧請されたそうです。

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ではなぜ、岡崎神社とうさぎが関係しているのかといえば、この一帯はかつて野うさぎが多く、多産なうさぎは古くから神の使いと考えられていたからだと云います。

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いやいや、野うさぎの生息地なんてどこにでもあります。
ここが特別だったってことではないでしょう。それは野うさぎではなく、野うさ族だったのではないですか?

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境内を見て回ったところ、確かにうさ像はたくさんありますが、それらはどれも新しく近年作られたものばかりです。
古いうさ像を探してみましたが、どこにも見当たりません。

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つまり当社は本来、スサノオやうさ神を祀っていたのではなく、月読の神を祀っていたのではないでしょうか。

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子宝と安産にご利益があるといわれる当社ですが、それはスサノオやうさぎが多産だったからというのではなく、命の誕生と月が深い結びつきがある故にそのような信仰となったのではないかと思われます。

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もちろん古くから月にうさぎが住んでいるという信仰があり、それが月神祭祀族・宇佐族の名の由来となっています。
月神と合わせて、うさぎ神も当地に祀られていたのでしょう。

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本殿の手前にある手水舎には、月を見上げ身体に力を込めた「子授けうさぎ」の像があります。
その姿は月の霊水「変若水」(おちみず)を受け取る宇佐の巫女を表しているような気がしたのでした。

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10件のコメント 追加

  1. シゲちゃん より:

     初めまして!!
    最近僕も神社巡りに興味を持ち始めました!!
     僕の住んでいる場所は四国の山間部なので、結構歴史の深い神社があったりします。
    中には源平合戦と縁のある神社も地元にあるくらいです!(^^)!

    もし良ければ僕のサイトにもお越し下さればと思います♪

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      シゲちゃんさん、ようこそ『偲フ花』へお越しくださいました♪
      実は最近ふらりと香川に寄らせていただいて、神社もいくつか参拝いたしました。うどん屋は知人に勧められた「がもう」さんを数回利用させていただいてます。機会があればつるやさんにも伺いたい。
      四国はとても不思議なところで、最近の僕のお気に入りです。九州からは大分より船でも渡れるので、これからもお邪魔したいと思っています。僕の専門からいうなら、四国は古代出雲族との交流があり、忌部氏や物部氏も移住しています。何より気になっているのは越智族の存在です。彼らは宇佐・豊族(邪馬台国)と姻戚関係にあり、また越智族から派生した三島族は出雲王国に嫁入りしております。世間的にはあまり知られておりませんが、おそらく古代日本の鍵を握る重要な一族です。

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  2. mame58 より:

    ちゃんとそらくんは、CHIRICOさんのこと、神様になって応援していましたね💕

    前回?のブログの松下幸之助さんがお祭りしてあったところ、機会があればぜひお参りしたいと思います😊パナソニック製品の営業やっていました。もちろん猿田彦の神様にもお会いしたいです

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      鈴鹿の椿大神社でしょうか、あそこはとても素敵な神社でした。mameさんは営業マンだったのですね😊
      前にお伝えしたかもしれませんが、椿大神社でいただける夫婦のお守りがとても素敵ですよ♪

      いいね: 1人

      1. mame58 より:

        ありがとうございます。ブログを見直して、名前を覚えなきゃと思っていたところです😊

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  3. Nekonekoneko より:

    岡崎神社は趣のある社ですね。古い建築物では無い。なのに荒い造りでは無い。細工が凝った造りの立派な社に見えます。月読の神を祀った社ですか。速素戔嗚尊と奇稲田姫が祭神…月読の神と素戔嗚尊とは関係があるのでしょうか。天照大神の弟は月読の神だと聞いた事があります。そういえば天照大神と素戔嗚尊は姉と弟と呼ばれた夫婦であった(政略結婚ですが)事も昔の何かの文献に記載されていました。それにしてもうさちゃんいっぱい🐥うさだらけの神社もええでんな🦑可愛い〜💗

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    1. CHIRICO より:

      スサノオは秦国の徐福がモデルで、天照と夫婦ではありません。月読神を祭祀した最も有力な氏族が宇佐族(豊族)で、その中心に豊玉姫がいました。彼女が邪馬台国の卑弥呼とされます。ちなみに天照大神は出雲族が信仰する太陽の女神が古事記でそのように記されました。

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      1. Nekonekoneko より:

        ああ、政略結婚の結末としての悲劇的暴力的離婚劇の末に離婚したんですね、天照と素戔嗚尊が🐥神話の原点は大昔に実在した人物がモデルになった場合がほとんどかもしれません。天照と素戔嗚尊の阿鼻叫喚の夫婦喧嘩がどんな感じだったかはあまり知りたく無い🦑

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  4. CoccoCan より:

    うさぎのおしりが可愛すぎます❤と思ったら、うさぎが一杯w
    うさぎだけではなく、いろんな動物が♪

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      うさぎのしっぽって、僕らの心を惑わすためにだけ存在しているのではないかと疑っています😁

      いいね: 1人

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