英彦山:下津宮〜中津宮〜産土神社〜上津宮:秦ノ千々姫 02

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さて、いよいよ英彦山登頂へ向けて出発です。
ずっしりとした石の階段を、一歩一歩踏み出します。

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すぐに英彦山「下宮」に至ります。

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「下津宮」とも呼ばれ、「速須佐ノ男命」(はやすさのおのみこと)、「神武天皇」、「大国主命」を祀ります。

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下を見ると、奉幣殿の滑らかな屋根が見えています。

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近くに小さな祠があり、独特の空気が流れていました。

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英彦山を登っていると、このような小さな祠が、壊れたものも含めて多数あることに気付きます。

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英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山なのです。

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登っていると、いきなり鎖場がありました。

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そこからまた石段を登り、

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石段を登って、

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石段を登ります。

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あまりの急勾配と、一つの石段の高さに息を荒げていると、そっとこちらを覗き見ているやつもいました。

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昼間でも薄暗い、小高い森、

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そこにモンスターのような、歪な杉があります。

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そして再び登ります。

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途中には石段が崩れたところもあります。

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足場の悪さによろめきながらも進むと、また鎖場がありました。

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英彦山は、石段か、石段が崩壊したような岩場か、鎖場しかない山と言ってもいいくらいです。

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とにかく重い体に悲鳴を押し殺しつつ進むと、少し坂がなだらかな場所がありました。

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「中津宮」の標識があります。

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見えてきました。

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石の祠、中津宮です。
御祭神は「市杵嶋比賣命」(いちきしまひめのみこと)、「多紀理比賣命」(たぎりひめのみこと)、「多岐津比賣命」(たぎつひめのみこと)、
いわゆる宗像三女神です。
豊前國宇佐島(宇佐神宮)から遷座したと伝えられます。

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中津宮から山頂方面を望むと、枯れた立派な杉の木が目に入ります。
ここは英彦山5合目に当たる場所だと云います。

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英彦山上津宮の御祭神はアマテラスとスサノオの誓約(うけい)から生まれた一柱「天忍穂耳命」(あめのおしほみみ)となっています。

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天忍穂耳命が降臨するこの山は、「アマテラスの子の山」、「日の子の山」即ち「日子山」(ひこさん)と呼ばれるようになりました。

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その後、嵯峨天皇の詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、霊元法皇より、天下に抜きん出ている霊山として「英」の美称を許され、英彦山と改称されたと云います。

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相変わらずアップダウンのある山道が続きます。

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時折現れる平坦な道は、息を落ち着かせて、ひとときの安らぎを感じさせてくれます。

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ただ、不思議なことに、中宮までの参道はひたすら体が重く、登ろうとするこの体の前に重力の壁があるようでしたが、
中宮から先は、ぐっと足が軽くなったように感じました。

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8合目ほどになってくると、立ち枯れた巨木の姿が増えてきます。

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山頂付近に立つ巨木は、雷も落ちやすいのでしょう。

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道々には祈りの痕跡が続きます。

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佐賀藩の鍋島何某が落ちたという断崖がありました。

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落ちたら痛そうです。

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随分高いところまでやって来ました。

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「関銭(せきせん)の跡」というのがあります。

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ここで通行税のようなものを徴収し、お偉い人も籠・馬を降りて参拝したと云います。
ってか、ここまで馬や籠が人を運んで来ていたことに驚きです。

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先には何やら文字のようなものが彫ってあります。

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山頂までほど近いところに「産霊神社」(むすびじんじゃ)があります。
御祭神は「高皇産霊神」(たかみむすびのかみ)です。

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英彦山の主祭神は天忍穂耳命となっていますが、実は本来の主祭神は、この高皇産霊神だったと云います。

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高皇産霊神は「天之御中主神」(あめのみなかぬしのかみ)、「神産巣日神」(かみむすびのかみ)と合わせて造化三神(ぞうかさんしん)と呼ばれています。
造化三神は天地が混沌とし、世界が誕生する「天地開闢」(てんちかいびゃく)の時に現れた神で、
天之御中主神は記紀の最初に出たきりで後はほとんど記述がない神です。
神産巣日神も記紀には最初にしか出てこない神ですが、出雲風土記などでその活躍が見られ、大国主が兄神らに瀕死の仕打ちを受けた時に助けを出したり、
また記紀では大国主は天津神に国を譲りますが、出雲風土記では譲らず、大国主の国造りを成し遂げた褒美として神産巣日神が全国の神々を集め出雲大社が造られたと伝えています。

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高皇産霊神は記紀においても度々、重要な場面で登場しています。

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日本の最高神は天照大神という認識が強いと思いますが、実は出雲の国譲り、天孫降臨、神武東征など、神話史の中の最重要場面で高皇産霊神が登場します。

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高皇産霊神は常に天照大神のそばにいて、サポートし、時には天照大神を差し置いて数多の神々に指令を下しています。

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高皇産霊神の「ムスビ」は、「ムス」+「ヒ(日)」であるとして太陽神と見る向きもあります。
また高皇産霊神は別名を「高木神」(たかぎのかみ)といいますが、これは樹霊信仰を表すとともに、天に伸び、太陽へと続くものを表すと説く人もいます。

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神を数える単位は1柱・2柱といいますが、これにも高木神は関係しているのかもしれません。

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産霊神社の裏手には、荒涼とした野原が広がっていました。

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いよいよ最終の結界に踏み込んだようです。

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ここからは景色が一変します。

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天空へと続く階段を登ります。

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記紀によると、高皇産霊神(高木神)には6人の子がいました。
「思兼神」(おもいかねのかみ)や「萬幡豊秋津師比売 / 栲幡千千姫」(よろづはたとよあきつしひめ / たくはたちぢひめ)達です。

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このうち、娘の萬幡豊秋津師比売は、天照大神の息子「天忍穂耳命」と結婚し、「天火明 / 饒速日命」(あめのほあかり / にぎはやひのみこと)や「邇邇芸命」(ににぎのみこと)らを産んだと云います。

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そして英彦山の伝承では、高皇産霊神は、義理の息子である天忍穂耳に自身の聖域を譲り渡したのです。

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そこは荒涼とした風景が広がっています。

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標高1000mを超える天空の世界は落雷も多く、木々は背を低めています。

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この英彦山を中心として、筑前から豊前にかけて、高木神を祭神とする「英彦山神領四十八大行事社(高木神社群)」と呼ばれる末社群が存在しています。

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そこは渡来の一族「物部氏」が根付いた土地でした。

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記紀に記された造化三神は、空気のような存在として形状も曖昧です。
それらの神が何者を現しているのか、長らく謎でしたが、ついにそれが判り始めました。

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少しずつ露わになってきた真実を線で結んでいくと、古代日本の隠された歴史が見えてきます。
英彦山は物部の神の聖地であり、いわゆる「高天原」だったのではないかという思いが、胸に強く感じられました。

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最後の階段を登ります。

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本当によくぞここまで、これだけの石を運んだものです。

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社殿が見えて来ました。

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「英彦山神宮・上津宮」です。

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今は天忍穂耳命を祀ります。

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しっかりとした文字の扁額が掛けられています。

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時がとまったかのような堂内。

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聖地は静かに、そこにたたずんでいました。

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