これより北に薩都里(さつのさと)がある。古に国栖がおり、名を土雲(ツチクモ)と言った。これを兎上命(ウナガミ)が兵を挙げて誅滅した。その時に上手く殺せたので「福哉」(さちなるかも)と言った。これにより佐都(さつ)と名付けられた。
『常陸国風土記』
茨城県常陸太田市に鎮座の「薩都神社」(さとじんじゃ)まで足を運びました。
薩都里に伝わるという土雲の伝承を確認するためです。
薩都神社の祭神は「立速日男命」(たちはやひ をのみこと/速経和気命 はやふわけのみこと)ですが、この神が坐すところに村民が粗相をしたところ、神が祟りをなしたので、中臣鹿島連の祖・片岡大連が朝廷より派遣されて祭祀したと伝えられます。
住まいで勝手に他人が粗相を漏らせば、神ならずとも怒り祟ろうというものですが、片岡連が「穢れ多い里よりも高山の浄境に鎮り給へ」と願い奉ると、神は承諾して賀毘礼之峰に遷座したと云います。
更に大同元年(806年)に山が険しく人々の参拝が困難であるからと当地へ遷座し、里宮とされました。
この日は早朝に参拝させていただいたのですが、偶然氏子の方にお会いし、お話を伺った後に賀毘礼之峰とされる御岩神社に参拝することを勧められました。
そこで感じたのは、やはり薩都神社も御岩神社も、出雲系の祭祀の痕跡が濃厚にあったということでした。
つまり当地、薩都の里にいたという土雲族は出雲系の一族であると考えられます。
「ツチグモ」とは古代の日本において大和王権に恭順しなかった土豪たちを示す名称として語られます。
一般には「土蜘蛛」と書かれ、また同様のものとして「国栖」(くず)、「八握脛・八束脛」(やつかはぎ)、大蜘蛛(おおぐも)などとも呼ばれています。
「つか」は長さを示す単位であり、八束脛はすねが長いという意味なので、大彦(中曽大根彦)を長髄彦(ナガスネヒコ)と称したことに共通しています。
ツチグモの風貌は、『日本書紀』では「身短くして手足長し、侏儒(ひきひと)と相にたり」と形容し、山野に石窟(いわむろ)・土窟・堡塁を築いて住み、朝命に従わず誅滅される存在として記し、『越後国風土記』の逸文では「脛の長さは八掬、力多く太だ強し」と表現するなど、異形の存在として描写されます。
ではツチグモとはそのような悪しき存在であったのか?
それはすでに、僕の旅の中で完全に否定されています。
そもそも、土蜘蛛、蝦夷(エミシ)、など、朝敵を別称で呼ぶようになったのは物部王朝以降のこととなります。
彼らは秦国(斉)の末裔、つまり中華思想が根底にあります。
中華思想では自らが世界の中心であり、異国の民族を別称で呼ぶという考えがあります。
古代日本人も、現代日本人も、甚だ残念なことながらこの影響を受け、自分たちの母国の民・先祖に対して未だ蔑称を記すという愚行が行われています。
最近まで無知な僕もそうでした。
大和=倭、津島=対馬などもそうです。
自分はツチグモ族の末裔であると称する人でさえ、土蜘蛛という文字を使用し、自らの先祖を穢しています。エミシもそうです。
これまでの旅の中で僕が知ったのは、こうして蔑称で呼ばれる先祖こそ、誠に勇敢な真の日本人であったということです。
せめて彼らを尊厳ある文字で記したい、そう思って調べると古事記を書いた柿本人麿は同著の中でツチグモを「土雲」と表記してありました。
蜘蛛を雲に変えることで、彼らを「天地」(あめつち)と同意の高尚な名に昇華したのです。
さすが情緒深い彼なりの表現だと感心しました。
ですので、『偲フ花』では以降、ツチグモは「土雲」と表記していきます。
エミシは、というと、人麿はそもそもエミシという表記を使っていませんでした。
それで日本書紀を見てみると、太安万侶がそこに「愛瀰詩」と記しているのを見つけました。
愛瀰詩、さすがは堅物でセンスに乏しい彼らしい表記です。はっきり言ってちょっと恥ずかしい。
『偲フ花』では「愛瀰詩ノ王」のタイトルのみこの表記を使用し、文面では当面、カナでエミシと書くことにしました。
蔑称のほうがかっこいい、なんて風潮もあるかもしれませんが、それは間違いです。
先祖を語る上で、決して認めて良いはずはないのです。
薩都神社境内の数々の末社の中で、本殿裏に鳥居が設けられた社がありました。
「愛宕神社」です。
大きな木の裏に石の祠があります。
愛宕社は主として火伏せの神としてカグツチや母神・イザナミを祀ることが多いのですが、もとは側面・背面を意味する「アテ」に由来し、その神は境を守る神であったのではないかという考察があります。
つまりは愛宕社も塞の神的信仰が由来だというのです。
当地の土雲は出雲系の大彦の子孫であると僕は考えます。
また奈良葛城に残る土雲の伝承も出雲系大和族の人たちでしょう。
そして九州の土雲は、邪馬台国の女王・卑弥呼とされる宇佐王国の女王・豊玉姫の末裔たちです。
彼らは共闘したはずの物部王・イクメに裏切られ、皇子・豊彦は上毛国に追いやられ、皇女・豊姫は暗殺されてしまいました。
彼らが物部王朝に叛逆しないはずがありません。
しかし悲劇だったのは偉大な王・女王を失って、彼らの統制は分散していたこと、そして征伐にやってきたイクメの息子・景行帝は非情で、その軍勢があまりに強力だったことでした。
故に彼らは鎮圧され、ツチグモと歴史に刻まれることになったのです。
こんにちは。
大変お恥ずかしながら、「愛瀰詩」=「エミシ」と今、理解しました!
大彦のことを何か素敵に表現しているのだろうな〜、とか思って、読み方はわからないまま流してしまっておりました。
「土雲」→「あめつち」に繋がる。いいですね!人麿さすが!CHIRICOさんの解釈もさすが! 太安万侶と柿本人麿、それぞれのキャラが偲ばれてほっこりしました。
大体、「瀰」ってどういう意味?と思って見てみたら、「満ちる。はびこる。水が一面に満ち溢れるさま。」だそうですね。「愛瀰詩」、確かにちょっと暴走族か何かのような小っ恥ずかしさはありますが、出雲愛と理想に溢れた王様であった大彦を表現するには悪くないかもしれません!
それにしても、古事記や日本書紀が、なぜここまで物部優位に書かれなければいけなかったのかが、未だに腑に落ちていません。藤原氏の祖先がコテコテに物部に繋がるのなら納得しやすいのですが、まさかの出雲系に繋がるなんて。
「エミシ」や「ツチグモ」の表現については、不比等の時代の朝廷にとっても、従ってくれないし実は正しい血筋を持っているし、という悩ましい存在であったから徹底的に貶めたかったのかな、と何となく理解しているのですが。
物部系豪族への配慮かもしれませんが、出雲系や豊系の「エミシ」や「ツチグモ」が未だ侮れない存在であるのに対し、「聖徳太子」の時代に本宗家をぶっ潰した物部の方が安心して扱えたとか?
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れんげさん、こんにちは😊
エミシやツチグモに関する表記について、本来はもっと早く記載するつもりでしたが、タイミングがずれてしまい勿体つける感じになってしまいました。
人麿と安万侶の関係も、実は恐縮ながら間も無く出版されるであろう僕の本の中で記しています。著書に関しては『偲フ花』で特別記事を用意して、聖地巡礼の写真と補足を加えていこうと考えています。
愛瀰詩の「瀰」、そうですか!僕はそこまで考え及んでいませんでした。
安万侶も彼なりに、良い字を考えたんですねぇ。しみじみ。
二人を知れば知るほど、字は体をなすって感じですね。
記紀の元となったのは、天武帝の詔で制作が始まった『帝紀』と『旧辞』だといいます。
彼は公平で正しい歴史を記させるため、多くの氏族から編集委員を選出させましたが、そこに物部氏もいました。彼ら各氏族が自分の先祖を良く書くことを求めたので、いくら論議しても方針が一つにまとまらず、この編集委員は資料は集めたけれども、仕事は進行せず、史書の制作事業は事実上中止となったそうです。
その後、藤原不比等によって記紀が制作されるのですが、なぜ物部有利な歴史となっているのか僕も良く分かりません。
時の女帝・持統天皇は孫を後継にしたかったので、天孫降臨神話を作る上で、物部は都合が良かったのかも知れませんが。
しかし天皇家か藤原氏の裏に、まだ物部の力があったのではと考えた方が納得いきます。まだまだ闇は深いのかも知れませんね。
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本の出版は近いのですね!楽しみですー😆‼️
物部を滅ぼした「蘇我馬子」「蝦夷」、そして「入鹿」の扱いの酷さを思えば、仰る通り「天皇家か藤原氏の裏に、まだ物部の力が…」というのがやはり納得しやすいです。
特に藤原氏…、と思ってしまうのは、私の感覚的なものでしかないのですが😅。
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これまでいろいろありまして、じゃっかんのもやもやを残しての出版になりそうです。その分を『偲フ花』で補完していきたいと思っています。
富家の伝承は古代の資料がほぼ絶望的な中、とても貴重な鍵となります。しかしそれは決して多くを語っているわけではないので、さらに裏を読み解く必要がありますね。多くの歴史研究家が様々な情報を持ち寄って擦り合わせるしかないのですが、生涯を賭して研究したものを否定されるのを皆嫌うので、うまくいきません。
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💢
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ここに何度も、しかも時間をあけてまたコメントしてしまってすみません。
本については、CHIRICOさんがどんなところにモヤモヤが残ったのかということも含め、楽しみに思います♪
生涯を賭して研究したものを否定されるのを皆嫌う…それは、そう、ですよね…。
ところで、このやりとりをさせていただいて、久しぶりに「古事記の編集室」(今は「古事記と柿本人麿」なんですね)を読み返しまして、藤原不比等が目立ちすぎてスルーしてしまっていましたが、石上麻呂も持統サマに重用されていたのですね。記紀の物部偏重に関係している可能性、ありますかね。不比等がその他の仕事で忙しいのをいいことに入り込んでいたりして、とか思いました。
ちょっと藤原氏ばかりに疑いをかけたことを反省。でも、どうしても藤原氏は、漫画「応天の門」の通りのイメージなんですよね。私もあの漫画、大好きです。
持統サマの指示でどうせ歴史書は歪んだ内容になっちゃうし、不比等は自分は来し方なんてどうでもいい。それにこだわっている氏族全てを出し抜いて、これからは藤原にあらずんば人にあらず、にしてやるんだ、ということを考えていたのかな、なんて思ったりしました。
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😨😭
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藤原氏とは血塗れなのかと思ってた😨今度よく調べてみます…
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鎌足は多家の親戚筋として生まれ、宮中祭祀の座を担い始めたヒボコ・息長系の中臣御食子の養子になります。
多家は出雲系と海部・秦氏の血を受け継いでいると思われます。藤原氏の氏神である武甕雷は出雲系大和族・登美家の系図にその名があります。
しかしおっしゃるとおり、藤原は血まみれですよ。今も昔も、表舞台にのし上がるということはそういうことです😨
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れんげさん、いつもコメントありがとうございます♪
応天の門、道真の生涯をどこまで描くのか気になっています。確かに藤原氏といえば、あのイメージですし、多くの勢力を押しつぶして成り上がっていますのでそれは間違ってはいないでしょうね。
10月は少し出かけることもできそうですね。先が見通せない今、毎回これが最後の旅になるかも、という気持ちででかけています😅
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死に急ぐ旅😨どんな死なのだろうか?魂の死とか…
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行き倒れした場合、誰かが回収してくれるかもしれないが、一体誰がどうやって回収するのか誰も知らない…
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武器を持っていかないと狩られるかも。
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ただいま旅の途中です😄
行き倒れたら骨でも拾ってくれ😁
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大嘘つき。お前は部屋から出られない。お前は精神の病を治さない限り何も仕事が出来ない。まず心の傷を時間をかけて癒して下さい。
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いやいや、美味しい鯛めし食べたとこよ今♪
これから温泉ですぜ!
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鯛めしは食べてない。コーヒーしか飲んでない。食べれない。気が重くて何も食べれない。ただ、もし鯛めしがあれば必ず食べたい。私だって鯛めし食べたい。温泉は無理。ダッシュでシャワー浴びて頭洗うだけ😨
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小さな店でも経営なんてしてると、一日中店のこと考えてしまうので、たまには仕事を忘れないといけないんだよね。
ネコさんもリフレッシュ大事ですよ😊
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飯を適当に食い、お菓子とコーヒーを適度にいただいて下さい。読書をお勧めします。
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心がけます😅
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何処かの人々が、”狩って良し”と確信を持って判断しそうなシチュエーションの混沌の犯罪社会。真のネットユーザーはとても恐ろしい存在だったらしいが、私はその実態について噂すら聞いた事が無い。
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うーむ難しいね🤔
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あなたの好きな樹木の林の写真以外はふざけた写真。汚い写真をわざと撮影しないで下さい。
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Nekonekonekoさんは神社はお嫌いですか?
確かに自然のものはそのまま美しく撮れますが、人が作ったものは、これでも美しく撮れるように、努力はしているんですよ。
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汚い種類の神社をわざわざ選んで撮影するあなたは単なるマニア😨
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マニアです☆
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