和氣神社:八雲ニ散ル花 龍宮ノ末裔篇 番外

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「我獨慙天地」(われひとりてんちにはず)

………

「道鏡様を皇位にお就かせになれば天下太平となると、宇佐八幡神のご神託にございます」

神護景雲3年(769年)7月、大宰府の主神(かんづかさ)・中臣習宜阿曾麻呂は重臣が集まる中、称徳天皇に奏上した。道鏡はこれを聞いてにやりほくそ笑むと、立ち上がって自らが皇位に就くことを宣言した。

道鏡は奈良時代の僧であった。俗姓は弓削氏で、物部の一族とされている。
称徳天皇は道鏡を寵愛していたが、しかし皇族でも無い者に皇位を継がせることに一抹の不安を感じた。

「広虫をここへ」

藤野別広虫(和気広虫)は葛木連戸主に嫁いだが、30余歳で未亡人となり出家。法名を「法均尼」(ほうきんに)と言った。

「そなた、宇佐八幡宮へ赴き、此度の神託を再度確認しておくれ」
「畏れながら申し上げます。私は虚弱であり、長旅を勤めることは叶いません。代わりに弟の清麻呂を宇佐八幡宮へ赴かせ、必ずや神託を確認させましょう」

そうして和気清麻呂は宇佐へ旅に出ることになった。
この清麻呂の出発にあたって、道鏡は彼を呼び止めた。

「清麻呂、吉報をもたらし儂が帝となれば、お主を大臣にすることも容易いぞ。が、違えば行く末はどうなるか分からぬぞ」

一方で道鏡の師である路豊永にも引き止められた。

「道鏡が皇位に就くようなことがあれば、私は面目なくて臣下として天皇に仕えることなど到底できない。清麻呂殿、八幡神の真意をどうぞお頼み申します」

清麻呂は主君のために命令を果たす気持ちを固めて八幡宮に参宮した。

「与曽女様、どうか大神に先の神託の真意を問うてくださいませ」
「ああ、だめです。神は帝の宣命をお聞きになることを拒んでおられます」

清麻呂が奉った宝物が並ぶ祭壇で、禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)は顔を苦悩に歪めた。

(何かおかしい)
「与曽女様、今一度大神に宣命をお聞きくださるよう、何とぞ、何とぞ」
「ああぁあぁああぁ…」

すると身の丈3丈の満月のような形をした大神が出現した。

『我が国は開闢(かいびゃく)以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし』

清麻呂は覚悟を決め、この神託を朝廷に持ち帰り称徳天皇へ報告した。
これを聞いた道鏡は怒り、清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させて足の腱を切らせ、大隅国へ流罪とした。

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鹿児島県霧島市の山中にある「和氣神社」(わけじんじゃ)を訪ねました。

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嘉永6年(1853年)、鹿児島藩第11代藩主・島津斉彬がこの地に松を手植えし、側近の八田知紀に命じて調査を行わせたところ、当地で和気清麻呂公の遺跡が発掘され、ここが和気公の配流地であったことが確定しました。

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昭和14年(1939年)に和気清麻呂公精忠顕彰会が和氣神社創建の請願を行い、18年に起工しましたが、実際に鎮座したのは戦後の昭和21年(1946年)3月だといいます。

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祭神はもちろん「和気清麻呂公命」。

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道鏡の怒りを買った清麻呂は大隅国へ流罪となりました。
しかし神護景雲4年(770年)8月に称徳天皇が崩御、後ろ楯を無くした道鏡が失脚します。
すると、9月に清麻呂は大隅国から呼び戻されて入京を許され、翌宝亀2年(771年)3月に従五位下に復位し、9月には播磨員外介に次いで豊前守に任ぜられて官界に復帰しました。

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冠位をはがされた道鏡は下野国薬師寺別当として赴任させられましたが、宝亀3年4月7日、その生涯を閉じたと云います。

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慶応2年(1866年)、寺田屋で傷を負った坂本龍馬はその療養を兼ねて、妻のお龍と共に霧島を訪れました。
その際に、この和氣神社を参拝したことを龍馬は姉への手紙に記しています。

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「霧島山の方へ行道にて日当山の温泉に止マリ、又しおひたしと云温泉に行。此所ハもお大隅の国ニて和気清麻呂がいおりおむすびし所、蔭見の滝其滝の布ハ五十間も落て、中程にハ少しもさわりなし。実げに此世の外かとおもわれ候ほどのめづらしき所ナリ。此所に十日斗も止りあそび谷川の流にてうおゝつり、 ピストヲル 短筒をもちて鳥をうちなど、まことにおもしろかりし」

(姉・乙女へ書き送った書簡/慶応2年12月4日 )

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拝殿の前には、狛犬ならぬ狛猪が鎮座しています。

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道鏡に足の腱を切られた清麻呂は立つこともできなくなっていましたが、八幡神に拝礼しようとして輿に乗って出発したところ、豊前国宇佐郡楉田村(現在の大分県宇佐市和気近辺か)に至ると、300頭の野猪が現れて道を挟んで列をなし10里ばかり前駈して山中に走り去りました。
これを見た人々は不思議なことだと思ったそうですが、暗殺を謀って送られた道鏡の刺客から、猪が公を守ったのだとも言い伝えられています。

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そして無事、宇佐八幡宮に参拝すると、清麻呂はすぐに立って歩けるようになり、「往路は輿に乗って出発したが帰路は馬を駆って帰還した。これを見て驚かない者はなかった」と云うことです。

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さて、重要なのは、国の行く末さえも左右する道鏡の企みに対する神託を、なぜ宇佐八幡神に求めたのか、なぜそれは伊勢神宮ではなかったのか、ということです。
つまりこれは769年頃の日本では、全国の神社を差し置き、国政を占うほどの重要な地位に和氣宇佐神宮が選ばれていたことを示唆しています。

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それもそのはず、絶大なカリスマであった邪馬台国の卑弥呼とされる宇佐の豊玉姫が眠る龍宮であるなら、それも納得なのです。
辛嶋勝与曽女が神託を求めると、そこに現れたのは身の丈3丈(約9m)の満月のような形をした大神だったと云います。
これはつまり、月読神のことです。

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このような伝承の断片にすら、富氏の邪馬台国・宇佐説を思わせる記述があるのは、本当に感慨深いものでした。

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和氣神社の境内には、平成20年5月25日生まれの「和気ちゃん」という白い猪も飼われていました。

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「我独り天地にはず」
配流にあたり、「世の人がどうであれ、私は天地に恥じることのないよう誠の道を歩むのみ」と歌った和気清麻呂。
幕末の嘉永4年(1851年)、孝明天皇により和気清麻呂はその功績を讃えられて神階正一位と護王大明神の神号が贈られました。

『我が国は開闢(かいびゃく)以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし』
彼は皇統の断絶という日本最大の危機を救った人物として、今に名を残しているのです。

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4件のコメント 追加

  1. 8まん より:

    おおおお和気様は御存命でしたか。立派な猪だったと記憶。懐かしい。我濁、この御朱印が頂きたくてルート変更してまで向かった和気神社。
    まさかの白い猪にお目にかかれて感動モノでした。CHIRICOさんも遭遇したんですなあ。(笑)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      8まんさんも行かれたのですね。
      おっしゃるとおり、立派な猪でした。
      和気ちゃんは2代目らしく、花ちゃんだったかな、以前は1代目と一緒に暮らしていたようです。
      御朱印は坂本龍馬のやつですかね、あれは欲しくなります(笑)

      いいね

  2. CoccoCan より:

    和気ちゃん!! 白いイノシシ。美しい。イノシシは長寿なのですね。もう13歳!!

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      13歳の和気ちゃんはお元気で、うろうろ動いては愛嬌を振りまいていました😊

      いいね: 1人

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