最澄が意図していたわけではないようですが、たまたま比叡山は京都の北東の方角にあります。
つまり比叡山は京の都へ鬼が出入りする「鬼門」の方角にあり、それを封じている形になっています。
延暦寺の横川(よかわ)地区は、その比叡山の中でもさらに鬼門の方角にある聖域。
横川地区に入ると、池のようなものがありました。
「龍が池」というそうで、祠では弁天様をお祀りしています。
かつて、この池には大蛇が棲みついて、毒気をはいて修行僧や村人に害をなしていました。
それを聞いた「元三大師」は大蛇に向かって
「汝は姿を自由に変化せせる不思議な通力を持っていると聞いたが本当か」と尋ねます。
「本当だ、俺にできないことはない」と大蛇は答えます。
大師は「ならば大きい姿になってみよ」というと、大蛇はみるみる数十倍の大きさに変身します。
「今度は小さくなり、私の手のひらに乗れるか」と問うと「承知」と小さくなり、大師の手の中に入ります。
そこで大師はすぐさま、観音様の念力により大蛇を封じ込めました。
大師に諭された大蛇は悔い改め、観音様の従者として「龍神」となり、横川を訪れる人の道中の安全や心願成就の助けをすることを大師に誓ったそうです。
龍が池から少し歩くと、清水寺のような面持ちの堂が見えます。
この「横川中堂」は二度の焼き討ちにあったため、いまでは鉄筋コンクリート造となっています。
中はぐるりと回れるようになっていて、聖観世音菩薩が祀られていました。
堂の前には「護法石」という霊石があります。
この石には鹿島明神と赤山明神の分霊が宿っていると伝えられていて、古くから延暦寺を守護していると云われています。
赤山明神は、中国の山東省の赤山に祀られる人の寿命や福禄をつかさどる泰山府君の分霊を、慈覚大師円仁が遷座したと伝えられます。
さらになだらかな山道をあるくと、遠くに塔が見えました。
横川の果てには先ほど龍が池で活躍した僧を祀る「元三大師堂」(がんさんだいしどう)があります。
元三大師はおみくじの発案者でもあります。
この元三大師良源という僧はものすごい霊力の持ち主だったそうで、延暦寺中興の祖と言われ、「慈恵大師」(じえだいし)とも呼ばれました。
ある時、疫病で人々が悩まされている時、これをなんとか食い止められないかと大師は憂いていました。
鏡の前で座禅を組み瞑想していると、その姿はあばら骨だらけになり、角が生えてきたと云います。
魔物の姿になった大師は、その姿で魔を祓いました。
まさしく毒をもって毒を制したのです。
大師は魔物になった姿を弟子に書き写させ、それを札にして人々に配ります。
札を玄関先に貼ると、大師の魔物の姿をおそれた病魔は立ち去ったということです。
こちらは降魔大師のお札です。
人影少ない叡山の果てに、なんとも不可思議な場所がありました。