立虫神社・万九千神社

投稿日:

p7310337-2017-11-17-19-00.jpg

出雲市斐川町、斐伊川沿いにある「万九千社」(まくせのやしろ)は、神在月にお集まりになった八百万の神々が、出雲で最後にお立ち寄りになる神社だと云います。

p7310338-2017-11-17-19-00.jpg

通称として「万九千神社」(まんくせんじんじゃ)と呼ばれていて、

p7310339-2017-11-17-19-00.jpg

同じ敷地内に「立虫神社」(たちむしじんじゃ)が建てられています。

p7310342-2017-11-17-19-00.jpg

同一境内に二社あることの由来は、一説には、
最初に鎮座していたのは「神代神社」だったそうなのですが、その後、洪水で同社境内に遷座していた立虫神社が独立。
そこに神代神社が相殿神になり、やがて神代神社と万九千神社が同一混同され、ついに神代神社は宇屋神庭へ移ったということです。

こんな神社の下克上のようなことがあったのか、どうなのか。

p7310340-2017-11-17-19-00.jpg

参道をまっすぐ進んだ先に立虫神社があります。

p7310346-2017-11-17-19-00.jpg

御祭神は「五十猛命」「大屋津姫命」「抓津姫命」(つまつひめ)。
日本書紀で紀伊国に行ったとされる神々です。

p7310349-2017-11-17-19-00.jpg

いぶし銀な本殿が建っていますが、大社造りではありませんでした。

p7310344-2017-11-17-19-00.jpg

立虫神社の右側に万九千神社の拝殿が建っています。
ちょっと無理くり建てた感じです。

p7310348-2017-11-17-19-00.jpg

御祭神は「櫛御気奴命」(くしみけぬのみこと)「大穴牟遅命」(おおなむちのみこと)「少彦名命」(すくなひことみこと)「八百萬神」(やおよろずのかみ)。
櫛御気奴命はスサノオのことです。

p7310347-2017-11-17-19-00.jpg

ここも渡来系と出雲系の和睦の社ということになるのでしょうか。

p7310351-2017-11-17-19-00.jpg

拝殿の裏に回ると、無理くり建てた意味が分かりました。
拝殿後方に「神籬磐境」があります。

p7310352-2017-11-17-19-00.jpg

万九千神社に本殿はなく、磐境を直接拝するシステムです。

p7310353-2017-11-17-19-00.jpg

高さは約3mほどあります。
根元はコンクリで補強されています。
元からあったのか、運び込まれたのか。

p7310354-2017-11-17-19-00.jpg

万九千神社は、出雲神在月の最後に、全国から集まった神々がここからそれぞれ帰っていく「神等去出」(カラサデ)の場所で、ゆえに、この地を神立というそうです。

p7310350-2017-11-17-19-00.jpg

神々がここへ神集い会議をしている間、この地方では歌舞音曲は厳禁で、鈴の音のみが聞こえるといいます。
また、神立ちの夜は、特に静粛を保ち、外出も皆控えるのだとか。

p7310355-2017-11-17-19-00.jpg

が、古代出雲史的には歴史が古いようには感じず、早々に立ち去ってしまいました。
無人の社務所で販売していた、お神酒がわりのジンジャーエールは美味しかったです。

p7310343-2017-11-17-19-00.jpg

e4b887e4b99de58d83e7a4be-2017-11-17-19-00.jpg

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中