春日神社・田川:秦ノ千々姫 04

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田川市宮尾町に「春日神社」があります。
ここはその名の通り、8世紀から藤原氏の荘園守護神としてあがめられてきた古社だということです。

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古社とは言いながら、鳥居や境内の雰囲気は真新しく感じられ、補修整備が行き届いた感じがあります。

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春日といえば「鹿」です。
本家奈良の春日大社では、鹿は神の遣いになっています。

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これは藤原氏が、常陸の氏神を春日大社に勧請した時、鹿に乗ってやって来たことに由来しています。

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そう春日神社といえば、「藤原氏」なのです。

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神社のいたるところには、藤原氏ゆかりの神紋である「藤の紋」があしらわれています。

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由緒によると、神社の鎮座は775年までさかのぼり、古くからこの地を治めた弓削氏が、常盤山と呼ばれた現在の場所に、藤原氏の氏神である春日大社(奈良市)から分霊を勧請(かんじょう)し、氏神の弓削大神と合祀(ごうし)したのが始まりだと云います。

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祭神を見てみます。
「武甕槌命」は藤原氏が信奉する神です。
「天津児屋根命」は藤原鎌足が養子に入った先の中臣家の神です。
この二神はわかります。

「姫大神」は豊前に強大な王国を創り上げていた豊王国の卑弥呼、「豊玉姫」のことであろうかと思います。
そして「布都主命」と「豊櫛弓削遠祖高魂産霊命」(トヨクシユゲノトウソタカミムスビノミコト)は物部氏が祭祀する神です。

豊櫛弓削遠祖高魂産霊命とは高皇産霊神、いわゆる高木神が最も長い名で祀られているということになります。
この名は弓削氏が高木千々姫の子孫であり、ここで弓矢などの武具を扱う役職にあった一族であることを示しているようです。

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またこの地は「饒速日尊」の降臨伝承地であるとも伝えられ、当初は「鷹」の神紋を有した物部系の聖地であった可能性が濃厚です。  
後に勢力を誇った藤原氏によって、祭神が加えられたものと思われます。

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田川は「鷹羽」が名の由来と聞いていますが、あるいは千々姫の「栲幡」(タクハ)が鷹羽となり、祭祀と武勇で知らしめた物部族のシンボルとなっていったのかも知れません。
渡来の王「饒速日」は国を捨て、帰化して生涯を終えた地が日本でした。
その土地に母親の名を付け、ここが我らが祖国だと、一族の者たちに指し示したのではないかと、風そよぐ里に思いを馳せました。

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