
「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす」
新井白石 随筆『折たく柴の記』


静岡県駿東郡小山町須走にある「東口本宮冨士浅間神社」(ひがしぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)を訪ねました。

参道入口にある滝は「信しげの滝」。名の由来は諸説あるそうですが、「信しげ」と書かれた石が発掘されたことからこの名称となったということです。

堂々と立つ大鳥居は、明治33年に氏子により寄進されました。
特徴的な「不二山」の扁額は、「ふたつとない素晴らしい山」の意味で、数ある浅間神社でもここだけで見ることができる文字です。

境内には火山弾もちらほら見られます。

社務所そばに立つ、立派な御神木。

これは「奉雷の杉」(ほうらいのすぎ)と呼ばれています。

平成30年の夏に落雷があり、この杉の木がそれを引き受けたため、神社や地域に大きな被害はなかったそうです。

落雷を受けたにもかかわらず、この杉の木自体も被災が少なかったっため、雷に抗ったのではなく奉り遵ったと考えられ、その名が付けられました。

東口本宮冨士浅間神社は、富士山須走口登山道の起点に鎮座しています。

そのため、「須走浅間神社」(すばしりせんげんじんじゃ)とも呼び親しまれます。

参道を歩いていると、頭上から殺気を感じました。

この鋭い眼光で睨みつける、コマさんたちが立っている岩は富士塚です。
富士塚(ふじづか)とは、富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の山や塚のこと。
この富士塚は、溶岩でできています。

平安時代初頭の延暦21年(802年)、富士山東麓が噴火。
この時、須走に斎場を設け祭事を行い鎮火の祈願を行いました。

噴火は同年の四月初申の日に収まり、大同2年(807年)に、この鎮火祭の跡地に社殿を造営したのが当社創建と伝えられます。

祭神は「木花咲耶姫命」(このはなさくやひめのみこと)。
相殿神として、「大己貴命」(おおなむちのみこと)と「彦火火出見命」(ひこほほでみのみこと)が祀られます。

大己貴は一般には大国主のことであるとされますが、本来は「大名持」、古い出雲の王の役職名であるとされます。
彦火火出見は神話の山幸彦のことであるとされますが、本来は徐福と宗像族・市杵島姫の間に生まれた物部家の始祖、「彦穂屋出見」のこととなります。

そして富士山の主祭神である木花咲耶姫は天孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の后だとされますが、本来の彼女は物部イニエ王(崇神帝)の后、薩摩の阿多都姫(あたつひめ)のことになります。

一見すると、東口本宮冨士浅間神社は物部色が強いように思われますが、果たしてそうなのか。僕はそもそも、富士山に祀られる神がコノハナサクヤヒメであるということに、違和感を感じています。

富士山を登ってみると分かることですが、古代から噴火を続けてきた霊峰は、草木の生えない、およそ花の咲く山ではないのです。

そこは不死というよりも、一見、死を感じる山です。
しかし朝になって日が昇り始めると、一気に生が満ちてくる。富士は死と再生の霊山であると言って良いのではないでしょうか。



富士山の火口といえば、山頂の火口をイメージしますが、山の中腹にも火口があります。
しかもこの中腹の火口は3つの火口が合わさり、山頂の火口よりも大きいのです。
この中腹の火口を「宝永火口」と呼びます。

富士山の噴火は、記録されているものでも10回ありますが、この中腹の火口を生み出した「宝永大噴火」(ほうえいだいふんか)は、江戸時代中期の宝永4年(1707年)に起きた富士山の噴火をいいます。

宝永大噴火は富士山の噴火としては最も新しいものであるとともに、記録が残されている10回の中でも最大のものとされています。

この噴火は約2週間続き、総噴出量は、約0.7 km3DREと推定されており、主に富士山から東側の地域、特にこの須走の地区を壊滅させるほどの甚大な被害をもたらしました。

宝永大噴火が起こったのは徳川綱吉の治世末期で、江戸や上方の大都市では元禄文化と呼ばれる町人文化が発展していた頃です。

この宝永大噴火は、日本最大級の地震の直後に発生したと伝えられています。
その地震の震源域となったのは、あの南海トラフでした。

南海トラフを震源とする宝永地震の翌日、富士宮付近でも強い地震(宝永富士宮地震)が発生しました。
この地震で、村山浅間神社付近では社領の家が残らず潰れたといいます。

その後、山麓で地響きが始まり、宝永地震の余震と宝永火口付近直下の浅い地震活動が続く中、宝永4年11月23日(1707年12月16日)10時頃、富士山の南東斜面から白い雲のようなものが湧き上がり、急速に大きくなっていきました。これが噴火の始まりです。

富士山の東斜面には高温の軽石が大量に降下し家屋を焼き、田畑を埋め尽くしました。

宝永大噴火は江戸にも大量の火山灰をもたらし、江戸の町は昼間でも暗くなり、燭台の明かりをともさねばならなかった程であったということです。

噴火はやがて、12月8日(12月31日)に終焉します。
しかしこれにより、須走村はほぼ全焼全壊し、農業にも壊滅的な打撃を与えました。

被災地は深刻な飢饉に陥いりますが、幕府は周辺一体を一時的に幕府直轄領とし、伊奈忠順を災害対策の責任者に任じます。
翌年閏正月7日(1708年2月28日)には被災地復興の基金「諸国高役金」として、全国の大名領や天領に対し強制的な献金(石高100石に対し金2両)の拠出を命じ、被災地救済の財源としました。
江戸幕府が全国的課税を行ったのはこの時が初めてでしたが、しかし集められた40万両のうち被災地救済に当てられたのはわずか16万両で、残りは幕府の財政に流用されたといわれています。このようなことで、御厨地方の生産性はなかなか改善せず、約80年後の天明3年(1783年)には天明の大飢饉が加わり、「御厨一揆」が起ることになりました。
まったく為政者というものこそ、歴史を学んで欲しいと切に願うところです。

また、皮肉にも宝永大噴火の被害は世間の富士山への関心を高め、空前の富士参詣ブームを引き起こすことになりました。
噴火の翌年の宝永5年(1708年)には、再建された御厨地方の須走村に富士参詣客が殺到し、翌年も同様の傾向が続きます。
農業収入に頼れなくなった須走村では御師だけでなく百姓まで巻き込んで客引きが過熱する事態になりました。

これは御師の元締めである浅間神社や、農業の再建を目指す領主にとって望ましいことではなく、寛延2年(1749年)に既存御師12名と御師活動を行う有力百姓5名の計17名で御師株が結成されました。
結局彼らのみが御師として神職待遇を受けることが認められ、他の百姓の御師としての活動は規制されたのだということです。


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ふふふふ。さふですか五条さん。
chatGPTで3作目は書きたいと。
ふふふふふふふふふ。(笑)
五条さんはchatGPTのアプリをインストールしましたか?私はしました。AIの可能性とか知っときたいので。
で、文章の作成がきちんとしたプロンプトに則ってれば、まともな返しが来ます。ところがプロンプトがしっかりしてないと足らんものが来ます。
また、検索エンジン的な事は弱い。
例えば、日本の神社の一の宮を教えてとか書くと伊勢神宮とか名前も知らん神社を返してくる。
あくまでもチャット機能やプログラミングなんかに特化。そりゃあ大学の講師陣が学生の論文に利用されると嫌がるレベル。
なんせ、人の文章等から学習してくのをメインとしてるから。
そのくせ、本当ですか?の問いにはもっともらしく、はいと答える。chatGPTって意地っ張りな一面も持ってる。(笑)
まあ、使いようではないでしょうか。
実際、私はAIが書いたAIの本を今、読んでますが読めなくはない。
ハラリさんより読みやすかった。(笑)
ただ、AIが書いた本は面白いとは思えなかった。まだ心に響かない。
それが人が書いたモノとの差なのかも。それでもAIの本に感動する時代が来たら、物書きがいなくなってしまったり、人が考えることを放棄するかも知れんと思うと・・・ほんと凄い時代に直面してるなとも。
だから、五条さん。御利用は計画的に。(笑)
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AIはきっと、私たちの未来のゴシュジンサマ。
今のうちにゴマでもすっておきますか。。
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五条桐彦様
ご無沙汰しております。
ブログを拝見していて、伊奈忠順の名前を見た時、どこかで見たことがあるような・・・。確か、奥の院の明石藩主の五輪塔の右隣にあった3基の普通の形をしたお墓(といっても立派なお墓ですが・・・)ではないかと思い、調べてみるとありました。丁度4年前に書いたものです。
ぼけ防止も目的の一つと思い、続けているブログですが、ちょっと安心しました。
曽良くん、一周忌ですか。月日の経つのは早いものですね。私の所は今年、もう3回忌を迎えます。
asamoyosi
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いつの時代も、集められたお金の流用はあるもので、東日本大震災後の復興増税も然り。そのお金はオリンピックに利用されたり、復興とは関係のない所の予算になったり。それ以外はきっと日本の債務に黙って流用されてるか投資に回ってるか、アメリカへの献上金に。
まあ、そのお陰か国際通貨基金の役人のペケはもらわずにすんでるようなんですが。
日本は未だというか隷属化に慣れてしまって、何かあると日本にいるスパイな方達に弱みをメディアにリークされ潰されるのにビビりまくりの政治家だらけ。
ほんと、そのうちAIに国の運営丸投げしちゃうんじゃね。とも。
・・・いかんですな。
さて、富士の宮焼きそば食べましたか?五条さん。グルメも待ってますよ。
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8まんさん
ほんとうに最近の政治は特に、どうなっているのかと首を傾げてしまいます。全く人という生き物は、欲深くて浅ましい。霊長類とは程遠い生き物です。
富士旅では、吉田うどんと富士宮焼きそばを食べてきました。が、がっつりレビューできるほどの情報はありませんので、まあどこかの記事でちょいと書こうと思います。
五条桐彦の三作目はこっそり、ちゃっとなGPTちゃんに丸投げしても、イイデスカネ。。
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asamoyosi様、お見事な記憶力、感服いたします♪
私は自分のブログで書いたことも、良く忘れています。これなんだっけ?と検索してみると、偲フ花が出てきて笑ってしまうことも。
3年ですか、早いといえば早い、まだといえばまだなような気がしますね。今度の本は、「命」というものが、裏のテーマとなっております。
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