多鳩神社:八雲ニ散ル花 番外

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石見国二宮「多鳩神社」(たばとじんじゃ)は少し不思議なものがある神社でした。

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この神社は島根県江津市二宮町というところにあります。
一之鳥居のそばには「御神幸所」と掲げられた別の鳥居がありました。
神幸とは祭事や遷宮などのとき、神体が神社から他所へ一時的に移されることを言います。

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一之鳥居から車で進むこと500m、神社の入口に到着です。

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そこに一体の石像がありました。これは「石見王と太宰媛の像」。
「西暦七二九年左大臣長屋王は、皇位継承を巡り藤原氏の策謀による無実の罪で一族と生涯を閉じた。二宮村史によれば、孫の石見王は生母太宰媛とこの地に逃れた。
日夜多鳩神社に帰参を祈り、後子孫大いに栄えたという。この伝承を後世に伝え、顕彰する」

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長屋王は、高市皇子の長男で天武帝の孫にあたります。
696年7月、高市皇子が没しますが、彼は誣告により刑死となったと噂されました。
彼は持統女帝の孫・軽皇子を天皇にする上で、邪魔な存在であったと云います。
結果、697年2月、軽皇子が15歳で皇太子となり、そして8月に女帝は退位し、孫が即位して文武帝となります。
この時、女帝の右腕と謳われたのが、かの藤原不比等。
長屋王も一時は政界の重鎮となりましたが、対立する藤原四兄弟の陰謀といわれる長屋王の変で自殺しました。

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長屋王の孫は生母・太宰媛と当地に逃れ、石見の王となったと当地に伝えられているということです。

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それにしても二之鳥居をくぐった途端に包まれる杜の気配。

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苔むした参道が社殿まで続きます。

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神侘びた縦に長く連なる社殿。

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拝殿の手前にまるで鳥居のように2本の神木があり、

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根元には砂が盛られて弊が立てられています。

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祭神は「積羽八重事代主命」(つみはやえことしろぬしのみこと)。

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積羽八重は東出雲王国8代少名彦の八重波津身(やえはつみ)の名を入れ替えたもの。
彼の別名として記紀に記されたのが事代主です。

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由緒書によると事代主が神代の昔、石見国開拓のために当地に留り、当地で終焉されたと伝えられているとしています。

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また社伝には創建は貞観3年(861年)であるとし、大和国の天高市神社から多鳩山古瀬谷に勧請したとし、同じく社伝によると、天武天皇の時代(673年-686年)に積羽八重事代主神を祭神とする社を創建したとも伝えています。

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石見は西出雲王家「郷戸家」(ごうどけ)の領地であり、そこに大国主・八千矛ではなく事代主・八重波津身が祀られていることに軽い衝撃を受けます。
それもこれほど立派な社殿を建てて。

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しかもその社殿には、他では見られない変わったものがぶら下がっています。

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これは八咫烏を招くための神饌代だそうです。
なにゆえ当地に八咫烏の伝承があるのか。
多鳩や積羽は、確かに鳥を連想させますが。

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八咫烏とされる人物は事代主の遠い子孫にあたりますが、当地にそれが伝承された経緯が気になります。

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そもそも事代主終焉の地が当地でないことは確かですが、東出雲王家ゆかりの某かが当地で先祖を祀ったということになるのでしょう。

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ただひとつ気になるのは、社伝に天武天皇の御代に事代主を祭祀する前は「タマト神」を祀っていた、とあることです。
多鳩はタマトのことか?!

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タマ(玉)といって僕が連想するのは豊族です。
境内社には、大元神社、八幡宮、高神神社、若宮神社、住吉神社、稲成神社があり、その中にもどことなく豊族を彷彿とさせるものがあるようなないような。
ここでは本来、豊家が祭祀を司っていたのではないか。

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その境内社に並べられたたくさんのえびす面は気難し顔で思考する僕に、「まあ笑え」と諭すのでした。

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