太宰府天満宮・天神伝 / 人

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今や年間800万人が訪れるという「太宰府天満宮」。

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数ある天満宮、数ある神社を見ても、これほど年中参拝者で賑わう神社は稀です。

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そこに祀られるのは言わずと知れた「菅原道真」(すがわらのみちざね)。
学問の神様として広く認知され、受験シーズンには日本中から祈願者が訪れます。

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道真公が「学問の神様」と云われる所以のひとつに、元慶元年(877年)の10月18日に、33歳の若さにして当時学者の最高位であった「文章博士」(もんじょうはかせ)になったことが挙げられます。

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これにちなみ、太宰府天満宮では、毎年10月18日に「特別受験合格祈願大祭」が斎行されます。
この期間、登龍門の伝説にならい「飛龍天神ねぶた」が楼門に掲げられます。

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本殿の欄間(らんま)をよく見ると、桃山時代のものと云う、鯉の背に乗り登龍門へと向かう道真公の姿が彫刻されています。

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「膺は声明をもって自らを高しとす。士有り、その容接を被る者は、名付けて登龍門となす」
『後漢書』李膺伝に語られた故事に由来する登龍門の伝説では、龍門の地にある険しい滝を飛び越えた鯉だけが龍になると云われ、難関を突破して成功へ至ることわざに例えられます。

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太宰府天満宮のおみくじは、季節などによってその色・デザインが変わりますが、特別受験合格祈願大祭の期間は濃い水色と登龍門をイメージしたデザインになっていました。

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さて、歴史的天才だった菅原道真。
しかし何故、彼は『神』となったのか?
実在性が高い人物を神として祀った神社は、建勲神社・豊国神社・日光東照宮など数ありますが、「真に神として祀られた人物は数少ない、その一人が菅原道真である」と言う話を聞いたことがあります。
極めて優秀だったとはいえ、いち文人がどうして『神』になりえたのか?
僕なりの答えは、それはやはり『出雲』にあったと言わざるを得ないのでした。

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太宰府天満宮には、ほとんどの人が素通りしていますが、道真公を物語る資料館が2つ存在します。
一つは楼門横の「宝物殿」。

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もう一つは本殿裏手にある「菅公歴史館」です。
そこにある展示物を交えて、菅原道真の生涯を見てみようと思います。

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時は平安時代、菅原道真は承和12年6月25日(845年8月1日)に「菅原是善」(すがわらのこれよし)の三男として生まれ、 延喜3年2月25日(903年3月26日)に大宰府で亡くなったとされます。

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道真は幼名を「阿呼」(あこ)とし、後に「吉祥丸」へ改名しています。
幼少の頃より優れた才覚を見せ、5歳の時に

「美しや 紅の色なる梅の花 阿呼が顔にも つけたくぞある」

と和歌を詠みます。

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また道真は11歳の時、『月夜見梅花』(げつやにばいかをみる)と言う漢詩も詠んでいます。

「月耀如晴雪(げつようせいせつのごとく)梅花似照星(ばいかしょうせいににたり)可憐金鏡転(あわれむべしきんきょうてんじて)庭上玉房馨(ていじょうにぎょくぼうのかおれるを)」

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道真の出生に関しては、奈良の喜光寺の寺伝によれば、奈良市菅原町周辺で生まれたとされています。
しかしそれは数ある説の一つに過ぎず、実際は謎とされます。
十一面観音菩薩を安置する高松山天門寺の菅生池の菅の中より忽然と化現したとか、伊勢神宮外宮の豊受大御神に祈願して生まれたのが道真だとか、梅の種より生まれたとか。
滋賀県琵琶湖畔にある余呉湖に伝わる伝説では、羽衣を隠され天界に帰ることができなくなった天女が産んだのが道真であると伝えています。

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出雲の「菅原天満宮」に伝わる話では、菅原是善が先祖の野見宿禰の墓参りをした際、案内してくれた現地の娘を寵愛し、生まれたのが道真だと云います。
これが正しく、道真が野見宿禰の子孫であるとするなら、彼が『神』となった理由も見えてきます。

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やがて青年へと成長していく道真。
彼が秀でていたのは学問だけでなく、武芸、特に弓道にも優れていたと云われています。
矢を射れば百発百中、また大蛇を自ら矢で射て退治したという逸話もあるようです。

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道真は刀剣にも興味を持ち、宝剣「天國」、宝刀「神息」、神刀「猫丸」・脇差「小猫丸」、毛抜形太刀、など様々な太刀を常に佩刀していたと云い、河童の大将や大鯰を斬り殺したという逸話までも伝えられています。

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道真は貞観4年(862年)、当時難関とされた文章生(もんじょうしょう)の試験に18歳の若さで合格します。
貞観9年(867年)には文章生のうち2名が選ばれる文章得業生となり、貞観12年(870年)方略試に合格。
貞観16年(874年)民部少輔に任ぜられ、元慶元年(877年)、世職である文章博士に任ぜられました。
道真33歳のことです。
元慶4年(880年)父である菅原是善が没すると、菅原家の私塾である「菅家廊下」(かんけろうか)を継ぎ、京文人の中心的存在となっていきました。

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仁和2年(886年)、道真は讃岐守という地方官として讃岐に赴任することになります。
道真は家族と離れる寂しさもあり、詩人として片田舎の感性の違いに、当初は戸惑ったそうです。

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しかし、自ら酒を醸して酒宴を催したり、民の悲惨な実情を見分し、村人と親交を深め、善政を執り行いました。
仁和4年(888年)、讃岐の大旱魃では道真が七日七晩祭文を読上げ、見事雨に恵まれたという伝承も伝わります。

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そのような中、仁和4年(888年)「阿衡の紛議」(あこうのふんぎ)が起こります。
宇多天皇の時世、「藤原基経」(ふじわらのもとつね)が自分の望む役職に就くために仕事をボイコットしたという事件です。
これは平安時代には、天皇よりも強大な権力を藤原氏が持ち始めていたということを象徴する出来事でした。
この時、藤原基経に意見書を届けて事態を収めたのが菅原道真でした。
寛平2年(890年)、道真は讃岐より帰京することになります。

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この事件をきっかけに、宇多天皇は道真を、「藤原氏ではない優秀な人物」として重用することになります。

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藤原基経が高齢に差し掛かった頃、彼の息子たちは未だに朝廷内で有力な存在になれていませんでした。
そして891年、ついに基経は亡くなってしまいます。

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宇多天皇は897年に出家し、醍醐天皇へと譲位し宇多法皇となります。
その後も法皇・天皇共に信頼の厚かった道真は、昌泰2年(899年)には右大臣にまで昇格します。
代々学者としての家柄であった道真が、天皇の片腕とも言える右大臣にまで昇進したというのは、当時の人々から見れば尋常ではない出来事です。
この時、藤原基経の息子達の中で唯一権力を培っていた「藤原時平」(ふじわらのときひら)も左大臣にまで昇進していました。
このような法皇・道真と藤原氏が睨み合う、険悪空気の中、昌泰4年(901年)、「昌泰の変」(しょうたいのへん)が起こります。

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廷臣たちの間に、道真の破格の昇進に対して妬みが渦巻く中、醍醐天皇に「道真が天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」と誣告(ぶこく)され、道真はあらぬ冤罪をかけられ大宰府へ左遷させられることになったのです。
宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会してとりなそうとしますが、天皇は面会しなかったと云います。

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この讒言をした人物は、藤原時平とされていますが、宇多上皇と醍醐天皇の対立に道真が巻き込まれたとする説など諸説あるようです。

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道真の家族については、長男の高視を初め、子供4人が流刑に処されたとされますが、正室「島田宣来子」(しまだのぶきこ)は岩手県一関市東山町に落ち延びたという伝承もあるようです。

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