小野神社・矢彦神社:常世ニ降ル花 刺国朧月篇 02

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信濃国三ノ宮に行ったなら、二ノ宮にも行くべきじゃない。
ってことで、参拝して来ました、「小野神社」(おのじんじゃ)です。

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さすが信濃国二ノ宮を謳うだけあって、奥床しい門構えです。

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と、あれ?隣には、同じくらいな規模の入り口があります。
こちらは雅な紅鳥居に「弥彦社」の扁額。

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先には「矢彦神社」(やひこじんじゃ)があり、両社は同じ社叢に隣接して鎮座していました。

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この二つの神社は、かつては1つの神社であったと伝えられていますが、現在は別の神社として成り立っています。
住所も、小野神社は長野県塩尻市で、矢彦神社は長野県上伊那郡辰野町に位置しています。

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住所どゆことー??
って調べてみたら、小野神社・矢彦神社の周囲一帯は塩尻なのですが、弥彦神社境内地だけが辰野の飛地となっています。

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ひょっとして仲が悪いのだろうか、このお二人は。

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矢彦神社の方は、神楽殿と拝殿の間に、長野県宝の「勅使殿」がありました。

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矢彦神社創建は、社伝によれば、大己貴命が国作りに勤しんでいた折、御子の事代主命・建御名方命を従えてこの地に立ち寄ったことによるとしています。

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さらに欽明天皇年間(539年-571年?)に大己貴命と事代主命を正殿に、建御名方命と八坂刀売命を副殿に祀って祭祀の形が整ったと伝えています。

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弥彦社総本社といえば、新潟の「彌彦神社」になりますが、そこは宮中同様に鎮魂祭を行う社として謎多き神社でした。

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当社、矢彦神社の祭神は、正殿に「大己貴命」「事代主命」
副殿に「建御名方命」 「八坂刀売命」
南殿に「天香語山命」「熟穂屋姫命」(うましほやひめのみこと)
北殿に「神倭磐余彦天皇」(かむやまといわれひこのすめらみこと)「誉田別天皇」(ほんだわけのすめらみこと)
を祀ります。

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僕は彌彦神社は大彦が絡んでいると睨んでいますが、当社祭神も、それを匂わせるラインナップです。
神倭磐余彦はこの場合、天村雲大君のことでしょう。

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なぜここに弥彦神社があるのかは分かりませんが、あるいは当社が、元彌彦なのかもしれません。

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もしそうであれば、彌彦の神は海から上陸したと伝えられていましたので、こんなルートを辿ったことが予想されます。

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小野神社と矢彦神社の住所が違うと言う点ですが、もともと1つの神社を成していたところ、小野盆地において飯田城主毛利秀頼と松本城主石川数正の領地争いがあり、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の裁定によって、盆地を流れる唐沢川を境に筑摩郡の北小野村と伊那郡の南小野村に分けられたことに伴い、神社境内も分割されたとのことです。

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江戸時代後期には共に天領となるものの、矢彦神社が南小野(辰野)の氏神となり、矢彦神社境内は南小野の飛地という扱いとなり今に至るとのこと。
神社が仲悪いわけではなく、毛利と石川の意地の張り合いが原因でしたか。

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2社にはどちらも御柱が立っておりますが、

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それと同時に、とても水の氣配が濃いのも特徴です。

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そしてやたら石も多い。

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杯状穴みっけ。
そういえば、なんでも、杯状穴マップ的なアプリが出て、投稿されたものを杯状穴系の先生が認めたらマップに載るのだと教えていただきました。
自由投稿式ではなく、認定式ってのがミソなのかな。

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確かに面白そうでもあり、ファンには楽しみなマップなのでしょうが、たとえば磐座認定なんてのもアレで、僕にはそういった権威付的なモノがどうにも苦手😅
もっと自由で良いと思うし、固定観念という枠づけをしてしまうと、見えなくなってしまうものもあるような気がしてしまいます。

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おっと、それはそうと、肝心な小野神社の参拝を忘れるところでした。

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小野神社の祭神は諏訪王「建御名方命」(たけみなかたのみこと)となっています。

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創建年代は不詳。伝承では、建御名方が諏訪に入ろうとしたところ、諏訪には洩矢神がいて入れなかったため、建御名方はこの小野の地にしばらく留まったということです。

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ルートを描くとこんな感じになりますが、なんだか少し違和感があります。
藤島神社・洩矢神社のあたりが決戦地ということになっていますが、こんな場所でビヴァークすれば、洩矢族に簡単に夜襲されてしまうのではないでしょうか。

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当鎮座地の小野盆地は、通称を「頼母の里」(たのものさと)、または「憑の里」(たのめのさと)と呼ばれているそうです。

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現在の小野神社・矢彦神社の例祭も「田ノ実祭」「憑祭」と称されています。

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頼母を田ノ実とするところから、これは収穫を意味する言葉と解されているのかもしれません。
清少納言の『枕草子』にも、「憑の里」と記されているそうです。

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しかしひょっとすると、憑は「月」だったのではないか、と「なんでも越智病」を患っている僕の脳は考えてしまいます。
でも月の郷と表現するに相応しい、雰囲気の境内。
それに小野といえば、アメノウズメ・豊来入姫の末裔の名前でもあります。

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社伝によると、坂上田村麻呂の戦勝祈願が叶ったので、桓武天皇の勅により御柱を建てるようになったことに始まるという御柱祭り。
神社の四方に立てられる御柱は、物部が制圧した印に始めたものかもしれません。
その御柱祭りも、諏訪大社の勇壮さに比べて小野神社・矢彦神社のそれは、きらびやかな衣装が特徴で、古くから「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と称されてきたそうです。
そんな華やかしさと月の祭祀が、どことなく結びつく気がしたのでした。

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7件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    小野氏やワニ氏が出雲系で、神門臣系であるという事件ですが、我が長野県にも波紋を広げており、妄想が止まりませんw

    まず、辰野は小野宿があり、小野家があります。宮司さんは実はここにはおらず、塩尻の三嶽神社の宮司さんが兼任です。女性宮司ですが、辰野病院近くの矢島家の様に女性の世襲かは不明ですが、宇治橋さんというお名前で、祭神も猿田彦が居ます。

    人を見るなら辰野の御柱とも言われる様に女性的な踊りが有名で、猿女氏の投影と言われれば引き込まれるのを感じます。

    青木村の子檀嶺岳には下照姫がいますが元々は神門臣家、麓には猿田彦の石塔があり、男神岳、女神岳、大明神岳、そして大庭地籍があります。

    そんでもって、御沼さんという方が例の島根の神社の由緒に出てるわけで、見沼、水沼が、本来の宗像信仰の底流という考え方があるのであれば、まさにこの神門化で説明できる気がしてくるのです。

    私は東征の際には正直、出雲系や八井耳系も居たと思っています。

    果たして、水口宿禰とはww

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      僕も御沼は水沼ではないかと思っています。
      小野氏、改めて見たら、あちこちにありますよね、事績が。
      地味な名前で、意識から溢れていたのでしょか🤔

      いいね

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110

        最近、部下に宇治さんという人ができまして。

        聞くところによると、宇治といえば辰野出身ですかと聞かれるほどだそうです。

        いいね: 1人

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    スガ ノ ダイラかスガダイラか微妙ですが、もしかしたらスガノヤツミミへの敬意も込めての地名かもしれませんね^^

    いいね: 2人

  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110

    ここの宮司家は、少し塩尻に入ったところの三嶽神社の女性宮司さんです。辰野町の旧病院近くの諏訪神社の矢島家と同じで女性の世襲かもしれません。

    元々一つだったにしては、祭神の分け方が具体的過ぎて非常に興味深いんです。事代主伊豆建国に出ている様に、大彦系は隠され、諏訪の社家になっているというお話は私的にはアリだと思っています。

    更に塩尻側に行くと阿礼神社があり、小野家という点で見れば、面白い地域なんです。

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      阿礼、ムネアツですね。稗田さんちのアレですね!
      こうしてみると、諏訪信仰って一枚の分厚い布を上から覆い被せている印象ですね。
      一枚剥がせば、違うモノが出てくる。
      タケミナカタって象徴だけ使って諏訪信仰を被せているから、そこにタケミナカタの印象は薄くならざるを得ないのかもしれません。

      いいね: 1人

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