日本発祥の地「おのころ島」、その比定地のひとつが「淡路島」であるとする聖地を訪ねます。
それは南あわじ市にある「自凝島神社」。
神社に近づくと、高さ21.7mの巨大な鳥居がありました。
この鳥居は「平安神宮」及び「厳島神社」と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられているそうです。
自凝島はそう、「おのころじま」と読みます。
また、「磤馭盧島神社」という表記もあるようですが、今ではほとんど使われていません。
小高い場所にある社殿まで、階段の参道を昇ります。
『古事記』『日本書紀』の国生み神話によると、イザナギ、イザナミの二柱の神が、「天の浮橋」の上に立って「天瓊矛」(あめのぬぼこ)で青海原をかきまわします。
すると、その矛先からぽたぽたと潮が滴り落ち、凝り固ってできたのが自凝島となりました。
つまり『自』ら『凝』り固まってできた『島』だということです。
その後、イザナギ・イザナミの両神はおのころ島に降りて、夫婦の契りを結んで国生みをします。
はじめに造られたのが淡路島でつぎつぎと大八洲(おおやしま)の国々、いわゆる日本列島を造ったのだと語られます。
階段を昇りつめたところに「鶺鴒石」(せきれいいし)と呼ばれる、「縁結び」の人気スポットがあります。
鶺鴒とは鳥の一種で、とても夫婦仲の良い鳥だといわれています。
イザナギ・イザナミの両神は、この石の上で鶺鴒の夫婦が契りを交わすのを見て、日本で初めて夫婦となり、子供を産んだと言い伝えられています。
ここの参拝にはルールがあり、
新しい出会いを授かりたい人は、「白い縄」を握って、続いて「赤い縄」を握り、思いを込め祈ります。
また、今の絆をより深めたい二人は、男性は「赤い縄」、女性は「白い縄」を握って二人手を繋ぎ、思いを込めて祈ります。
相手はいるが一人で来た人は、「赤い縄」を握って、続いて「白い縄」を握り、思いを込めて祈ります。
そんな小っ恥ずかしい姿を人前に晒すことで、それに耐えうる強い想いを鍛えるということなのでしょう、僕には無理です。
あと、くれぐれも縄は引っ張らないように。
縄が解けたり、石が壊れでもしたら縁起悪さMAXです。
美しい社殿が見えてきました。
祭神は「伊弉諾命」(いざなぎのみこと)、「伊弉冉命」(いざなみのみこと)に加えて「菊理媛命」(くくりひめのみこと)の三柱です。
菊理媛命とは、イザナギとイザナミが、黄泉比良坂の千引の岩の前で喧嘩をした時、仲を取り持った事から「縁結び・和合の神様」と云われます。
菊理とは「括り」から名付けられたそう。
しかしこの千引の岩のシーンはどう見ても喧嘩別れであり、でも幸せを願うカップルに水を差すのもどうかというものですから、ここはあまり突っ込まないでおきたいと大人の対応をしておきます。
拝殿のそばには、参拝の順路が示してあります。
順路に沿って拝殿の横を覗いてみると、御神木と書かれた建物が。
そこには2本の枯れ木が横たわっていますが、これらは「男松」(おんまつ)「女松」(めんまつ)の夫婦松「肥松」(こえまつ)と呼ばれるものです。
明治時代以前に枯れてしまったのですが、枯れてもなお精霊が宿っていると、このように大切に祀られています。
肥松の側からは、8本の鰹木からなる「神明造」の本殿が垣間見えていました。
続いて順路に沿って、拝殿の左側に回ります。
そこには、イザナギ・イザナミ両神の御子神を祀る「八百萬神社」(やおよろずじんじゃ)が鎮座します。
また、本殿を裏側から拝することもできます。
国生み神話は、もとは、淡路の海人族(あまぞく)が伝えた「島生み神話」であったとも云われています。
淡路島は大和王朝からも比較的近い島であり、昔から農作物も豊富な島でした。
記紀制作にあたってこのストーリーが組み込まれた背景には、権力者が淡路に屯倉(みやけ)を置き、「御饌都国」(みけつくに)と呼んで食料貢献させるのための、支配の根拠作りがあったのかも知れません。
神社のある小高い山の下に、「安産のお砂所」がありますと書かれています。
ぐっと弧を描きながら降りていくと、神社の西側に「産宮神社」がありました。
「自凝島」は「天瓊矛」から滴り落ちた海水の滴で出来ているので、塩砂となります。
自凝島神社の塩砂は「安産の神様」として妊婦さんに安産のご利益があるとされてるそうです。
神社の麓を周回していると、「葦原国」(あしはらのくに)と「天の浮橋」の分社がありました。
ところで、おのころ島は島なのに、なぜ陸地の当地がそれに当たるというのか?
また、おのころ島を造ったのちに淡路島を造ったとされているのに、淡路島をおのころ島と呼ぶのはおかしくないか?
そんなジレンマが思い浮かびます。
これについては、現在の自凝島神社は小高い丘になっていますが、遥か数千年前の縄文時代は海抜がもっと高い位置にあり、当時この辺りの低い平地は海であり、現在社殿の建つ丘は小さな島であったとされるからです。
つまり往古には自凝島神社は、淡路島とは海で分断された小島だったと云うことのようです。
さて、先ほど自凝島神社の周囲に「葦原国」と「天の浮橋」の分社がありましたが、当社から数百mのところにその本社があります。
自凝島神社から西に約400mのところに「天の浮橋」がありました。
「天の浮橋」とは、神々が住む天界「高天原」(たかあまはら)と下界を結んでいたとする橋のことです。
イザナギとイザナミは、この石の上に立ち、天瓊矛で海原をかき回したのだそうです。
さらに西に約400mの場所に「葦原国」(葦原中国:あしはらなかつくに)があります。
葦原国は、古代の日本国の別称です。
そこは海辺に葦が繁っていて、五穀豊穣の沃土が覆っていたと云われています。
石碑には「千早(ちはや)振る神代の昔あしはらを ひらきそめにし国常跡」と歌が彫られていました。
自凝島神社とその伝承地には、生まれたての日本の、のどかで平和な景色が残されていました。
Paesaggi pieni di storia che ti mettono il desiderio di conoscere e riempono il cuore di pace.Leggo tutto con molto interesse e curiosità.
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Grazie, Rosatea.
L’Italia ha una lunga storia e molte viste meravigliose.
Un giorno mi piacerebbe viaggiare in Italia e visitare città e chiese storiche.
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本当に…
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その通りですね!
しかし田畑を耕す人口減少に歯止めがかからない状況には国家レベルでの対策が急務です。
外国人入れても逃げられている状態を何とかせんとなのでが…
しかも逃げた連中が何処に居るのか解らないなど空いた口が塞がりません。
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日本人のライフラインくらいは、日本人の手で賄いたいものです。
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こうした長閑で平和な風景は子供の頃は地元でも普通の日常的風景だったのですがね〜
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私の子供の頃も、周りは田んぼだらけでした。
今は住宅に様変わりしていますが、まだまだ長閑な景色もたくさん残っていますよ。
だから日本を好きでいられます。
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