八乙女浦:常世ニ降ル花 由良朗月篇 09

投稿日:

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山形県鶴岡市西目というところに、「椙尾神社」(すぎのおじんじゃ)がありました。

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実は、山形で有名な椙尾神社といえば、鶴岡市馬町宮ノ腰に鎮座の神社をいうのですが、そちらへの参拝を完全に失念していました。
宮ノ腰の椙尾神社には、「しっぺい太郎」(早太郎)伝説にクリソツな、丹波の“めっけ犬”伝承があるそうです。
ほんと、近くまで行っていたのに、失敗したな。どんまい。

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まあ、宮ノ腰の椙尾神社を訪ねる機会はまたあるだろうということで、こちらはこちらで意味のある神社だと思われます。

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小さな神社で、情報も皆無。
祭神も分かりませんが、おそらく宮ノ腰の椙尾神社と同じでしょう。
その神とは、「積羽八重事代主命」と「天津羽々命」、ktkr。

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椙尾神社という名前は山形にしか見られませんが、杉尾神社で検索すれば、四国と和歌山に見られます。
つまり、四国の方、天津羽羽神の本拠地である土佐方面から祭祀一族が山形まで来ていた、ということになるのではないでしょうか。

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とても意味深いことですが、ところでこのしめ縄のようなもの、なんじゃこりゃ。

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中にお米でも入っているのでしょうかね。

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西目の椙尾神社から5km、車で10分弱、由良峠を越えて「由良海岸」へとやって来ました。

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由良海岸を訪ねるきっかけとなったのは、やはり福岡の「羽黒神社」の記事を投稿したのがきっかけであり、X友のマックイーンさんに、島根・隠岐島の「由良比女神社」とのつながりを示唆いただいたからでした。
そして由良海岸に浮かぶ小島は

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「白山島」(はくさんじま)。
日本海の江の島と呼ばれる観光名所として知られ、赤い白山橋を歩いて渡ることができます。

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駐車場に車を止め、さっそく白山島に向かうと、二人の乙女がいらっしゃいました。

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二人のお嬢さんは「恵姫」(えひめ)と「美凰」(みおう)の姉妹さん。
この像は「八乙女の像」と呼ばれています。

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今より1400年前のこと、仏教受け入れを巡って賛成派の蘇我氏と反対派の物部氏の対立が起き、内乱へと発展しました。この時、蘇我馬子は崇峻天皇を即位させ、物部氏を倒して実権を握ります。
しかし、第32代崇峻天皇は自らが権力を握ろうと画策し、馬子によって暗殺されました。
崇峻天皇の子「蜂子皇子」(はちのこのおうじ)は、その身が危ないと、聖徳太子の勧めによって倉橋の柴垣宮を逃れ、丹後国(京都)の由良に向かいます。
さらにそこから海路で越前、越後、佐渡島へと渡り、ついには出羽の国「八乙女浦」(やおとめうら)へと差し掛かりました。

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皇子が奇岩の絶景を眺めていると、どこからともなく、美しい鈴の音と清らかな歌声が聞こえて来ました。
まるでこの世のものとは思えぬ調べに導かれ、舟を進めていくと大きな洞窟がありました。
皇子が洞窟を見ると、その入口付近の平らな岩の上では、八人の乙女らが舞いを踊っていました。

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皇子に気がついた乙女たちは、突然の来訪者に驚き、皆姿を隠してしまいました。
蜂子皇子は船を寄せようとしますが、波や海流が邪魔をして、船は思うように進みません。

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その時、二人の乙女、恵姫と美凰が岩の上に姿を見せ、手招きして船の進む道を教えたのです。

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無事に乙女らの元へ辿り着いた蜂子皇子。
皇子は、人々を苦しみから救うため、出羽の聖なる山を目指していると乙女に伝えます。
すると恵姫が言いました。
「八乙女浦は、山の神様が生まれた所です。この先の荒倉山(あらくらやま)を越えて東へ向われたら、聖なる山にお着きになります」

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蜂子皇子は、しばらくの間、「権現穴」(ごんげんあな)と呼ばれる洞窟に籠って修行の日々を過ごしました。
ある朝、皇子が恵姫が言っていた聖なる山の方を見てみると、そこから清らかな光が立ち上がっているのが見えます。
それで蜂子皇子は山へ向かうのでしたが、奥深い森で道に迷い困っていると、大きな翼と3本の足をもつカラスが舞い降りてきて、道を案内しました。
こうして皇子は無事、聖なる山に辿り着くことができました。
蜂子皇子はそこで苦難苦行の修行を積み、羽黒山・月山・湯殿山を次々と開山したということです。

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さて、白山島へ渡ります。
そこに鎮座するのは、もちろん「白山神社」。

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本土と白山島を結ぶ赤い橋は雅なものですが、実は白山島はホラースポットでもあり、日が暮れてからこの橋を渡ると、欄干の両側から無数の白い手が伸びてきて海中へ引き込もうとするのだそうです。
くわばら、くわばら。

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由良海岸には水遊びスポットや、

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釣り堀、

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海を眺めるおねえさんなどがあります。

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白山島に入りました。

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島は本来、一周できるのですが、

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ありゃま、通行止めとは。

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しかし山頂にある白山神社には行けるようなので、問題ありません。

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先の蜂子皇子の伝承は、当地に伝わるものですが、少し疑問点もあります。
皇子は丹後の由良から出航し、八乙女浦に上陸したことから「由良」と名付けられたといいますが、なぜ「由良」なのでしょう。

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由良について、『広辞苑』では「玉などが触れ合って鳴る音」のことと説明されています。
また柳田國男の『地名の研究』では
「それから海岸でも山の中でも水流の屈曲によって造ったやや広い平地で、従って耕作居住に適した所をふくれるという意味から福良(ふくら)といっている。それと同じように水の動揺によって平らげた岸の平地を由良(ゆら)とか由利(ゆり)とかいっている。すなわちユラグ、ユルなどという言葉が転じたのである。それから山中で少しく平らな所をナル・ナロと呼ぶ。ナラスということで、大和の奈良を平城と書くのも同じことである」
と記してあります。

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確かに、由良という地名は、日本の沿岸にいくつか見ることができます。
その上で、蜂子皇子が無事上陸できたからと、そこに出港した場所の地名を付けるでしょうか。付けるなら、皇子の宮殿があった「ナラ」の方ではないでしょうか。

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そしてこの白山神社に祀られる祭神はやはり、「菊理媛命」(くくりひめのみこと)です。

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当社の創建は806年の平安時代に、加賀国の白山比咩大権現を勧請したとあります。
時代的には、蜂子皇子よりも随分後のこととなります。

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出羽三山神社のHPによると、蜂子皇子が羽黒山へ辿り着くまでの話が、当地の伝承とは微妙に違って説明されています。

(倉橋の柴垣宮を逃れ出てた皇子は)越路(北陸道)を下り、能登半島から船で海上を渡り、佐渡を経て由良の浦に辿り着いた。
ここに容姿端正な美童八人が海の物を持って洞窟を往来していた。皇子は不思議に思い上陸し、乙女に問おうとしたが皆逃れ隠れてしまった。
そこに髭の翁があらわれ、皇子に「この地は伯禽島姫の宮殿であり、この国の大神の海幸の浜である。ここから東の方に大神の鎮座する山がある。早々に尋ねるがよい」とおっしゃられた。
そこで皇子はその教えに従い東の方に向かって進まれたが、途中道を失ってしまった。その時、片羽八尺(2m40cm)もある3本足の大烏が飛んできて、皇子を羽黒山の阿久岳へと導いた。
これにより、由良の浜を八乙女の浦と称し、皇子を導いた烏にちなんで山を羽黒山と名付けた。

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つまり、蜂子皇子は丹後の由良ではなく、能登半島から出港し、伯禽州姫(しなとりしまひめ)の宮殿であった由良の浜から上陸、そこに八乙女がいたので八乙女浦と呼ぶようになったということです。
さらには、八乙女とは八人の乙女ではなく、「由良比売命」(ゆらひめのみこと)、または、白山島に祀られている菊理媛の化身だという説もあるようです。
ここで思い出されるのが、椙尾神社に祀られていた「天津羽羽神」の存在です。
そう、五条桐彦的にいうならば、「越智」が揃った、ということです。

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白山島の頂上に鎮座の白山神社、奥宮ということになるのでしょうか、そこへと続く階段が、まあなかなかの急勾配なわけです。

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崖なのか!階段をつけただけの崖なのか!と思わず突っ込みたくなります。

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この階段にも、出るんですよ。ぼんやりと立ち尽くす女性や子供、中年男性とかね。通り過ぎてから振り返るとすでにその姿はなく、いずれも自殺者の霊なのだとか。
しかしそれは単に、疲れて果てて生気を失っただけの五条桐彦なのかもしれません。覇気なさげに見えて、中身はイキのいいピッチピチの中年男性です。

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見えて来ましたよ、奥宮。

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素晴らしい。白い狛犬がまた、なんともね。

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橘紋に

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龍の彫り物。
創建は新しいものだとしても、古くからの信仰を思わせます。

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宇佐公康著『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』によると、宇佐稚屋は伊予国の越智氏と数年にわたって戦ったと伝えられ、その時に彼は、越智宿禰の娘ですでに夫も子供もあった常世織姫(とこよおりひめ)を拉致して凱旋し、そのまま結婚をして宇佐押人が生まれたのだと記してあります。
宇佐公康氏はまた、稚屋は神武天皇と菟狭津媛の間に生まれた皇子であるとしており、稚屋の子・押人が応神天皇であると著書の中で述べています。
つまり応神天皇は神武天皇の皇孫であるというのです。

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ここでいう神武とは、天村雲ではなく、物部イニエ王(10代崇神帝)であると考えられます。そうであるなら、后の菟狭津媛(うさつひめ)は宇佐王国の女王・豊玉姫ということになります。
ならば越智宿禰の娘を強奪したという宇佐稚屋とは「豊彦」のことでしょう。
年代的に宇佐押人=応神帝が豊彦の息子であった、とはなりませんが、彼の末が竹葉瀬ノ君=応神帝であったことを考えると、流れの辻褄は合うように思われます。

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第二次物部東征で大和入りを果たした豊彦・豊姫の兄妹は、偉大なる親魏和国の女王・豊玉姫の血を受け継ぐ者として、大和でも絶大な人気を得ました。
それを妬んだのが、物部・豊連合の一方である物部イクメ(垂仁)です。彼は兄妹を欺き、豊彦を東国へ追いやり、豊姫に刺客を放ったのです。

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豊彦(豊来入彦)は上毛野国(かみつけのくに)に彼の王国を築きましたので、そこにある貫前神社は彼の王宮の一つであったと僕は考えます。
竹葉瀬ノ君は豊彦の2代後と考えられ、上越の居多神社に彼の痕跡があることから、7歳を迎える竹葉瀬は貫前神社から上越に移動し、そこから航路にて敦賀の氣比神宮へ向かい、秘密裏に息長足姫(神功皇后)の養子となったと考えられます。
そして航路の途上で彼らが、能登半島の珠洲に立ち寄った可能性は高いでしょう。
この竹葉瀬ノ君ルートには、越智神社が点在しており、豊族と共に、常世織姫に追従した越智族も一緒に移住したと思われます。
敦賀に至った越智族は福井の越知山で祭祀を行い、更にそこから見える白山を彼らの母神である常世織姫の坐す神奈備とし、白山信仰を興したのでしょう。

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豊玉姫の息子・豊彦(ウガヤフキアエズ)に嫁いだ后を、記紀では玉依姫としました。
白山の姫神は、後に記紀に記された菊理媛として祀られるようになりましたので、つまり、常世織姫=玉依姫=菊理媛という図式ができあがります。

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白山で常世織姫を祀る一派が能登の珠洲から佐渡へと渡り、更に由良海岸に渡り、羽黒山に羽黒神として豊彦、鏡池に龍神・玉依姫を祀り、月山に月読神を祀ったのが出羽信仰の始まりなのではないかと想像します。
僕は、蜂子皇子は存在自体が怪しいと感じていますが、史実だとして、柴垣宮から先の白山・八乙女浦ルートを踏襲して羽黒入りを果たしたのではないかと考えます。
一方、由良姫信仰が丹後・由良から隠岐島を経由して、鶴岡に伝播したのかな、とうっすら思っているところです。

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白山神社の社殿横に回ると、更に奥へと続く道がありました。

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道といっても、こんな道です。

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こんな道・・・

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藪を漕ぎながらなんとか登り切ると、白山島の本当の頂上である断崖絶壁の上に出ました。
風が涼しくて、気持ち良い。

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まあ、ここがいわば自殺の名所のようで、身投げする人が多いということで白山島ホラースポットの原点でもあります。

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せっかくなので、下から伸びる白い手にちょいと足を掴んでもらって、身を乗り出して写真を撮ってみました。
あれが八乙女浦です。
八乙女浦には、すでに崩壊したそうですが、「権現穴」と呼ばれる洞窟があり、伯禽洲姫はその洞窟を母胎として誕生したと伝えられます。では伯禽洲姫の親は誰かというと、この洞窟と羽黒山頂の鏡池は繋がっており、そこには玉依姫が住まうといいます。伯禽洲姫が玉依姫の娘であるという由縁でしょう。
伯禽洲姫とは竹葉瀬ノ君の母親であり、彼の従者らの一族が母神と祖母神を出羽国に持って来たのだとしたら、辻褄が合うように感じるのです。

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膝にダメージを受けながら、崖のような階段を慎重に降ります。

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そして島の外周を、行けるとこまで行ってみることにしました。

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するとすぐに、通行禁止の場所まで来てしまいました。

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そこにあったのは、大きな割れ目のある岩と、プールのようになった海水。

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豊族と越智族は、月神祭祀を行っていました。
月神祭祀には水鏡が用いられたと思われ、月を映し取った水鏡は、変若水とされたのだと思います。
羽黒山の鏡池は、鏡を沈めたからそう呼ばれたのではなく、月山に月読神を祀る、その水鏡に用いられたから、供物として鏡を沈めたのでしょう。

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今伝わるところの出羽信仰は、修験者が広めたものです。
そこに伝わる八咫烏や異形の蜂子皇子伝承は、彼らが後付けしたものではないかと思われます。

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蜂子皇子は八咫烏に導かれ辿り着いた羽黒山で修行を重ね、人々の面倒をよく見て、人々の多くの病・苦悩を取り除いた事から、能除太子(のうじょうたいし)と呼ばれました。
また、蜂子皇子は夢で八咫烏に姿を変えた観音の導きを得て、雪の山へ登りました。その山の頂上で阿弥陀に合った皇子は、そこが夜と死後の世界を支配する「月の神」の土地だと気付き、「暮礼山月山寺」(ぼれいざんがっさんじ)と名付け、また、月山を下ると湯の湧く地で大日に合い、光と再生とを司る太陽神「湯殿山」と呼び、ここに出羽三山が揃ったとされます。

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実際には、湯殿山は三山に後から加えられた聖地であり、元は鳥海山や葉山あたりがそうであったとされています。
ただいずれにせよ、出羽三山が意味する信仰とは、死と再生の輪廻を修行を通じて繰り返し体感することで、根元へと至るというものです。

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これこそが変若水の極意を表しているのではないか、と思われたのでした。

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15件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    下照姫が越智の娘さんだと妄想したのですが、富家の口伝では下照姫の母はタギツヒメになっていますよね。

    タギツヒメは宗像家。。。これはアタカタスからの姻戚関係。

    アタカタス→和邇氏(考昭天皇御子、押人を遡ればアタカタスが祖?)

    和邇氏と宇佐家は本土と隠岐の島の利権が絡み、争っている伝承がありますよね。それが縁で大国主大神こと八千矛が八上姫と結ばれる。

    隠岐の島から鳥取八頭へ移った八上姫。出雲多岐神社辺りから阿太加夜神社へ移り住んだタギツヒメ。そして田心姫が米子市の宗形神社へ。しかし宗形神社の目と鼻の先には、アダカエ神社があり、ここは田心姫ではなく明らかにタギツヒメの痕跡を感じます。八千矛さまとタギツヒメの子供にアダカヤヌシタギキヒメこと恐らく高照姫か下照姫。 これは奇妙なことに、宇佐家の八上姫と八千矛さまの御子、御井神社の木俣神との伝承と酷似しています。

    これらのことを考えると、下照姫が越智の姫君というのは飛躍かなとも思います。が、様々な矛盾点を考えますと少しは可能性はあるのではないでしょうか。

    宇佐家と宗像家と和邇氏と越智氏との絡みと、出雲口伝、記紀。照らし合わせると、越智族が出てきてもおかしくないというか。。ただもう少し整理してから質問下ほうがよかったと少し後悔いたしました。。。ご返答に困ってしまいますよねこれでは(^_^;)

    改めて思うのが本当に五条さんは凄いです。

    地道なフィールドワークを通して、各地の伝承と照らし合わせてコツコツと紐解かれておられるから、恐らく、この四家と口伝との照らし合わせで、色々なことがもう分かっておられるから、隠岐の島へ行かれたり、伊豆、四国へ旅されておられるのですね。

    私は最近、越の国の起源も気になります。字のごとく越智とも繋がりそうですし、越にいた土着の氏族は呉越から来た説もありかなとおもっていたのですが、越智。。遡ればトラビタ族になるのかなとも思います。

    いいね: 2人

  2. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    度々失礼します。

    五条さんから教えて頂いたことで斎部宿禰元系帳の断片的なことを調べてみたのですが。。倭文連は阿波忌部が祖で、天日鷲神と繋がるのでしたよね。記紀にもあるように阿波忌部の祖とされる天日鷲神は木綿を仕立る神。古代の衣服・繊維氏族の倭文連も忌部の同族なのですね。島根にやってきた阿波忌部は鳥取連と同族で、そして鳥取連は事代主(少名彦)を通じて越智ルーツの摂津の三嶋とも繋がるような。。

    天稚彦が倭文神となり、もしかしたら鳥取連と同族らしき服部連から繋がる伊予の三嶋→結局越智族に繋がる?

    そして下照姫は八千矛の娘で味耜高彦の妹となっているので分かりにくいんですが、なぜかよく事代主の妹という設定になってたりしますよね。。あくまでも仮説ですけど、下照姫がもしもアカルヒメであるならばですが。。越智の娘さんでもおかしくはないのではないでしょうか。変な日本語ですね。カオス、コンフュージョン。

    なんか名前も衣服を仕立てる姫みたいな名前ですし(^_^;) 倭文連と下照姫さまを繋げるものは何だったのか。

    建葉槌命様に夢でうなされそうです。脱線しますが、宮戸弁天には伝承の白蛇がいるのかと思いました。ヘビの卵みたいな不自然に割れた白い卵の殻が2つもあって、大神神社みたいなお供えものには見えませんでした。友達と白蛇の卵を画像検索して、あまりにそっくりすぎて、この夏一番のミステリーでした。誰かあそこで玉子食べる人なんていませんよね。。。

     

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      下照姫が事代主の妹になっているというのは、事代主が大国主の子という設定になっているからかもしれません。下照姫=アカルヒメ説は、個人的には今一つピンとこないところです。あくまで私見ですが。

      これも私見ですが、アマノカカセオはサワケではないかと思うところもあります。そして彼の妻が天津羽羽神であれば、下照姫に越智の血が流れていることになります。

      いいね: 1人

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        素早いご返信ありがとう御座います。盆前にかたじけなく、誠にありがたいです(T_T)

        なんと、いまちょうど、

        赤衾伊能意保須美比古佐和気能命と天甕津日女命について調べ物をしており、ご返信に鳥肌がたっております。

        五条先生ヒントをありがとうございます☺ 下照姫と高照姫の謎ときは、今後もラ゙イフワークとして頑張ります。

        おかしげなことをほざいていたら、その妄想を容赦なくバッサバッサしてやってくださいませ。キリがなく付き合わせてしまいすみませんでした。ものすごく助かります!

        m(_ _)m

        いいね: 2人

      2. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        風土記にある、赤衾伊能意保須美比古佐和気能命の妻が天甕津日女命。。天甕津日女命=天津羽羽神でアジスキタカヒコの后である天御梶日女命と同神のように土佐の神社からは読み取れますが、ほんとはサワケの后であり、越智の血脈をもちアジスキタカヒコはサワケの孫。

        天香香背男を打つ命をうけた天稚彦。カカセオことサワケを祖父にもつ孫のアジスキタカヒコ。恐らく古事記で人麻呂は、天稚彦とアジスキタカヒコとの唐突な例のストーリーに何かのヒントを投げかけているんですかね。その妹に下照姫。。

        それから越智の血。「越智」の由来を漢字から考えたら、「越」は高志で、「智」は、四国の越知郡とか、高知とかから来ててっというのをどこかで読みました。その越から伊予へ移った土着の方々が越智族なのでしょうか。。なんかそれだと沼河比売も玉櫛姫も下照姫もみんな越智に繋がるような気さえしてきて、越智病がついに(笑)降りてきました。

        オミツヌが越(高志)を平定した。。その子のサワケは天香香背男、妻が天津羽羽神。やっぱり天稚彦は調べないといけませんね。アジスキタカヒコとの関係性と下照姫。一周回って展開して、謎がとけたら戻ってこれそうですね。

        今回(も)、ほんとに長々失礼しました。かな〜りスッキリしました。その私見は私にとって目からウロコです。そういう貴重なピースを惜しげもなくありがとう御座います。

        私が10個くらい戯れ言を言う中に、1個くらいは五条さんがハッとするものがあったら恩返しできるでしょうか(^_^;) それでは(@^^)/~~~

        いいね: 2人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          越智病の世界へようこそ😁
          まあ、あんまり何でもかんでも繋げるのは危険ですが、そう思えてしまうのが越智であり出雲であり。
          でも楽しいですよね。

          いいね: 1人

  3. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    失礼します。。ぜーんぜん関係がない話なんですけど。。、

    竹葉瀬ノ君にちよっとだけ漢字が似てるなとうっすら前から思ってた建葉槌命って天羽槌雄神(あまのはづちおのかみ)という別名も持っていたのですね。例の星の神を封印したと言い伝えがありますが、これが月の神を封印したとかあるとなんかこの記事ともなんか関連性あるのかなとも思えたりして(単なる妄想です)

    宮戸弁天と倭文神社参拝したばかりなので余計に反応してしまいました。関係なくてごめんなさい

    m(_ _)m

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      天羽槌雄神、父は忌部の祖である天日鷲で、さらにその父が天手力男になっていますね。

      いいね: 1人

      1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        天日鷲神が父(@_@;)

        麻を植える神=紡績=機織り=倭文神

        なんか近づいてきたような。。

        いいね: 2人

        1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

          五条さんこんにちは。分からないことが次から次へと出てきて困っています。質問をしてしまいますが、ご返信というかご回答は急ぎません。何か繋がりそうで繋がらない、もしかしたら何かを分かりかけてるような気がするんてすけど、やっぱり違うかなの繰り返しです(T_T)

          宇佐家伝承古伝が語る古代史 (1987年発行)と、出雲口伝を照らし合わせる作業が名前が違うので、知識が浅い私にはかなり眉間にシワがよる作業です。。

          質問①

          宇佐津姫(豊玉姫)の最初の夫の宇佐津彦とは口伝には出てきてないのですか。宇佐津彦と宇佐津姫(豊玉姫)、この2人は兄妹だったような記憶が何かで読んであるのですが、私の記憶違いかもしれません。そして、この2人の間に生まれた実子である常津彦耳命とは誰のことなのでしょうか。。口伝に書かれているモデルはいないのでしょうか。

          質問②

          宇佐津臣は宇佐家に養子入りした稚屋と同一人物で、つまり崇神の息子の豊彦のことなのですね。豊彦は越智宿禰の娘の常世織姫(この方は瀬織津姫だと以前五条さんは考察されておられましたような。。)を拉致して結婚。これが原因?で豊彦は27歳で越智一族から矛で突かれて亡くなったと宇佐家の口伝には載っており、宇佐家の大分に伊予の越智族が豊後水道からやってきてそこから両家が争うようになったとありました。しかし、これは口伝ではイクメこと垂仁が豊彦を追いやっていたことを思うと、信憑性があるのか疑問です。これは五条先生的にはどうなのでしょうか。以前のブログでこれは違うのではないか的な考察を拝見した記憶がありますが、今でもそうなのでしょうか。

          ただ、なんかすごいなと思ったのが、崇神は大和に入る前に亡くなってるので、書紀の神武東征として神武天皇に仕立てられてるのは真っ赤な嘘だという点において、そこが口伝と流れが同じだったから、ある程度合ってるのかなとも思いました。

          越智族はオロチでトラビタ族の末裔だというルーツが五条さんの考察でしたよね。そして赤玉というより白い石のアカルヒメも元は越智族の娘だと。姫許曽神社の伝承でいうと、アカルヒメは天日矛に嫁いでオラオラ系夫であったために逃げたと。三嶋溝杭は越智起源だから、アカルヒメが実家に帰る〜という実家は摂津だった。つまり、伽耶とも越智族は姻戚関係を結んだということなのですね。(私は天日矛=都怒我阿羅斯等は、新羅王子てはなく伽耶の王子だと思っています。年代からしてこの2神は別神と言われてますが。。同じのような気がしてます)

          ここで最後の大きな質問③ 

          ②の続きなんですが。、私には、もう下照姫が越智族の娘さんのような気がしてきました。アカルヒメは下照姫のことじゃないかなと思ってはうち消しての繰り返しです。。やっぱり違うかな。。。そして天稚彦=建葉槌命=倭文神。。建葉槌命は漢字が竹葉瀬之君に似てる。。。竹葉瀬のルーツは豊彦。。天稚彦と稚屋は漢字が似てる。。豊彦=稚屋=天稚彦、これはアカンですよね?年代も全然違うし。。ただ、矢や矛で亡くなるというのは両者似てる?(こじつけ(^_^;))これも何か記紀の暗喩??? それとも、天稚彦とは天日矛、いや、これは違うありえない。

          ↑この質問③のウダウダ書いてることは、かなり長らく思い患っています。妄想が度を越していて呆れられるかもしれませんが、私には大問題なんです(T_T) 下照姫と高照姫の名残がある神社を探し回っていてもますます分からないです。下照姫は鳥取が終焉地と一応なってるから余計に気になるのです。鳥取西部の手間山の近くの高野女神社のご祭神が下照姫か高照姫か倭姫かで相当悩んできているので、これが分かれば謎も解けそうなのです。

          五条先生くどい質問ばかりで申し訳ないですが、お知恵をお借りしたい所存ですm(_ _)m

          いいね: 2人

          1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            ・常津彦耳はよく分からないですね。ざっと見たところ、時代的な齟齬があり、複数の人物を指している可能性もあります。

            ・宇佐津臣も同様で、稚屋のようであったり、宇佐津姫の夫のようでもあったり。宇佐王の役職名なのだと思います。ただ、臣が付いているので、物部と連合して以降の呼び名かと。
            豊族と越智族には親密な関係があったように感じられます。宇佐家の口伝も正確ではないと思われますので、両者の口伝で同じ部分が重要だと思います。それは真史に近いといえます。

            天日矛=都怒我阿羅斯等説、天日矛と越智族の婚姻は、まだまだ考証が足りていませんので、なんとも言えません。

            ・③については、おっしゃるように時代が合わないのが1番の問題点です。が、確かに名前は似ていますね。
            古事記などは同じストーリーを繰り返している場面があります。それは敢えて、ヒントを含ませているのかもしれません。
            あまり一度に考え込みすぎると、かえって見えなくなってしまうものです。とりあえず思ったことを書き出しておいて、後でそれが繋がってくるということは多々あります。下照姫についてはぜひ出芽のSUETSUGUさんが答えを導き出して、僕にそれを教えてください😊

            いいね: 1人

  4. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥ピッチピチ(酒臭いピッチピチ🐤)

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      ワイは下戸やから🍶

      いいね: 2人

      1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

        🐣好きなんですね(酒は🐥)

        いいね: 2人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          甘酒なら一升いけます🍶

          いいね: 2人

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