
徳島県美馬市に鎮座の、「倭大国魂神社」(やまとおおくにたまじんじゃ)を訪ねました。

境内に入ると、まず見えてくるのは「八幡神社」です。

祭神は「応神天皇」「神功皇后」「姫大神」の三柱。

小笠原長親が南北朝期に、重清城築城の守護のため、石清水八幡宮の分霊を勧請し奉祀したことが由来とされ、「重清八幡神社」(しげきよはちまんじんじゃ)とも呼ばれています。

目的の場所はここからさらに奥、

長い階段を登った先にあります。

まずは七五三の15段、

続いて女の厄払いの33段、

ラストスパート男の厄払いの61段、合わせて109段の階段を駆け上がります。

フッ、ヒザがイったか。

やれやれ、ありました、倭大國魂神社。

とても素朴な神社です。

由緒は不詳。平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある「倭大国玉神大国敷神社二座」に比定される古社だということです。
祭神は「大国魂命」と「大己貴命」。

大己貴は一般に出雲の「大国主」の別名と考えられていますが、本来は「大名持」、つまり二王政における主王の役職名です。
そして大国魂とは、「玉主命」「大国栖玉命」などと呼ばれる「天石門別神」(あまのいわとわけのかみ)のことではないでしょうか。

と、まあ、それはさておき、僕がここに来た目的はこの神紋です。

何でも、当社に元駐イスラエル大使のエリ・コーエン氏が参拝した折、この神紋を見て「これは、メノラーに似ている」と言ったのだとかどうとか。
そこから、阿波ユダヤ説につながるわけですな。

これは梶の葉、もしくは柏の葉を表しているようで、どちらも古くから神前に供える「幣」として使われきた植物です。
梶の葉紋は阿波忌部氏の家紋にも使われています。



美馬市美馬町字中鳥に「伊射奈美神社」(いざなみじんじゃ)があったので、参拝してみました。

「延喜式」に、阿波国美馬郡所在の式内社11社のうちの1社として、伊射奈美神社の名がみえます。

イザナギを社名とする式内社は、淡路の伊弉諾神宮をはじめ7社ありますが、イザナミを社名とする式内社は阿波国美馬郡の1社のみだそうです。
伊射奈美神社の比定社は他にもありますが、当社の神紋が伊弉諾神宮と同じ「十六菊花紋」であり、当社が有力なのではないかと思われます。

もうひとつ、伊射奈美神社は比定地として有力な根拠となるのは、本来当社は、この先の吉野川にある川中島「中島」に祀られていたということです。

川中島に祀られる神といえば、阿波島の阿波姫が思い浮かびます。
そしてイザナギが出雲のクナト王だとすれば、イザナミは幸姫のことであろうということになります。

四国の一族は、川に浮かぶ島、海に浮かぶ島を女性の胎内、子宮と捉えていたのではないでしょうか。
そこに、王家に嫁いだ姫巫女神を祀ったのだろうと僕は考えます。

三島も島姫を敬う「御島」だったのではないかと、思うのです。

narisawa110
阿波小笠原氏が四国で神社の普請をしていますが、関連する美馬市の西照神社は、月神の宮と呼ばれて居るそうです。
その西照神社の名をここ10年ほどよく聞くので一度行ってみようと足を運びました。元々大瀧寺の敷地を借りて江戸期に建てたもので月神や天之御中主神を名乗る根拠が謎で、残念ながら神社そのものは作り物感の強いところでした。しかし山自体の霊力は相当に感じます。https://www.otakiji-nishiterugu.com/aboutus 大瀧寺の由来 西照神社のGoogleの口コミを読むと、わずかここ数年でスピブームの聖地化した様相が十分窺えます😞
スピブームですか・・・😌
narisawa110
山頂下の神社ですが、社伝が最近の話題にピッタリで、正に物部と神門のイメージなんですよね。
whki抜粋
社伝によれば、夜の食国(よるのおすくに)を統治する月読尊が、大和国方面の監視役として田寸津姫命(タキツヒメ)を大滝山に遣わし、ここから瀬戸内海の監視をさせたことが当神社の起源であるとする。
平安時代前期に空海がこの山に籠もって修行を行い、西照大権現を安置したことにより神仏混淆の山岳道場となったと言われる。
諏訪も安曇や越智がミナカタの監視をとか言う伝承がありますので、社伝の成立過程がとても興味深い感じがします。
気になる〜♪
narisawa110
私的には、神門臣王滝に近い、大滝山がベタすぎる気がしてそっちが気になる感じであります。
伝承では倭大国魂神は天日鷲の御霊
おお😳
narisawa110
片倉物部守屋神社の神紋も、三つ柏なんですよねー
おお、たしかにそうですね。似てますね!
五条様 おはようございます。
梶の御神紋、諏訪大社を思い出しました。聖なる木だったのですね。
asamoyosi
asamoyosi様、こんにちは😊
そうでしたね、諏訪大社も梶紋でした。
ここと同じ徳島には、諏訪大社の元宮を謳う神社があるのですが、そこは梶紋ではなく、まるで富家のような鎌の交差紋でした。