舳先が水を切る音、風を受ける帆の音、
波に揺れる船上で碧い海の彼方を見つめている私。
ここは、そう知っている、あの真備とか言う男の船の上。
遥かな時の先で、私は霧散したと思ったが、それも夢だったのか記憶は曖昧だ。
ともかくも、今の私は少女の姿をしてここにいる。
人は侮れぬ。
あれほどの妖力を有していた私を、よもや討ち滅ぼそうとは。
今は力も尽き、憐れな少女の身となった。
そう、それで和国に行き、身を癒そうと、この人の良さそうな男の船に忍び込んだのだ。
真備は私の思った通りの、馬鹿がつくほどのお人好し。
船底に隠れていた私はすぐに見つかってしまったが、憐れに思ったか、彼は警戒することもなく、このいたいけな少女に衣服と食事、そして船内での自由を与えた。
お馬鹿なこと。
しかし、この男のそんなところが、私には心地よい。
これまでの男は欲にまみれて欲をぶつけてきたから、私も欲を喰らってやったのだ。
いわば私は、人の強欲を映した鏡のようなもの。
なのに、自分の旅した出来事や和国の事ばかりを、屈託のない笑顔で私に話してくるこの男ときたら。
でも、この男のそんなところが、私にはなんとも心地よいのだ。
少なからず、真備は私を気にかけてくれている。
大和に着けば、未練なく立ち去ろうと決めていたが、
そうだ、この男にそのまま付き添い、夫婦となって生涯を添い遂げる、そんな選択肢もあったのだ。
わかっておる。
これは私の命の残滓が見せる、今際の際のうたかたの夢。
今となっては儚い夢物語。
船の行き着く先は、何もない、無常の世界。
だが、なぜこんなに私の胸はときめいているのか。
水面に差し込む光の先で、あの男が待っていてくれているように思えてしまうのだ。
そうあの笑顔をうかべて、大きな手を差し伸べながら。
九尾の狐の洒落たアクセサリーが無いか探していたら、こんなものを見つけました。
とても小さいのに、丁寧に作られたペンダントトップです。
顔まわりも本当に丁寧に作り込まれていて気に入りました。
ついでに娘にもうさぎのやつを。
顔も可愛い。
「林檎屋」さんの商品でした。
さて、栃木県大田原市蜂巣、かつて「黒羽」と呼ばれたそこに、「玉藻稲荷神社」があります。
ひと気もなく、杜の中にひっそりと佇む神社。
「もののふの 矢並つくらふ 小手の上に 霰たばしる 那須の篠原」
建久4年(1193年)、源頼朝が那須遊猟のとき、当社に参拝したという言い伝えもあり、
「秣(まぐさ)おふ 人を枝折の 夏野かな」
松尾芭蕉も黒羽を訪れ、玉藻稲荷へ寄って句会を開いたと伝えられています。
鳥居で一礼すると、
かすかに陽が射してきました。
御祭神は「宇迦之御魂神」(うかのみたまのかみ/倉稲魂命)と「九尾の狐」、そう「玉藻前」です。
由緒によると、
「昔、狐の化身でありながらもその麗美な姿のため、帝に寵愛された「玉藻の前」という美女がいたという。しかし、帝が病気の際、その時の祈祷で正体を現し、当地に逃げ込こんだ」
と記されています。
三浦介義明が九尾を追跡しますが、途中姿を見失います。
そこで当地の池のほとりに立って辺りを見渡すと、伸びた桜の木の枝に留まっている蝉の姿に化けた九尾の姿が池に映っていました。
これがその池、「鏡が池」です。
残念なことに、この日池の水は枯れていました。
九尾の姿を捉えた三浦介は、難なくこれを狩ったと言い伝えられます。
「鏡が池」の横には、「狐塚」の霊を移したという祠があります。
ガチャで見たことのあるフィギュアが置かれていました。
九尾・玉藻前伝説は、もちろん創作話でありますが、リアルな伝承地が多数あり、どことなく真実味を帯びていると感じました。
またそれは、宮中争いに巻き込まれた、憐れな女性の話であるという解釈も、中にはあるようです。
玉藻稲荷神社は訪ねてみると、最初は少し怖い印象もありましたが、後には彼女の安らかな残滓のようなものが、心の隅をチクっと刺すような感覚が残りました。
玉藻稲荷神社から北東の県道沿いに少しすすんだところに、「狐塚跡」と呼ばれる場所がありました。
鏡が池の横に移す前の、狐塚がここにあったのだそうです。
霧降の滝へは行かなかったのでしたっけ??
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行きませんでした。
日光もたくさんの滝があるのですね。
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富嶽三十六景の滝に霧降り滝があったので…
次回ですねー!
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