氣比神宮〜神功皇后紀 39

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「お父様、ただいま帰ってまいりました。」

そこには懐かしい、優しげな風が吹いていた。
琵琶湖のほとり、田園の中にある小高い丘の上で、神功皇后はそっと目を閉じていた。
そこは神功皇后の故郷であり、優しかった父、息長宿禰王が眠る場所だった。
少し前に訪れた氣比の宮も、皇后にとって懐かしくも愛おしい、そんな場所だ。
この旅の全ては、氣比の宮から始まり、氣比の宮で皇子と神子の名を取り替えたことで、ようやく終わりを迎えた。

多くを殺し、多くの大切なものを失った旅だった。
しかし、旅を終えて、かけがえのない大切なものを得ることもできた。
嫁いだ仲哀天皇との皇子、譽田別。
旅の最後に訪れた故郷で、父に孫の顔をどうしても見せたかった。

「さあ、あなたのおじい様にご挨拶なさい」

皇后は隣に立つ、幼子の頭をそっと撫でた。
すっかり元気になった皇子は無邪気な笑顔を母に見せている。

「うむ、父にそっくりな、良い笑顔じゃな」

これから仲哀天皇の御陵を造り、都を建て、皇子が天皇となるまで自分がこの国をまとめていかなくてはならない。
神功皇后の皇太后としての責務は、これから先も延々と続くのだ。
しかしこの一時だけは、母でも妻でも、皇后でもない、息長宿禰王の愛娘「息長帯比売」の姿がそこにあった。

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【氣比神宮】
福井県敦賀市にある格式の高い神社「氣比神宮」(けひじんぐう)は、仲哀天皇が豊浦へ呼ぶ前に、神功皇后が皇后となるための準備のため籠っていた宮になります。

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氣比神宮は北陸道の総鎮守でもあり、越前國一之宮でもあります。

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気比神宮のシンボルでもある大鳥居は、もともとは東側の参道にありましたが、何度か災害などで倒壊をし、1645年に旧神領地の佐渡から奉納された榁(むろ)の大木で再建され、西門に建てられました。
かつては国宝に指定され、現在は重要文化財のこの鳥居は、広島県の厳島神社と奈良県の春日大社と並び、「日本三大木造鳥居」と呼ばれています。

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昭和20年の「敦賀大空襲」ではこの大鳥居を残して、気比神宮は焼けてしまいました。

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参道を少し進むと、「猿田彦神社」の鳥居があります。

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愛嬌のある狛犬がいます。

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人知れず、ひっそりと道行きの神様が鎮座していました。

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手水舎の手前に、気比神宮のパワースポットとして人気のある「長命水」があります。
「この水を一口、年の初めに飲めばその年は健康でいられる。」と伝わる長命水は気比神宮の造営中に突然涌きだしたと云います。

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さらに境内には御神木のユーカリの木や

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「おくのほそ道」の旅で敦賀の地を訪れた「松尾芭蕉」の石像があります。

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いよいよ氣比神宮拝殿へと進みます。

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人はさほど多くなく、最後の鳥居をくぐると、一気に清々しい気持ちになりました。

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主祭神の「伊奢沙別命」(いざさわけのみこと)は「御食津大神」(みけつおおかみ)とも称され、日本で氣比神宮にのみ祀られている神です。

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「氣比」とは「筒飯」とも書き、「食の霊」(けのひ)が由来とされているそうです。
食物を司るとされていて、「古事記」では敦賀から朝廷に海産物などの食物が奉られていたと記されています。

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伝承によると、敦賀の仮宮で、伊奢沙和気大神が武内宿禰の夢に現れ、「私の名を御子の御名に変えたい」と告げたそうです。
武内宿禰は「畏れ多いことです」と謹んで承諾すると「明日の朝、浜へお出かけなさい。名を変えたしるしの贈り物をさしあげましょう」と神が言います。
翌朝、武内宿禰が浜へ出てみると、鼻の傷ついたイルカが浦いっぱいに集まっていたので「神が私に食料の魚を下さった」と神の御名を称えて御食つ大神と名付けました。

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実は誉田別皇子(ほむたわけおうじ)は7歳で夭折(死去)されたと云います。
そもそも神功皇后の三韓征伐は、辰韓が滅び新羅になる時、辰韓の王子「天日槍」の子孫たる自分の相続権(新羅国の年貢を受け取る権利)を主張するための遠征でした。
もし皇子の死が知られると、新羅が年貢を送ることを渋ると考えた皇后は皇子の死を隠しました。
そして当時親交のあった上毛野国(群馬県)国造家の皇子「竹葉瀬ノ君」が同じ7歳というのを知り、秘密裏に呼び寄せ、息長家の養子としたと云います。
彼は豊王国女王「豊玉姫」の長男「豊来入彦」(豊彦)の子孫でした。
神功皇后は息長家で育てた竹葉瀬ノ君を「応神大王」として即位させたということです。

これは古代出雲王国の伝承を伝える大元出版の「出雲と蘇我王国」の中で、出雲王国末裔の「富・向家」と、天日槍の末裔である「神床家」の両家に一致する伝承として記されています。

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また、神功皇后の実家である息長家も豊王国が祭祀する月読ノ神を信奉しており、血を引く応神大王の即位を喜んだ豊王国は、これまで豊玉姫を祀っていた宇佐神宮に、応神天皇と神功皇后を合祀し、それが今の宇佐神宮の祭祀形式になったと言い伝えています。

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境内東側に大己貴命を祀る「大神下前神社」(おおみわしもさきじんじゃ)があります。

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元は天筒山麓にあったと云います。
当社に関係の深い渡来人の「天日槍」(あめのひぼこ)と出雲の神とされる「大己貴」の間には少なからず因縁があります。
この氣比神宮が、西に猿田彦、東に大己貴と出雲にゆかりある神を擁しているというのは不思議な感じです。

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「伊弉冊尊」(いざなみのみこと)を祀る「兒宮」(このみや)です。

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元は氣比神宮寺の境内に祀られていたとあります。

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「角鹿神社」(つぬがじんじゃ)は「都怒我阿羅斯等命」(つぬがあらしとのみこと)です。
古代朝鮮、任那の皇子で、崇神天皇の御代に氣比の浦に上陸して貢物を奉ったと云います。

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この「都怒我」が「角鹿」、そして「敦賀」となったとしています。
武内宿禰がイルカを賜った時、血の匂いが臭く、そこを「血浦」と呼んだことが敦賀の由来だとする伝承もありますが、角鹿説のほうが正しいでしょう。
そしてこの「都怒我阿羅斯等」は神功皇后の先祖である「天日槍」と同一神であるという話です。

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そして東の境内に【土公】という聖地があります。

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凛々しい狛犬は、まるでスフィンクスのようです。

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狛犬の先には

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お賽銭箱が。
ここは遥拝所になっています。
何を遥拝しているのか?

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それはなんと、小学校の校庭にありました。

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「土公」とは、古来より「触るべからず 畏み尊ぶべし」と社家文書に云い伝えられている、氣比之大神降臨の地だそうです。

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伝教大師・弘法大師の両者がここに祭壇を設け七日七夜の大業を修したところとも伝えられるそうです。

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「土公は陰陽道の土公神の異称で、春は竈に夏は門に秋は井戸に冬は庭にありとされ、その期間は其所の普請等を忌む習慣があったが此の土砂を其の地に撒けば悪しき神の祟りなしと深く信仰されていた」と伝わります。
これほどの聖地が、なぜか戦後の都市計画法で学校用地として譲渡されてしまったとのことです。
幸い土公はかろうじてそのままの形で残されたようです。

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この土公は、「彦火々出見尊」の墓であり、「豊玉姫」の墓は「罔象女宮」(京都の貴船神社)にある「御船形石」だという話もあります。

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氣比神宮から近いところに「氣比の松原」があります。

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氣比の松原は、静岡県にある「三保の松原」、佐賀県にある「虹の松原」とならび、日本三大松原の一つとしても有名です。

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松原としては虹の松原の方が大きいようですが、ぜひ敦賀に来たら、ここに訪れた方が良いです。

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なぜなら魚が美味しいから。

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食べ物の神様にあやかって、恵みの幸を頂きましょう。

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【山津照神社】
敦賀から奈良へと向かう途中、琵琶湖に面した滋賀県米原市顔戸に、こんな石碑が立っています。
そしてとなりには、

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「息長宿禰王」が娘の「息長帯比売」(神功皇后)を抱く像があります。
ここは、神功皇后が生誕した場所です。

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そしてそこからほど近い、米原市能登瀬に「山津照神社」があります。

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山津照神社に向かう手前に「青木神社」という摂社がありました。

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山津照神社は中世は「青木の宮」と称せられ、今も「青木さん」と地元の人に親しまれているそうです。

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ご祭神は「国常立尊」(くにのとこたちのみこと)。
鎌倉中期に後鳥羽天皇が宝剣を奉納したと伝えられます。

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境内に参道拡張工事で発見された前方後円墳の「山津照神社古墳」があります。

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この古墳は、息長氏一族で神功皇后(じんぐうこうごう)の父、「息長宿禰王」(おきながすくねおう)の墳墓ではないかといわれ、横穴式石室から鏡・埴輪・金銅製具・馬具・刀など多くの副葬品が発掘されています。

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山津照神社はとてもひっそりとしていました。

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拝殿へ続く境内はとても清浄で美しいです。

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拝殿や本殿もとても綺麗に整えてあります。

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本殿へと続く回廊も解放されていて、玉垣の中へも入れるようになっていました。

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とても静謐です。

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懐かしい空気が流れていました。

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神功皇后は開化天皇の曽孫の「息長宿禰」を父に、天日槍の末裔「葛城高額媛」(かつらぎのたかぬかひめ)を母に生まれます。
開化天皇は出雲系の大王「大日々王」のことです。
太古に因縁のあった出雲と日槍の系統が結びつき、息長帯比売は生まれたことになります。

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彼女はこの景色の中で、両親の愛に包まれて幼年を過ごしたことでしょう。

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