宗我座宗我都比古神社:八雲ニ散ル花 65

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宗我座宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ / そがにいますそがつひこじんじや)は、奈良県橿原市曽我町にある古社です。

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継体大王が北陸の人々を移住させて、曲玉や管玉を作らせた場所とされる「曽我玉作遺跡」の中にあると聞いていましたが、そこは思いっきり住宅街のど真ん中でした。
当地から南方に少し下ると、忌部氏一族が住み込み玉造りを行ったとされる忌部町「天太玉命神社」があります。

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祭神は「曾我都比古神」(そがつひこのかみ / 宗我都比古神)、「曾我都比売神」(そがつひめのかみ / 宗我都比売神)となっています。
創建は不詳とされていますが、富家の伝承では、継体大王の御子「カナヒ」大王が神社を建て、父を祀ったと伝えていました。

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宅地にして広めな杜を背に、社殿が建っています。

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オホド大王が造らせた玉類は、豪族が珍重し欲しがり、それにより豪族との結びつきが深まり、蘇我王朝の安定につながったと云います。
533年2月に、カナヒ君が68才で即位し、「安閑」大王となりました。
カナヒ大王は、継体大王の勾玉製作の工房群のある地に、都を造りました。
そこは「勾金橋宮」(まがりのかなはしのみや)と呼ばれました。

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カナヒ大王は仁賢大王の姫「春日山田姫」を皇后に迎えましたが、御子に恵まれなかったそうです。

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先君の御代と同じく「巨勢臣男人」を大臣とし、「大伴連金村」と「物部連荒鹿火」を大連と呼び、重臣とします。

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治世2年には、岩井の反乱に加担した筑紫国に、穂波と鎌の2つの屯倉を造り、豊国には桑原などの3つの屯倉を、火国には1か所の屯倉を造りました。

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彼の後に「石川臣(巨勢臣)稲目」がおり、その子に「石川臣麻古」、「境部麻里勢」がいますが、その麻古が記紀に「蘇我馬子」と記された人物です。

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