『日本の山をピラミッドとする説は多々あり、長野県の皆神山や秋田県の黒又山などが知られている。無論、これらの説に考古学的な裏付けはない。』by Wikipedia
・・・でしょうね。
長年のトラウマと決別するべく、僕は広島県庄原市の日本ピラミッド「葦嶽山」(あしたけやま)へ行ってきました。
軟弱登山家な僕は、登山本格派コースを華麗にスルーし、お手軽ハイキングコースから出発です。
おお~お手軽ではないか。
道脇の花など愛でる余裕さえあります。
と油断していたらコレですよ、まったく。
ふと足元を見たら、木の階段が壊れて杭になってる。
こけたりしたら、アナザーだったら死んでたやつですよ、これは。
この道ってこんなにきつかったっけ。
そう、僕は過去に一度、ここに来ているのです。
あれは20代後半の頃、当時某製薬会社のMRをしていた僕は、仕事をサボって葦嶽山に登っていました。
葦嶽山は日本ピラミッド、UFO目撃情報などもあるとかで宇宙人に会えるかな、その時はそんなことを考えていました。
そしてここです。当時は雑木がもっと少なくて、僕は宇宙人ではなく、道の先から下山してくるベージュの服を着たおじさんに出会いました。
ベージュの。
何か、何かおかしい。何か、下の方、股間のあたりが何だかもやもやと黒い。アレ?!
そう、それは一糸まとわぬ、生まれたばかりの姿のおっさんでした。(注:画像は当時の再現フィルムです)
エッっ?なにこれ。平日の山で白昼夢?
じっと目を凝らして、真実を見定めようとした時、おっさんと目が合いました。
あ、目があった。
ダッシュ!裸おっさんは目があった途端、僕に向かってダッシュしてきました。
こわい!捕まったら殺されて埋められてしまう!
脳内では大量のアドレナリンが分泌され、人生最大級の警報を耳奥で響かせて、僕は人生最大疾走を記録しつつ、もと来た道を逃げ帰ったのです。
改めて当時の場所に来てみると、裸おっさんと僕の距離はわずか100mといったところでした。(注:裸おっさんから僕を見たイメージ再現フィルムです)
今思えば、よく逃げ切れたものです。
いったいアレは何だったのか。
誰もいない山頂でおっさんはチャネリングでもしていたのでしょうか。
敵意がないことを示すために全裸になったとか?
でもさあ、下山は服着ろし!!
ともあれ、その時のトラウマが今日の五条桐彦を形成していることは間違いありません。
こうして僕が、若き日の思い出にしっとりひたっていると、
その姿が鷹が羽を広げているようだという「鷹岩」がありました。
鷹かどうかは分かりませんが、風化が進んでいますね。
表は確かに人の手が加えられている印象ですが、
裏はこんな感じ。
こっから気合いで登り切ると、
やったー山頂です。あれ?何もない。
ピラミッド感0%。
酒井勝軍がこの頂上の調査をした時は、経約十二尺の花崗岩の太陽石があり、周囲に東西南北に正面する方形磐境が築かれていたということです。
太陽石が失われてしまったのは残念ですが、遠く見渡せば、霧の海で覆われた美しい三次盆地を目にすることができました。
これぞ宝、その景色を心のアルバムに収めて、風に吹かれる葦嶽山を僕は下山したのでした。
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いやいやいやいや、俺たちの冒険はまだまだ続く!
ここは日本ピラミッド葦嶽山の頂上ですが、この先に巨石磐座群があるのです。そこまで行かねば。
行かねば。。。鬼叫山?
鬼が叫ぶ山と書いて「ききょうざん」。
しかし実際に叫ぶのは、ここから急転直下の山を降る、僕の膝でした。
いやーやめてー、もう桐彦の膝はライフがゼロよ!
こんなに降りてきたら、帰りはまた登らなければなりません、当然ですけど。
おっ、三ツ石発見。
前から見ると女の子になっていて、
こっちはパッとしないけど真面目そうな男の子、
こっちはちょいワルな男の子がいて、
やめて、私のために争わないでっ!状態になっています。
て、アホなことを考えていると、東屋が見えてきました。
ここが登山本格派コースから登ってきた時の、葦嶽山と鬼叫山との分岐点になります。
毒蛇のクエストと、まさかの”そらくん”イベントが控えていました。
さあ、俺たちの冒険の始まりだ!
隊長!OPPAI石を発見しました!とてもボリューミーです!
そんですぐに「ドルメン」に着きました。
なるほど、確かに石が積み上げてあります。
人工的な断面。
他の岩も切り揃えて積んだ感じです。
これらのものは葦嶽山の遥拝遺跡なのでしょうか。
葦嶽山は815mの高さがあり、4辺の稜線が美しく、エジプト・ギザのピラミッドにそっくりなのだそうです。
葦嶽山を日本のピラミッドだと言い始めたのは1934年、オカルト研究者の酒井勝軍(さかいかつとき)でした。
彼は『竹内文書』を元に、葦嶽山は2万3千年前の世界最古のピラミッドであると主張しています。
本来のピラミッドとは山を利用したものであり、日本が発祥で、エジプトに伝播し、山のない土地では石を積み重ねてそれを造ったというのです。
『竹内文書』とは、『古事記』以前に神代文字で書かれた歴史書で、竹内宿禰の孫、平群真鳥(へぐりのまとり)が漢字混じり仮名文に書き写したとされています。
これを竹内巨麿(きょまろ)とともに世に出したのが酒井勝軍でした。
この「屏風岩」と題された石柱群は、ほとんどが倒され、唯一1本だけが屹立しています。
ここが神武天皇の御陵であるとの言い伝えがあり、宝が埋まっているという噂を信じた村人によって掘り起こされた跡だということです。
酒井が来たときにはすでにこの状態であったそうですが、彼によれば4本で一つの方位石を構成していたであろうと言っています。
約7mあるの巨大な柱の根本にはクサビの石がはめ込んであり、神代アヒル文字で『竹内文書』にある「アメノミハシラ ヤヒロトノ」(天之御柱 八尋殿)と彫られているそうです。
クサビ石はわかりますが、神代文字の刻印はよく分かりません。
石柱の頂部には穴があり、そこに宝玉が置かれて光り輝いていたとか。
宝玉の穴?ただの杯状穴ではないのでしょうか。
石柱の頂部付近には、幅5.8m、高さ3.3mの巨大な「鏡岩」があり、宝玉の光を反射させたと考えられています。
これは一種の光通信装置だったのではないかと案内板にありますが、ほんまかいな。
仮に石をピッカピカに磨き上げたとしても、光通信ができるほどに反射させうるとは考えにくいものですが。
さらによじ登って鏡岩の上に行くと、おおなんとスフィンクスが!
このスフィンクスちゃんは「方位石」のお尻と
独立した「獅子岩」になっていました。
まあ個人的にはロマンもあって良いと思うのですが、『竹内文書』も「アヒル文字」も偽物だろうと思っています。
それをごたごた解説するつもりも、ここにある磐座群を詳細に研究しようとも、今回は考えていません。
なぜなら今回の葦嶽山登山は、僕のトラウマ脱却が目的だからです。
日本各地の磐座が光通信装置だったという考察などは僕の探求の範囲外でありますし、有名なイワクラハンターである「平津豊」氏のサイトなどをご覧いただいた方が有用かと存じます。
僕はこの獅子顔のほっこり感と
お尻のほっこり感を眺めているだけで、ほっこり、ほっこり満足なのでした。
そう言えば1年半ほど前、「手打そば 山菜料理 わらべ」さんへ向かう途中に平津豊さんも紹介されている葦嶽山そばの神社「蘇羅比古神社」(そらひこじんじゃ)へ偶然参拝していました。
「そら彦」とくれば僕は素通りするわけにはいきません。
この時はそらくんもまだ、健在でした。
祭神は「天津日高日子穂々手見命」(あまつひこひこほほでみのみこと)、や「神倭伊波禮毘古命」(かむやまといわれひこのみこと)でがっつり物部系です。
ここの狛犬はなぜか空をみあげています、そら彦だけに。
彼らは何を見つめ、何を待っているのか。
月を眺めているのか。
本殿裏には井戸がありました。
干珠満珠の井戸かな。
古事記によると、弟の山幸彦(ヒコホホデミ)が兄の海幸彦から借りた釣り針を無くし龍宮に行った時、豊玉姫を前にして海神が言ったのが
「此の人は、天津日高(あまつひこ)の御子、虚空津日高(そらつひこ)ぞ」
ということは蘇羅比古はヒコホホデミのことでしょうか、いやしかし当地に漂うのは月神信仰の気配。
ならば蘇羅比古の真の正体とはいったい・・・物部ではなくて豊家、宇佐家・・・・・・・・・・・・・・ハッ、ひょっとして
やっぱり、そらくん!?
Nice post
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Thank you!
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いつも楽しく拝見させていただいてます。
この山、いつか行ってみたいと思っているのですが、
興味深いのは「奴国乃大王」の鳥居ですね。なにかしらの由緒があると思うにですが、それが非常になります。
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ブサイク王さん、こんにちは♪
そう、その鳥居気になっていたのですが見つけられませんでした。
奴国と言えば福岡なのですが、全国に散っていった安曇族が関わっているのかどうか。烏帽子岩など、今回まわっていない場所もありますので、是非ブサイク王さん、コンプ目指して下さい😊
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う〜ん2体の狛犬がまるでリアル魔族🐥
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魔ゾってますね😄
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