御岩神社 前編:八雲ニ散ル花 東ノ国篇 17

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東の大きな山を賀毗禮之高峰(かびれのたかみね)という。そこには天津神がおられ、名を立速日男命(たちはやひおのみこと)と申し上げ、またの名を速経和氣命(はやふわけのみこと)といった。
元は天より降り、松澤の松の木の八俣の上にお鎮りになれていた。この神の祟りは非常に厳しく、ある人が神に向かって大小便をしようものなら、たちまち災いを起こして病にならせた。
このため付近の住人は、日々苦しみ困り果て、その状況をつぶさに朝廷に奏上したところ、片岡大連を遣わされてこの神を謹んで奉り、「今おられる所は民が近くに住んでいるので、朝に夕にといつも不浄となります。ご鎮座するには相応しいところではありません。どうかこのような地からお移りになられて、高い山の清浄な土地にお鎮まりください」と申し上げた。
神はこの願いを聞き届けられ、遂に賀毗禮之峰に登っていった。その社は石を垣根として、中には神の一族がとてもたくさんいる。また、様々な宝があり、弓・桙・釜・器の類は皆石になって残っている。この辺りを飛ぶ多くの鳥は急いで飛び去っていき、この峰の上に留まることはないという。
これは古からそうであり、今も同じである。ここには小川があり、その名を薩都河(さつがわ)という。小川の水源は北の山であり、そこから流れて南の久慈河に入る。

-『常陸國風土記』「久慈郡の条」

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「御岩神社」(おいわじんじゃ)は、茨城県日立市にあって常陸国最古の霊山と言われている御岩山の麓に鎮座する神社。

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僕がこの御岩神社を参拝したのは、本当に稀な偶然のことでした。

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参道に足を踏み入れてすぐに感じる心地よさ。

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左手に小高い丘があり、

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小さな愛宕社が祀られています。

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大きな楼門の横には、

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樹齢600年の三本杉の御神木が聳えています。

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幹の周囲は9m、高さ50m。
地上3mあたりから3本に分かれ、そこには天狗が住んでいたという伝承も残っています。

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圧倒感のある素晴らしい楼門。
神仏習合の名残を感じさせます。

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楼門の先は静謐な世界が広がっていました。
現在の時刻、朝8:00過ぎ。やはり早朝の参拝は気持ち良い。

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宇宙飛行士の向井千秋さんが宇宙から地球を眺めた時、日本に光の柱が立っている場所を見つけ、その場所を調べてみたら日立の山の中だったという話があるようで、それがこの御岩神社のあたりだったといいます。
神秘好きにはメシうまな逸話。

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当社創建は不詳。常陸国風土記に御岩山の古称であるかびれの峰に天つ神鎮まるとの記述が残されています。

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江戸時代には水戸藩初代藩主「徳川頼房」が出羽三山を勧請し水戸藩の国峰に定め,歴代藩主は参拝するのを常例としたといいます。
第2代藩主「徳川光圀」公により大日如来を本地とした御岩大権現に名称が改められました。

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第9代藩主「徳川斉昭」の代になると、敬神廃仏の方針から神仏分離を行い、さらに明治期の廃仏毀釈により大日堂や仁王門等が取り壊されました。
しかし訪ねて分かりますが、現在でも神仏習合色は色濃く残っています。

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御岩神社の祭神は国之常立神、大国主、伊邪那岐、伊邪那美ほか22柱。御岩山全体で188柱の神が祀られています。
まるで神様デパート状態ですが、これら神々の中で注目される祭神が「立速日男命」(たちはやひをのみこと)、別名を「速経和氣命」(はやふわけのみこと)という神です。

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立速日男は当社境内社の薩都神社中宮に祀られていますが、記紀などには姿が見えず、常陸國風土記にしか登場しない天津神です。

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この神は天降りして、最初は松澤の松の木の八俣というところに居たとの事。
しかし民人が近くで用を足そうものなら激しく怒り、災いを起こして病にならせたそうです。
まあ、神でなくともそりゃ激おこですわな。

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そんなことで、なんて厳しい神様なんだ、とレッテルを貼られ、さらには朝廷にチクられたところ、片岡大連という人がやってきてどうぞ高い山の清浄な土地にお移りくださいと勧められる始末。

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そしてやれやれだぜ、と移られた先の山が、宇宙からも光の柱が見えたというこの御岩山だったです。

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この御岩神社の境内はめちゃくちゃ広いです。

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なんせ、御岩山自体が境内になっています。

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その最初に見えてくる神社が「斎神社」。
そう、サイ神社です♪

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祭神は天御中主神,高皇産霊神,神皇産霊神,八衢比古神,八衢比賣神の五柱。

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奈良の大神神社の境内社「狭井神社」がそうであるように、ここも元は出雲のサイノカミを祀っていた神社なのでしょう。

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拝殿の天井を見てニンマリ。
この雲龍図は2016年秋に行われた茨城県北芸術祭の出品作として岡村美紀が描いたものだそうですが、まことに相応しい天井画だと思います。

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またこのあたりは賽の河原と呼ばれているそうで、

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かざぐるまとともにたくさんの石仏が並んでいます。

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動物の供養碑のようなものも。

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それにしても本当にここは神社か、と疑うほどに神仏習合感にあふれています。

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斎神社からまた少し歩くと

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御岩山神社・拝殿があります。

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国之常立神、大国主、伊邪那岐、伊邪那美ほか22柱を祀る社殿。

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賀毗禮の峰(御岩山)山上に鎮座する社は道のりが険しく、人々は参拝に苦しむことから、大同元年(806年)に平良将公が小中島に社を建て奉遷したとあります。

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正平年中(1346-1369年)に佐竹左近将監義信公が本社を修造、大永二年(1522年)に佐竹右京大夫義舜公が現在の鎮座地に遷しました。

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徳川光圀公からも祟敬を受けたこの神社、

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この日、僕が御岩神社を参拝したのは、本当に偶然でした。
なぜなら僕は当社の存在を、この時まで知らなかったのです。

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僕が今回目的地として訪ねたのは、ここから南西に9kmほど離れた場所にある薩都神社の里宮でした。
常陸國風土記に以下の記事があります。
「これより北に薩都里(さつのさと)がある。古に国栖がおり、名を土雲(ツチクモ)と言った。これを兎上命(ウナガミ)が兵を挙げて誅滅した。その時に上手く殺せたので「福哉」(さちなるかも)と言った。これにより佐都(さつ)と名付けられた」

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それで土雲族調査のため僕は薩都神社を目指し、到着したのは朝7時でした。
早朝の清々しい空気の中で写真を撮っていると、境内の掃除をされている一人の男性がいらっしゃいます。
挨拶をすると、僕がどこから来たのかを尋ねられ、九州から来たことを告げると大変驚かれました。

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その方は氏子の方で、薩都神社と御岩神社でガイドのボランティアをなさっている方でした。
氏子さんは神社の由緒などを丁寧に教えて下さり、さらに立速日男命が移られたという御岩神社を参拝することを強くお勧めくださいました。
せっかくここまで来たのだし、ちょっと立ち寄ってみるか、そうして僕はここに立っているのです。

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境内に「姥神」という奇妙な石神が祀られています。

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この石神は元は御岩山聖域の結界に置かれていたのだそうです。

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さて氏子さんの勧めでここまでやって来ました。
期せずして斎神社に出雲の痕跡を見出だし、ワクワクが止まりません。
今いる場所が上記の③の場所です。
ここから20分山を登ったところ、①の場所に奥宮・賀毗禮神宮があるそうです。
奥宮、魅惑的な響きです、行きたい。
現時刻は朝8:30、まあこの後の予定を考えても帰宅の便まで十分余裕はあります。
②の薩都神社の中宮とやらにも興味がある、行ってみるか。

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今回の旅で予定していなかった登山を、僕は不用意にも開始することにしたのでした。

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