【武雄温泉】
徐福が開いた温泉と伝わる場所が、佐賀に2つあります。
龍宮のような門が印象的な武雄温泉がそのひとつです。
武雄温泉から上方へ目を向けると、尖った岩肌が見えます。
標高330mほどの「蓬莱山」です。
秦の始皇帝から不老不死の薬を探すよう言われて日本へやってきた徐福が、薬を求めて歩き回った山と伝わっています。
この岩山には登ることも可能なようですが、見ての通り、相応の危険を伴うようです。
高い山ではありませんが、徐福や一緒に渡来した一族は低山を神聖視しています。
期間限定で、楼門の中に入ることができました。
そこでは面白いものを見ることができます。
天井の四隅に、見事な十二支の「子」・「午」・「卯」・「酉」の透し彫りが施されていました。
武雄温泉を発展させた実業家に「宮原忠直」がいます。
明治初期の鍋島氏家臣の家柄だった宮原は、九州運送業界を牽引する大実業家です。
宮原は、武雄温泉と深い関わりがあり、「武雄温泉を竜宮城にする」という構想を打ち出しました。
このとき建物の設計を発注した先が、日本の近代建築の第一人者、辰野金吾の設計事務所でした。
辰野金吾は佐賀県の唐津出身で、日本銀行本店や東京駅の駅舎など数々の近代建築物を手がけた人物です。
辰野金吾によって龍宮のような楼門と武雄温泉新館は造られました。
この十二支の彫り物の他の8つはどこにあるのでしょうか?
それは意外なところにありました。
残りの透かし彫りは、東京駅丸の内駅舎の八角ドーム天井にありました。
当然、東京駅のこの十二支のレリーフが先に知られており、でも十二支揃っていないのはなぜか、それが長いこと謎だったそうです。
辰野金吾は武雄温泉の設計を依頼受けた時、同時に東京駅の設計も請け負っていたそうです。
宮原は武雄を温泉テーマパークにする構想をもっていたそうで、その規模は今よりさらに大きく、楼門も3つ建てる予定だったと云います。
もしこの構想が実現していたら、十二支はすべて武雄にあったのかもしれません。
辰野が手がけた楼門の完成は大正4年(1915年)。
天平式楼門と呼ばれ、鉄が錆びて木を傷めないよう、釘を1本も使用せず建築されています。
ガラスは、当時の波打ったガラス「むしガラス」が復元されています。
ところで武雄温泉の開湯は1300年以上前と伝わります。
その由来となる人物は、「神功皇后」でした。
皇后が三韓征伐の帰りに立ち寄った時、「西に温泉が沸いていて、その湯に浸かると疲れた兵の回復が早い」というお告げを聞きます。
そこで太刀の柄(つか)で岩を一突きしたら熱いお湯が湧き出てきたと云います。
ゆえに明治より前は武雄温泉を「柄崎(塚崎)温泉」と呼んでいました。
しかし例の徐福が岩山の蓬莱山に登り、その疲れを武雄温泉で癒したとも伝わっています。
徐福は神功皇后よりも古い時代の人なので、この二つの伝承の辻褄が合いません。
まあ、そのくらい昔から湯が沸いていたということなのでしょう。
楼門から見える新館も辰野金吾の設計で、今は資料館となっています。
敷地内には「元湯」「蓬莱湯」「鷺乃湯」の3軒の共同浴場があり、鍋島氏専用の浴場であった施設が「殿様湯」「家老湯」の貸切風呂として入浴できます。
武雄温泉を世に広めたのは天下人「豊臣秀吉」でした。
1592年(天正20年)の、「文禄・慶長の役」で16万の大軍を朝鮮半島に送り込んだ秀吉でしたが、その際、負傷した兵士の疲れを癒す場として武雄温泉に目をつけたようです。
更にはこの他にも、伊達政宗や吉田松陰、宮本武蔵、伊能忠敬、シーボルトといった偉人たちが立ち寄ったという記録が残っているそうです。
武雄温泉の泉質はアルカリ性単純温泉は透明で無臭、柔らかく「美人の湯」として人気です。
新館に入ると、一階は左右に男女大浴場になっています。
当時大変貴重だった、マジョリカタイルや陶板デザインタイルといった珍しい資材をふんだんに使っています。
レトロ感たっぷりの内装は、一見の価値があります。
二階には休憩用の和室が5室あったといいます。
そこは当時の賑わいがそのまま残っているようでした。
どこか懐かしい感じの古い建物は、ジブリアニメの「千と千尋の神隠し」を彷彿とさせます。
武雄温泉はロマンあふれる温泉施設でした。
【古湯温泉】
徐福由来の温泉で有名な場所といえば、ぬる湯で有名な「古湯温泉」があります。
開湯伝説によれば、2200年前に秦の始皇帝の命令で、日本に不老長寿の薬を探しに来た徐福が発見したとされています。
古湯温泉は、佐賀県佐賀市富士町(旧国肥前国)にある温泉で、嘉瀬川と貝野川の合流部付近に十数軒の温泉宿が軒を連ねます。
泉質はアルカリ性単純泉で母胎の羊水温度に近い38℃~40℃のぬる湯です。
古くから湯治場として知られ、斎藤茂吉、青木繁、郭沫若らの文人墨客も多く訪れたと云います。
その一角に、古湯権現として徐福が祀られる祠があるというので行ってみました。
古湯権現公園という小高い山の展望所付近にあるそうです。
わりときつい石段を登りましたが、
その先は藪と化していて、これ以上進むのは断念してしまいました。
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