出雲市斐川町、斐伊川沿いにある「万九千社」(まくせのやしろ)は、神在月にお集まりになった八百万の神々が、出雲で最後にお立ち寄りになる神社だと云います。
通称として「万九千神社」(まんくせんじんじゃ)と呼ばれていて、
同じ敷地内に「立虫神社」(たちむしじんじゃ)が建てられています。
同一境内に二社あることの由来は、一説には、
最初に鎮座していたのは「神代神社」だったそうなのですが、その後、洪水で同社境内に遷座していた立虫神社が独立。
そこに神代神社が相殿神になり、やがて神代神社と万九千神社が同一混同され、ついに神代神社は宇屋神庭へ移ったということです。
こんな神社の下克上のようなことがあったのか、どうなのか。
参道をまっすぐ進んだ先に立虫神社があります。
御祭神は「五十猛命」「大屋津姫命」「抓津姫命」(ツマツヒメ)。
日本書紀で紀伊国に行ったとされる神々です。
いぶし銀な本殿が建っていますが、大社造りではありませんでした。
立虫神社の右側に万九千神社の拝殿が建っています。
ちょっと無理くり建てた感じです。
御祭神は「櫛御気奴命」(クシミケヌノミコト)「大穴牟遅命」(オオナムチノミコト)「少彦名命」(スクナヒコトミコト)「八百萬神」(ヤオヨロズノカミ)。
櫛御気奴命はスサノオのことです。
ここも渡来系と出雲系の和睦の社ということになるのでしょうか。
拝殿の裏に回ると、無理くり建てた意味が分かりました。
拝殿後方に「神籬磐境」があります。
万九千神社に本殿はなく、磐境を直接拝するシステムです。
高さは約3mほどあります。
根元はコンクリで補強されています。
元からあったのか、運び込まれたのか。
万九千神社は、出雲神在月の最後に、全国から集まった神々がここからそれぞれ帰っていく「神等去出」(カラサデ)の場所で、ゆえに、この地を神立というそうです。
神々がここへ神集い会議をしている間、この地方では歌舞音曲は厳禁で、鈴の音のみが聞こえるといいます。
また、神立ちの夜は、特に静粛を保ち、外出も皆控えるのだとか。
が、古代出雲史的には歴史が古いようには感じず、早々に立ち去ってしまいました。
無人の社務所で販売していた、お神酒がわりのジンジャーエールは美味しかったです。