諏訪大社 上社『御頭祭』本宮篇:八雲ニ散ル花 番外

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2026年4月15日
僕はnarisawa氏と共に「諏訪大社上社」(すわたいしゃかみしゃ)の『御頭祭』(おんとうさい・おとうさい)に参列してきました。
nari氏はお休みを合わせてくれたばかりか、松本空港までの送迎からnari宅へのお泊まりまでOK「身一つで来てください」と、とても嬉しいご提案をしてくれました。
でもねえ・・・僕にはひとつ、懸念があったのです。
だってnari氏は嵐を呼ぶ男!

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ほら~!台風発生してんじゃん🌀
nari氏はS姫との逢瀬の際、嵐を伴ってやって来たという前科があるのです💦
僕のスーパー晴れ男力を総動員して、なんとかこの台風を太平洋沖に抑えつけておかなければなりませんっ!

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てことで、ブィ~ンとFDAに乗って、無事松本空港へと行けたのでした。
飛行機の窓から見えたトンガリさんが可愛かったので写真を撮ってみましたが、よく見ると富士山でした。
あと、FDAのCAさんがとても可愛いかったです💕✈️

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2026年4月15日 AM11:00
「諏訪大社上社」(すわたいしゃかみしゃ)「本宮」(ほんみや)は、長野県諏訪市中洲宮山に鎮座しています。
諏訪大社は式内社(名神大社)で信濃国一宮とされますが、諏訪湖を挟んで、上社の本宮と前宮(まえみや)、下社(しもしゃ)の秋宮(あきみや)と春宮(はるみや)の、二社四宮で構成されます。

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御頭祭は「酉の祭」とも言われ、古くは3月酉の日に行われた「上社」最大の神事となります。
神事は本宮から神輿が出され、前宮に運ばれて祭祀が行われるというのでまずは本宮にやってきたのですが、到着するとドンドンドンと太鼓の音が響いていました。
「もう始まってるよ」
とnari氏と僕は焦ったのですが、

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どうやらこれは御頭祭ではなく、別の祭事だったようでホッとしました。

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AM11:30
御頭祭はどうやら昼過ぎから始まるらしい、ということで軽めのランチをいただくことにしました。
参道沿いのお店に入ってしばらくすると、注文した”馬のモツ煮”とあったかいソバが運ばれてきました。
”馬のモツ煮はここの名物だとnari氏のおすすめでしたが、旨し😋

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食後はnari氏に勧められて、境内西の外れにある「大国主命社」を参拝することにしました。

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“祭神の父親”という設定の大国主命を祀る社は、境内東にあることは知っていましたが、西にもあったとは気が付きませんでした。

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東の小さな社に比べて、こちらは立派な造り。

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社殿の前には推定樹齢400年の諏訪市天然記念物「宮之脇のカヤ」が幹を伸ばしており、祭神は「カヤノキサマ」とも呼ばれてきました。

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ところでこの大国主命社には太い御柱の他に、もう一つ小さく細い御柱が添えられています。
この大国主命社には8本の御柱があることになりますが、これはどういうことか?

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八ヶ岳原人』さんのブログによれば、当地はかつて大熊村に属する「御社宮司社」だったものが、神宮寺村に編入し「大国主命社」に衣替えしたそうです。
それで太い御柱は神宮寺側が建てたのですが、隣村となってしまった元氏子らも「気持ちの上では大熊村の神社だ」とばかりに越境して小さな御柱を建てた、ということのようです。
社殿は「諏訪大社本宮の宝殿」を移築したもののようで、なるほど立派な佇まいのはずです。

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つまり当社の本来の祭神はミシャクジ神だったということですが、隣には羽黒修験の石碑もあり、もっと複雑な経緯も感じさせられます。

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などと感慨深く思っていたら、下の方で御頭祭のミーティングが始まっていました。

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nariさんと僕は間を突き抜けていくわけにもいかず、少し離れたところからその様子を伺っておりました。
ミーティングの雰囲気は和気あいあいとしており、飛び交うジョークに僕らも時折笑いながら、この後の御頭祭の流れを把握できたのは幸運でした。

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PM 12:10
諏訪大社上社本宮参拝。
本殿の前に神輿が置かれています。

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nariさんに、諏訪大社宝物館の裏手に見える「金井社」の存在を教えてもらいました。
この社は、境内案内絵図には載っていない謎の神社です。
その理由も『八ヶ岳原人』さんのブログで確認できました。

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金井氏は諏訪神社のお抱え料理長たる「鹿人」(ろくびと)という職にある家でした。
神長官守矢史料館に展示されているかつての御頭祭(酉の祭)の料理も、鹿人が作っていたといいます。
明治39年に、諏訪大社上社は人手に渡った金井氏の土地を買収し境内地としましたが、ここだけは金井氏の祝神があったため金井氏名義として残っており、買収できなかったそうです。
つまり金井社の周り7歩(坪)の土地は飛地境内ならぬ、飛地民有地となっているとのことです。

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さて、そんな上社本宮の拝殿前に、続々と人が集まってきました。

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境内には槍や剣、白や錦の幟旗が並んでいますが、

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あー、あのコ!あの薙鎌(なぎかま)ちゃんがいました!

薙鎌は諏訪大社の神器とされ、諏訪大社式年造営御柱大祭の前年にあたる丑年に小倉明神で、未年に境の宮諏訪社で、御神木に薙鎌を打ち込む「薙鎌打ち神事」が行われています。
古くは信濃の国境を示し、諏訪明神の神威の直接及ぶ範囲を示す神事であったと云われています。

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勢揃いした氏子の方々。
白い衣装の方々が幟旗などを持ち、黄色い衣装の方々は神輿を担ぎます。

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PM12:30
氏子ら斉庭内に結集。

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向かって左側の空いたスペースには、総代や各界の代表ほか、参列する氏子らがこの後並びます。

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この出入りに関しては、普段は閉じられている四脚門を通って行われます。

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四脚門(しきゃくもん/よつあしもん)は天正10年(1582年)に焼失したものを長慶13年(1608年)に徳川家康が家臣・大久保長安に命じて造営寄進したもので、別名を勅使門と言います。

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PM1:00
本宮にて祝詞の奏上。
次に本殿より御霊代(御神体)が神輿に遷され、隊列を組んで前宮へと出立します。

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PM1:20
本宮表参道側の入口御門から、神輿渡御(わたりまし)の一行が出てきました。

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「御頭祭」(おんとうさい)の名の由来ですが、僕はこの祭りの特徴である、鹿の頭(生首)が神前に捧げられる神事なのでそう呼ばれるのかと思っていましたが、違いました。

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「御頭」(おとう)とは、祭事をつとめる当番を担う氏子のことを言います。
鎌倉時代には、信濃の地頭たちに御頭の役をあてて諏訪神社の神事に奉仕させ、その年の鎌倉番役を免じていたそうです。

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当時の旧暦3月の初午から13日間に「春祭」が行われ、大祝の代理である”神使”(おこう)6人が各集落を巡回して廻湛(まわりたたえ)の神事を行っていました。
これが御頭祭の前身たる祭りだったようです。

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廻湛とは、湛と呼ばれる場所にある木や石に神を降ろし、鉾(ほこ)に鉄鐸(てったく)をつけてふり鳴らし、神に豊作を祈る神事のことのようで、ミシャクジの神事に深い関わりがあると思われます。
やがて北条氏の滅亡と、続く戦乱の中で諏訪神社(諏訪大社)は衰退、神事も縮小され、江戸時代にはすでに廻湛は廃絶されていたようです。
慶長19年(1614年)3月、信濃諏訪藩の初代藩主「諏訪頼水」(すわよりみず)は、『信州諏方御頭帳』により諏訪の郷村を14組に分け、新しい御頭郷の制度を定めました。
藩内の御頭郷は順に祭礼に奉仕し、酉の日の「大御立座神事」(おおみたちまししんじ)が行われるようになったということです。
これが今で言う「御頭祭」(酉の祭)のことで、正式名称がこの「大御立座神事」となります。

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神輿渡御の中に、重そうな角材を運ぶ人がいました。

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この柱は「御杖柱」(みつえはしら)と呼ばれるもので、長さ7尺3寸(約2.2m)のヒノキ柱になります。
神使が各集落を廻湛していた頃は、榊枝に髪の毛を結び付けたものを束ねた、名の通りの杖のようなものだったようです。

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これを見て思い浮かぶのは、神長官守矢史料館のロビーに展示してあった「御贄柱」(おにえばしら)です。
ここの展示物は、江戸時代の旅人・菅江真澄のスケッチ画『菅江真澄民俗図絵』を基に、再現されています。

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御贄柱とは本来、4.5mほどある鳥居状の柱で、贄となる鹿肉を吊るすためのものだったそうです。

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御杖柱は本来は杖状のもので、ミシャクジ神を降ろすために用いられたと考えられます。
御杖の先には、あるいは鉄鐸のサナギ鈴が付けられていたのかもしれません。

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菅江真澄が祭りを見た江戸時代には、御贄柱と御杖柱が混同されていたようですが、この御杖柱はあとで前宮の十間廊内にて神輿の前に立てられますので、やはり神降しの木としての役割があるのかもしれません。

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さて、いよいよ神輿が登場してきました。

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神輿が狭い布橋から運び出されると、かつぐための横棒が付けられ、

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黄色い衣装の氏子さんらが一斉にかつぎ上げます。

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そしていきなり階段。

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キツそ~。

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神輿は、茅野市泉野の「中道」(なかみち)と「槻木」(つきのき)両区の氏子が担ぐのが慣例となっているそうです。

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かつては「大祝」(おおほうり)と呼ばれる少年が、山鳩色の狩衣と立烏帽子を着用し、輿に乗って行列を組んでいたといいます。

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大祝とは諏訪明神の神霊を降ろす依り代「現人神」(あらひとがみ)として、上社・下社の諏訪社の頂点に位置した神職でした。

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上社大祝は祭神タケミナカタの末裔と称され、古代から近世末に至るまで世襲されて「諏方氏」を名乗りました。

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諏訪氏は、中世までは諏訪の領主として政治権力も握っていましたが、江戸時代に入り「藩主諏訪家」と「大祝諏方家」に分けられ、政教分離がなされました。

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明治になると、神官の世襲制度が廃止されたため、大祝職も廃止されました。
そのため明治以降の御頭祭は、御霊代を神輿に乗せて一日遷座をする方式に替わり、それが現在まで続いているということです。

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そのようなことで、行列は参道から先は規制された車道へと移り、本宮から前宮までの約1.5kmの距離を渡御していくのです。

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1件のコメント 追加

  1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐣現人神とは胡散臭いですな…でも昔のことだから何か理由があったのでしょう。タケミンのファンにあまり悪いことは言えない🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥🐥

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