基地問題でお騒がせの普天間に、その基地に隣接するように鎮座するのが琉球八社のひとつ「普天間宮」(ふてんまぐう)です。
一見どこにでもあるような神社ですが、普天間宮の本殿奥には天然の洞窟があり、そこに奥社が設けられています。
元は、普天満宮洞穴に琉球古神道神を祀った神社だったそうですが、尚金福王から尚泰久王の時代(1450~60年)に熊野権現を合祀し、今では後者の方が第一祭神として記されています。
この由緒が正しいなら、僕が想像していたよりも、琉球の宗教観に大和の宗教が融合した時期は早いのだと気付かされました。
ちなみに、普天満宮は熊野那智、末吉宮が熊野新宮、識名宮が熊野本宮にあたるそうです。
普天間宮は一般には、そのように表記されますが、社内の扁額や由緒では「普天満宮」と記されています。
これは菅原道真と関連があるのか、と思いましたが、天満宮とは特別関係がないようです。
さて、先にも記させていただきましたように、当社殿の奥には「普天満宮洞穴」と呼ばれる聖なる鍾乳洞が存在しています。
その洞穴は一般公開されており、しかも無料で拝観できます。
御守授与所で巫女さんに受付をお願いすると、鍾乳洞へ案内していただけます。
ただ、撮影は禁止となっていました。
かつてはこころよく撮影できていたようで、検索するとその画像を多数見ることができます。
最近このような、かつてはOKだった場所で撮影禁止になったケースをよく見かけますが、フォトブームによって迷惑を考えない撮影スタイルが増えたためと考えられます。
改めて、我が身の振りを考えさせられるところです。
しかしながら、web上に見られる過去に撮影された洞穴の写真は、腕に覚えのある方々の写真でしょうが、それでも生の目で見た威容を伝え切れているようには感じませんでした。
やはりこの洞穴ばかりは、実際に訪れて拝観した方が良いと思います。
身震いするような世界が、そこにありました。
この普天満宮洞穴には、二つの伝説があります。
ひとつは『普天間仙人の伝説』と呼ばれるものです。
昔、中城間切谷屋村に貧しくも信心深い百姓夫婦が住んでいましたが、ある年の凶作で困り果てていました。
妻がいつものように普天満宮へお参りに行くと一人の老人が現われ、
「大切な品を少しだけ預かってくれ」
と渡され、老人はそのまま姿を消してしまいました。
仕方なく、妻はその品を家に持ち帰り、大切に保管していましたが、ある晩、夢にその老人が現われて言います。
「我は熊野権現なり。汝等は善にしてその品を授けるものなり」と。
不思議に思った妻がその品物を開けて見ると、中には黄金が入っていたということです。
この老人=仙人が、「熊野権現」であり、当社の祭神に習合された所以と云われています。
もう一つは、『女神の伝説』です。
その昔、首里桃源に世にも美しい乙女がおり、島中に評判となっていましたが、乙女は他人に顔を見られることを嫌がり、人前に姿を見せませんでした。
ある時乙女が家でまどろんでいると、父と兄が溺れている夢をみました。
乙女は急いで片手で兄を助け、もう一方の手を父に伸ばそうとしますが、その時部屋に入ってきた母に起こされ、夢から覚めてしまいます。
その後、父と兄が遭難したという知らせがあり、兄は奇跡的に生還しましたが、父は戻らなかったということです。
またある時、乙女の妹の夫は、義姉が美人であるという話を聞いて、どうしても義姉の顔が見てみたいと妹に懇願しました。
はじめのうちは断っていたが妹でしたが、何度も頼む夫に、ついに根負けしてしまいます。
妹は姉を庭に連れ出し、こっそり夫に覗かせようとします。
しかし、姉は夫に気がつき、驚いて家を飛び出し、末吉の森を抜け、神々しい神の姿となって普天満の洞穴に籠もってしまいました。
この話を聞いた人々は、洞穴に消えた姉を女神として祀るようになったと云うことです。
この女神が「普天間女神」の「グジー神」であると伝えられています。