飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社

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皇極元年(642年)、世には未曾有の日照りが続き、農作物が枯渇した。
人々は飢えに苦しみ、河原や道端にも死骸が溢れていた。
蘇我入鹿は先に雨乞いの儀式を試みたが、少ししか雨が降らない。
ついに皇極天皇が四方拝して雨乞いを決行した。
するとにわかに暗雲立ち込め、雷鳴とともに大粒の雨が降り出した。
雨はしばらく降り続け、大和の大地に、久方ぶりの恵みをもたらした。
その様子を見た人々は大いに喜び、天皇の徳を称えた。

ー 日本書紀 ー

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「奥飛鳥」と呼ぶに相応しい、明日香村の山奥に、「日本で一番古い雨乞い伝説が残る神社」があります。
「飛鳥川上坐宇須多伎比売命神社」(あすかかわかみにいますうすたきひめのみことじんじゃ)です。
「日本一長い名前の神社」でもあるということです。

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参道の入り口に立つと、その急で長い石段に、心がポッキリ折れてしまいます。
先の見えないその階段は約160段ほどあると言いますが、見た目はもっと壮絶です。

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折れた心を根性という名のギプスで支え固め、なんとかよじ登ります。
でもその先もまた坂道が続くという試練。
が、その先には素晴らしい聖地が待っていました。

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そこはひっそりと、石垣の上にありました。

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神さびて、威風醸し出す拝殿が鎮座します。

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箱庭のように、わずかに広がる境内。

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ここの主祭神は「宇須多伎比売命」(うすたきひめのみこと)であり、飛鳥坐神社の御子神、大国主命のお妃と伝わっています。
また「臼瀧姫」とは「下照姫命」のことだと云います。

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飛鳥坐神社の真の祭神は出雲9代「鳥鳴海」王ですので、御子神と言えば「国押富」王となります。
下照姫命は大国主命と八上姫の娘「木股姫」になります。
大国主の妃といえば、あとは宗像の「多伎都姫」になります。
個人的には多岐津彦の子孫あたりが、多岐津彦の祖母に当たる多伎都姫を祀ったのではないかと思ったりします。

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本殿はなく、裏に門があり、後方の「南渕山」を御神体として拝する形式です。
つまり、三輪の大神同様、古い原始の山岳信仰の形態になります。

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鎮座地では、皇極天皇がここで雨乞いをしたのではないかと伝えられています。
平安時代以降、当社は衰微しており、近年までは宇佐八幡宮とも呼ばれていました。
明治初年まで雨乞いのナデモ踊「本なもで」が興行されていたと云われています。

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