出雲市大津町に鎮座の「雲根神社」(くもねじんじゃ)に来ました。
当社はヤマタノオロチに関する伝承を持つ神社です。
場所は斐伊川を挟んで万九千神社の西側の土手沿い。
とても素朴な神社です。
現在の祭神は「素盞鳴尊」「稲田姫命」。
ヤマタノオロチ神話のヒーローとヒロインです。
しかしそこに「現在の」と記したのは、元は別の祭神であった可能性があるからです。
当社は元は「稲田姫社」と称し、稲田姫命一神のみを祀っていたそうです。
が、いつの頃からか近くに、あの八岐大蛇の荒魂を鎮め、素盞鳴尊の神霊を祀る石塚社あるいは石神社という社ができていたそうです。
この一帯は「石塚の郷」「石塚村」と呼ばれていましたが、それはこの石塚社が鎮座していたからでした。
そして近世の始めに石塚社は稲田姫社に合祀しされ、石塚の石の異名である「雲根」を社号とするに至ったと云われています。
本殿の背後に摂社群があります。
一風変わった境内社には
荒神の名前が目立ちます。
その中で木が祀られたものが二つ。
総荒神社と
石神社(石塚社)です。
昔、退治された大蛇の頭がここへ流れ着いたので、村人が哀れんでこれを祀り、石で塚を作りました。
ところが、塚から夜な夜な怪火がでて、村人は安心して眠れません。
そこで素盞鳴尊の神霊を祀ったところぴたりと止まった、と云われています。
また社名について、「此処に神剣を納めたところ、常に雲気漂い、それが『雲根神社』と号す所以となった。(延宝七年棟札より)」と由来を伝えています。
古代人は雲は石や岩から生じると考えていたようです。
さて祭神についてですが、元は稲田姫命一柱を祀っていたという当社、ただそれ以前にこの地域の氏神・産土神としての姫神を祀っていたものが、いつしか稲田姫命とされたとも伝えられます。
古代出雲は女系社会で、女首長・巫女が大変尊重されていました。
斐伊川下流域の当地は度々川の氾濫もあったことでしょうから、これを鎮める巫女はやがて神格化されていったと思われます。
その巫女を祀る社がいつしか出雲王国初代王・菅之八耳(すがのやつみみ)の后・稲田姫を祀るようになったのでしょう。
案内板に「古くは出雲国造家の尊崇篤く」とありますので、石塚社にヤマタノオロチ神話を押し込んだのは彼らである可能性は濃厚です。
ヤマタノオロチ神話は出雲とスサノオの血を引く吉備王家が出雲に侵攻し、斐伊川沿いの首長らを斬殺した事件が元ネタとなっています。
石塚社の由来は古代ほど古くはないようなので、そこ何が鎮まっているかは不明です。
が、亡くなられた斐伊川流域の首長の御霊を祀り直したものなのかもしれません。
Beautiful place 💞!
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Thank you!
The soul of an eight-headed dragon is enshrined.
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🤗❣️🍫👌🌺My pleasure .
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いつも楽しみに拝読しています。最近は僕の近所を巡られていて、非常にソワソワしますw機会があればお話ししてみたいと思いつつ。
この雲根神社は出雲ではよくあるスサノオ伝説系だと思いつつ、研究は後回しにしていましたので、深い考察、大変勉強になりました!
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kunatoさん、ありがとうございます♪
勝手な考察ばかり述べていますが、kunatoさんの知識とすり合わせると、また面白い発見があるのかもしれませんね。
コロナの隙を見計らって、また出雲にも伺いますので、ぜひ機会があればお話ししましょう!
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