桜ヶ峰神社

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福岡の桜坂というところにある「桜ヶ峰神社」を訪ねました。
ここは隠れたパワースポットなのだと、美容室のお客様からお聞きしたからです。
地元に僕の知らないそんな場所がまだあるのだと、素直に驚きました。

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が、行ってみて更にびっくり。
福岡の高級住宅街に埋もれるように、ひっそりとその神社はありました。

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桜坂と言えば天神や西新からほど近く、ほどよく閑静、江戸時代には黒田藩の家老クラスの屋敷があったという筋金入りの高級住宅街です。

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祭神は、「瀬織津媛神」(せおりつひめかみ)、「速佐須媛神」(はやさすらひめかみ)、「気吹戸主神」(いぶきどぬしかみ)、「速秋津媛神」(はやあきつひめかみ)。

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これらの神々は大祓詞に登場する、いわゆる祓戸の神。
人の罪や穢れを祓うとされています。

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江戸時代の1700年代中ごろに書かれた『桜峯地蔵記』によると、欽明天皇(在位539年~571年)の時代に、夜「光を発する石像あり。之を祈願すれば必ず御利益あり」ということで奉祀したのが当社創建の由来としています。

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また同著に「那珂郡大鋸谷、桜嶺に石蔵の石像あり」とあり、「地蔵堂」と呼ばれた時期もあるそうです。

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『筑前国風土記』によると、かつて当社は竃門山修験の道場として栄えていて、規模もかなりのものだった様子が窺えます。
境内には多くの桜の樹があり、故に「桜ヶ峯」と当地の集落の名がつけられ、そこから桜坂と呼ばれるようになったそう。

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桜ヶ峰神社は極細の車道が通っていますが、その道を挟んで反対側にも社地であったらしき敷地が広がっています。

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見事に境内を道が分断しているのですが、これは高級住宅街に住まう人たちの行き来に、便宜を図るために造られたのだとしたら、ちょっと切ないものです。

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社殿裏手には辛うじて、神聖な杜が残されていました。

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何ゆえ「光る石・地蔵」から「祓戸の神」が祀られるようになったのかは不明ですが、まさにこの神々は、傲慢な人間の罪を祓い、健気にこの杜を守っているように感じられました。

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2件のコメント 追加

  1. さいとう よしみ より:

    こんばんは。夜分失礼申します。
    8月30日に全国の青年神職の皆さん方による『天下大祓』の儀が正午になされたようです。大嘗祭前の大切な儀礼とのこと。上皇后様の治癒と私たちの穏やかで平凡な日常を切望する次第です。
    ただ、個人的に、ふと福祉関係の職業がら、いろんな方々の生き様から『業』のようなものを見つめては感じます。私たちの罪、咎、穢れ、諍いを受け止めて祓い流す祓戸の神々は、本当は、どんな気持ちなのだろう・・・・と。 万物の司る時の流れからすれば、人の営みからうみなされるあらゆるものは、ささいなことなんだろう・・・・か?・・・と。

    駄文ですが、水の辺に坐す神名を調べてゆく中で、桜ヶ峰神社さんを知りました。ただパワースポットとは存じませんでした。すごい所なんですね。ありがとうございました。

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      こんにちは、さいとう様。

      歴史を知り、日本を旅する中で実感するのは、日本の国土には非常に高い浄化性が備わっているということです。
      「祓い」の儀式を行うことで私たち自身に祓いの自己暗示をかけることはできるでしょうが、そもそも日本に住んでいるだけで我々は浄化され続けているのだと思います。
      世界を見てみると、やはり自然の豊かなところほどその傾向は強く、マンパワーが強すぎて砂漠化・禿山化が進んだところほど心は荒んでいると思われます。
      とはいえ、日本の自然もこのまま失われ続ければ、どうなるのかわかりません。

      近々記事にさせていただく考察ですが、僕が「神」と認識するものは、人や人の営み、またそこから生み出されるものについて、全くの無関心であろうと推察します。
      人が右と左で争おうが、自然を破壊しようが、それで失われるのは我々の世界であるだけで、地球が失われるわけではありません。
      巻き添えになって滅ぶ生き物はいるでしょうが、母なる地球は気の遠くなる往古から地形を変え、気候を変えてきたのですから。
      体に止まった蚊ほどにも気に留めていないでしょう。
      もし神が我々に興味を持っていたら、とっくに滅ぼされているはずです。

      先日、アニメ映画の「天気の子」を観てきました。
      最後の方のセリフで、「世界なんてさ、どうせもともと狂ってんだから」というフレーズがとても印象的でした。
      宮崎の「一ツ瀬川」に沿って、祓戸の神々が祀られているのも面白いですよ。
      https://omouhana.com/2017/04/28/速川神社/

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