出雲市知井宮町に「智伊神社」(ちいじんじゃ)があります。
当地は西出雲王家「神門臣家」の領地内にありながら、他の出雲系神社とは異質な雰囲気を持っています。
『出雲風土記』にある「知乃社」に比定されるという当社、
御祭神は「高皇産霊神」です。
古来、出雲大社と関連があり、大社の神宝保管の役を務め、大社遷宮の時は古材が下附されたと云います。
早朝に訪れましたが、地元の方数人が参拝に訪れていました。
境内もきれいに掃き清められ、地元民の崇敬厚い聖地であることがわかります。
社紋も独特です。
富家の伝承では、ここは元、神門臣家の宮殿があった場所のようです。
東征軍の将軍の一人である宇佐家出身の「菟上王」は、焼けた宮殿跡に九州式の建物を建てて、占領軍として滞在したと云います。
神門臣家の振根は北の王宮跡に残って奮戦した、とありますので、振根が戦死したのが当地かもしれません。
ただし、「当社は往古、現在地の東北1.5キロ、字東原の多門院に隣接する地にあり」と記され、やや北の地から遷宮されたようです。
御祭神も、宇佐家が祀ったなら、それは「豊玉姫」であったろうと思われましたが、彼女の存在は後の権力者に隠されていますので、当社も物部の祖母神に変えられたのだと思います。
境内にはいくつかの摂社がありましたが、
その一角の稲荷社だけは近寄りがたい雰囲気を醸し出していました。
確か、私の気が確かならwここには大社の鍵を受け取る神事が行われていた場所で、別火家の投影が感じられる神社だったと記憶しています。
他にも大社社宝を管理するお役目があったとも。
大社の古材を下賜されるということは、本来の意味がある千木は失われているという事なのでしょうね。
いいねいいね: 1人
智伊神社は出雲でも特異な雰囲気のある社だと感じました。それが豊系であるか、と言われれば、それとも若干違っているような。
長い年月のうちに、いろいろ混ざっているのではないでしょうか。
narisawaさんの気は確かでしょう(笑)
いいねいいね