高知のポツンと一軒社~っ!
高知県須崎市浦ノ内東分に鎮座の「鳴無神社」(おとなしじんじゃ)は、
こぉ~んな、
こぉ~んな、
こ~んなところにありました~っ!
はるばるやってきたぜよ、鳴無さんよぉ。日が暮れちゃうぜよ。
鳴無神社はちいちゃな神社でした。
でもね、
海を望む鳥居がス・テ・キ♪
この鳥居ゆえに「土佐の宮島」などと呼ばれているとか。
いや、さすがにそれは厳島神社に失礼ですが、まあ、気持ちは分かります、分かりますとも。
これが土佐の宮島じゃき~!
そしてその先には、海底へと続く階段が。
皇子や、海の底にもみやこはあるぞえ。
いえいえ、ここは一言主神が最初に土佐に上陸した場所と伝えられています。
社伝によれば、大和葛城山に居た一言主と雄略帝との間に争いがあり、一言主は船出して逃れ、雄略天皇4年の大晦日にこの地に流れ着き、神社を造営したのが始まりであるとされるのだとか。
実際は、鎌倉時代の建長3年(1251年)に創建されたようであるとウィキ先生はおっしゃっておられますが。
この鳴無神社のおみくじがロマンチックで、引いたおみくじは、そのまま海に流すスタイルなのだそうです。
知らんかったー。
なので僕は引いてません。
当初、海からやってきた一言主はしばらく当地に鎮まった後、「ここは気に食わんぜよ」ってことで巨石をぽいっと投げて落ちた場所に鎮まったと云います。
それが今の土佐神社。
遷座の話の真偽は分かりかねますが、ホントだとしたら水害に悩んで引っ越したってとこでしょうかね。
鎮座地の浦ノ内湾(うらのうちわん)は普段は穏やかな海ですが、地震で津波とか来たら、エネルギーが集約してやばそう。
かつては志那禰祭(しなねまつり)で、土佐神社から鳴無神社まで御座船で海上神幸を行なったそうですが、海難や赤木山の山犬に襲われることがあったので、今は別々に祭事が執り行われています。山犬・・・と、土佐犬か!
鳴無神社の志那禰祭では、祭の終盤に漁船3隻に神輿を乗せ、供船の漁船20隻を従えて、大漁旗をなびかせて海上を渡航するのだそうです。
なんとも勇壮な、見てみたい♪
祭神は「一言主命」。
本殿・幣殿・拝殿はとても雅で、国の重要文化財に指定されています。
一言主はプイッと土佐神社に行ってしまいましたが、本来は「土佐神社は鳴無神社の別宮やったんじゃきー」と当地では云われているそう。
三間社春日造、こけら葺、まあその雰囲気は備えているような気がしなくなくもないです。
天井には村上龍円が描いたと伝えられる天女の舞の絵があるそうで、それも見てみたい♪
実は今上天皇がまだ皇太子であられた時、雅子様とのご成婚を願う宮内庁の側近の方が鳴無神社で縁結びの祈願を行ったところ、お二人が結ばれたのだそうです。
そのご利益にあやかろうと、芸能人もお忍びで来たりするそうです。
鳴無神社の隣にも小さな神社を発見!
ポツンと一軒社じゃなかった~!!
これは「竈荒神社」だそうで、中に稲荷神社、大山祇神社、竈荒神社、神明宮、神母神社が祀られているのだそうです。
鳥居が良い味出しているね。
半島に沿って、横浪黒潮ラインを走って高知市内の宿へ向かいます。
眼下の海には、あかりが灯った漁師船がぽっかり浮かんでいたのでした。
鳴無神社にも行かれましたか。
弾丸旅行どんだけー。すごすぎです。
ここは個人的に気になることが有り注目していた神社でした。
普段は静かなところなんですね。
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おはようございます♪
僕の場合は休暇が少ないものですから、行きたいところをピックアップしていたらどうしても弾丸になります。
時間が時間なだけに、すれ違いでひと組入れ違っただけでした。
逆にこの辺境の小さな神社が人で溢れることもあるんだなと驚きます。
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