武内神社

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武雄市武内町にある「武内神社」に訪れました。
すぐ横には武内小学校があり、この一帯が武内の集落であることがわかります。

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鳥居の扁額には「大明神」の文字。

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小さな集落の村社にしては、広い境内に驚きます。

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境内に建つ建物類も立派で、地域の人たちに愛されている神社であることが伺えます。

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一段高いところに拝殿と本殿が鎮座します。

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不老長寿の謎の人物「武内宿禰」は、数代の武内氏の総称であることが、そのカラクリでした。
当社も武内氏に関係した重要人物を祀る神社であると思われます。

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が、この武内神社の創建や由緒に関しては、記録が失われ分かっていないということです。

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初代武内宿禰とされる「武内大田根」は、九州物部イニエ王(崇神天皇)の重鎮「彦布都押」(ひこふつおし)と、高倉下の末裔で紀国造の「山下影姫」との間に生まれます。
当時、「宿禰」という役職は、物部族の重鎮に与えられる称号で、「臣」は出雲王家の血族に与えられる称号でした。

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武内宿禰の代のうち、もっとも活躍が有名なのは、神功皇后のパートナーだった「武内襲津彦」です。
が、ここ武雄や武内地区では神功皇后の伝承よりも、武内宿禰の伝承がメインだったり、単独であったりと皇后の痕跡はとても希薄です。
つまりここは襲津彦よりも以前の、武内家の史跡である可能性が濃厚です。

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ここからほど近い場所には影姫を祀る「黒男神社」もあり、武内宿禰の祖、大田根の父である「彦布都押」を祀る神社が、当社「武内神社」ではないでしょうか。

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本殿の奥に、何かただならぬ気配を感じます。

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安易に近寄るものを憚るように、そこはありました。

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天照大神を祀る石塔を中心に、無数の石の祠があります。

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一体ここは何なのでしょうか。

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未だ多くの謎を残して、武内神社は鎮座していました。

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3件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    壬申の乱でしたっけ?

    物部と組んでいたのが中臣家
    蘇我系と組んでいたのが忌部氏

    その様に捉えています

    (しかし、武内家が男系物部であるとするのであれば、物部氏は勝った方にも負けた方にも影響力を残していた事になります)

    結局は親戚同士が一番揉めるのはみんな一緒なんでしょうね。

    いいね: 2人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110
    Googleで武内神社を検索すると、なんと第六天より数が多いのに驚きました

    それと、分布が中臣家の領域とほぼ重なります

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      中臣が武内社を広めたのですかね。
      両者に関連があるようにも思えませんが、藤原本家に対抗するためでしょうか。

      いいね

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