石上神宮奥宮 八つ岩 “ちょっとだけ物部氏考”:常世ニ降ル花 神門如月篇 04

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ダンノダイラと白石の神域をエスコートした後は、出芽のSUETSUGUさんとTMTさんお二人ご一緒に、居酒屋飯をいただきました。
夕食もお話も、お腹いっぱいになって別れた後、宿に向かって車を走らせていると、一軒の屋台が目に止まります。
博多もんとして、これは捨ておけない。
「にいちゃん、やってる?ラーメン一丁」

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出てきたのは旨辛系ラーメン。いわゆる天理ラーメンというやつです。
ここは天理ラーメンの元祖として知られる「彩華ラーメン」の屋台でした。
ガツンとニンニクの効いた彩華ラーメンは、店舗でいただくのももちろん美味ですが、屋台でいただくとまた格別。
辛いは辛いですが、辛すぎるということはなく、旨辛という表現がぴったりのラーメンです。
辛さで代謝が上がり、白菜たっぷりなので、罪悪感ゼロ。たぶん。

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さて翌日、朝一番に訪れたのは奈良県天理市布留町の「石上神宮」(いそのかみじんぐう)でした。
『日本書紀』に記された「神宮」は伊勢神宮と石上神宮だけ。

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当地は現在、布留町となっていますが、往古には大和王国まぼろしの11代大君・彦道主が直轄地とした旧王都で、「和邇」(わに)の地であったと云います。
大和を制圧した物部イクメはここに社を築き、建布都大神社の神体剣を納めました。
その社が石上神宮であり、旧王朝を征服し、物部王朝がその後継ぎとなったことを天下に示すことになったのです。

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石上神宮は別名として、「石上振神宮」「石上坐布都御魂神社」「石上布都御魂神社」「石上布都大神社」「石上神社」「石上社」「布留社」「岩上大明神」「布留大明神」などがあり、幕末 – 明治期には「いわがみさん」の愛称で呼ばれていました。
主祭神は「布都御魂大神」(ふつのみたまのおおかみ)で、神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊を表します。
配神として、「布留御魂大神」(ふるのみたまのおおかみ/十種神宝に宿る神霊)、「布都斯魂大神」(ふつしみたまのおおかみ/天羽々斬剣に宿る神霊)、「宇摩志麻治命」(うましまじのみこと)、「五十瓊敷命」(いにしきのみこと)、「白河天皇」、「市川臣命」(いちかわおみのみこと)を祀ります。

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この配神の中で気になるのが市川臣命。
この方は磯城・大和王家6代の「天足彦国押人」(あめたらしひこくにおしひと)の後裔で、石上神宮社家の祖だというのです。
物部氏は磯城王朝を滅ぼした側なのに、物部の最重要拠点とも言える石上神宮の管理を、旧王家に託したとはどういうことか??

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イクメ大君は長男の五十瓊敷に命じて、和泉国日根郡鳥取郷の川上宮で、鉄剣1000本を作らせ、神宝とともに当地に納めたと伝えられます。
石上神宮には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」と称して祀っていました。
実際に明治7年(1874年)以降の発掘調査で、禁足地から「布都御魂剣」や「天羽々斬剣」とされる刀剣が出土しています。

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天羽々斬剣は、八岐大蛇を斬った天十握剣「蛇之麁正」(オロチノアラマサ)とも呼ばれ、社伝によると岡山の「石上布都魂神社」から当社へ遷され、明治以前までは布都御魂剣と呼ばれていたそうです。

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さて今ひとつ、石上神宮で気になっていることがあります。
それは本殿並びに神聖なる禁足地を下に見る高台に、

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摂社「出雲建雄神社」(いずもたけおじんじゃ)が鎮座していることです。

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祭神の「出雲建雄神」(イズモタケオノカミ)は、神代三剣の一振り「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)の「荒魂」(アラミタマ)であると説明されます。
「布留邑智」(ふるのおち)という神主が、 ある夜、夢で託宣され、8つの霊石を得てお祀りした、ということです。

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草薙剣とは「三種の神器」の一つとされる「天叢雲剣」(アメノムラクモノツルギ)のこと。
富家によるとそれは、海家の村雲が初代大和の大王に就任したときに、出雲王家からお祝いに贈られた出雲型の銅剣であると伝えられます。

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その荒魂をして、出雲建雄と名付けて祀っているのがこちら。
このイズモタケオとは、西出雲王家・神門家の「出雲振禰」(いずもふるね/神門振禰)のことであろうと推察されます。
出雲振禰は杵築大社最後の司祭で、神度剣(十握剣・大量剣・天之羽々斬剣)を司祭の証としたと、かつて『偲フ花』のコメント欄に神門家のご子孫である「嶋谷」さんという方から情報をいただきました。
出雲振禰は、第二次物部東征による第二次出雲戦争の際、物部兵によって命を落としています。

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出雲建雄神社の横には、サルタ彦神社が鎮座しています。
このことからも、出雲建雄が出雲振禰である可能は高いと思われます。

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ちなみにこのサルタ彦神社は元々、布留邑智が8つの霊石を得て祀ったという布留山上に鎮座していたとのこと。

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とにかくまとめてみると、フルのオチが、海家の村雲が大和初代大君となった証たる天叢雲剣の荒魂として、出雲神門家の英雄・出雲フル禰をフル山頂上の磐座に祀り、今はその社が、イクメ大君が大和に物部王朝を打ち立てた証として霊剣を納め、さらに長男に命じて作らせた1000本の鉄剣並びに神宝を納めさせた物部族最大の霊地の前の高台に鎮座しており、そしてその霊地の管理は、滅ぼした磯城王朝の子孫・市川臣に任せ、今も代々社家は彼の子孫が継いでいる、というナンノコッチャという状況が、ここ石上神宮にあるということになるのです。
まいったな、こりゃ、どんまい。

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ということで、とりあえず「八つ岩」行ってきました。

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八つ岩とは、布留邑智さんが8つの霊石を得た場所だといいます。
この磐座の神が、石神(石上)の社名の由来であることは、容易に想像できます。果ては石神→磯神→伊勢神となるかと。
そうなると、是非とも霊跡・八つ岩に行きた~いっ!!てなりますよね。
八つ岩に行くには、「元石上」と云われる「桃尾の滝」から登るのが、おそらく正式参拝になります。
ただこの道は、2時間くらいかかるらしく、がっつり登山ということになるようです。
ところが、八つ岩まで15分くらいで到達できるショートカットがあるというじゃないですか、こりゃラッキー♪
この八つ岩ショートカットルートは、ビジネス旅館「やまべ」さんが丁寧にご案内されています。このページのおかげで、僕もたどり着くことができました。
しかし、見ると行くとでは大違い。一歩間違えば死ぬほど後悔しますので(死ぬほど後悔してきましたので)、改めてルートをご紹介させていただきます。
ちなみに、ショートカットの似合う女の子って、可愛いよね。

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まずは、三甲パレットレンタル天理センターを目指すのですが、僕の愛用するツール、Googleマップでルート検索をすると、このような道を案内されます。
いきなりですが、
これ、ダメ、絶対!

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この辺りの道、そう、ドクロマークの道あたり、

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だいたいこんなだからね。
こんな道が延々と続きますからね。
気づいた時には、もう引き返せないわけですよ。だってUターンできないもん。

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それで前に進むしかなくなるじゃん。
鬼バックの天才なら、まあ引き返せるかもだけど。
そして、ここ。

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この道はなんか沼地みたいなところに、コンクリのほっそ~い橋が架かっているだけ。
軽自動車1台分くらいの、ギリギリの幅のコンクリの橋だよ。それも水面ギリギリ。
こんな道、絶望しかないよ。増水してたらどうすんだよ。
これ見た時、もうポッカリ空いた口から、五条桐彦の荒魂が18cmは飛び出てたからね。
写真?そんなもん撮る余裕あるわけないじゃん。こちとら口から魂、出かかってんだよ😱

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正解はこのルート。
グーグルってたまにとんでもない道、案内するよね。
以前島根でさ、側面に石垣が迫り出した、ほっそ~い田んぼのあぜ道を案内されたやつ、超えたよ、今回は。

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正解ルートでも、この区間は軽でも離合困難な道ですよ。でも間違いルートよりはマシ。
くれぐれも自己責任で、気をつけてネ。

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そういや、「離合」って九州弁なんだって?この前、タモさん言ってたな。

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で、この鉄塔みたいなやつが目印で、いよいよ八つ岩ショートカットの入口に着いたんだけど、

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ホラ~👻

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なんか、血文字っぽい案内板が、

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ホラ~👻

・・・キャァ~~~~~😱

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まあ、行くけどね。でも怖いんよ、ワシも。

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入口から少し歩くと、分岐があります。
これどっち行っても良いけど、左は鎖が掛かってます。これは車両侵入禁止のため。人は通れます。たぶん。
てか、左の方が道も短く、路面も舗装されています。

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山道は整備されていて、歩きやすいです。

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土の道とコンクリ舗装の道と、交互に現れる感じ。

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山道は怖いは怖いけど、日が差すときれい。どっぷり、非日常感に浸れます。

さて、布留社、布留御魂、ふるべゆらゆら、これらの意味するところの「フル」とは何なのか。
物部氏から続く代々暦法を生業とする家系の「眞鍋大覚」氏は、「布留の御魂」は隕鉄を精錬した剣で、「布都の御魂」は砂鉄を精錬した剣であると言ってたそうです。
大和系物部族の最大聖地「石上神宮」の成り立ちを僕が紐解いた感じでは、それは布留邑智が出雲建雄=出雲振禰(神門振禰)をこの先の磐座に祀ったことにあると思われます。
つまり、「フル」とは、「出雲フル禰」の名前に由来する、と。

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しかしこの「フル」という言い回しは、どこか呪術的な雰囲気を秘めており、出雲的かというと、違和感を感じます。どちらかというと・・・
そう、そこで辿り着くのは布留邑智の方。なんたって、「フル・オチ」だもんね。
「フル」というのは何らかの呪術的言葉で、それは眞鍋大覚氏のいう隕鉄剣を示しているのかもしれませんが、そのフルと言う文字を息子に名付けたのは、遠津山崎帯の后で越智家の姫だったんじゃないかー、なんて妄想をしてしまいます。

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再び分岐が現れます。
右側が八つ岩、左側を進むと龍王神社に辿り着けます。
この分岐がちょうど中間地点くらいな感じです。
龍王神社には後ほど行くとしましょう。

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道中で、唯一の案内板。

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ここの土壁のえぐれがすごいな。

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さらに山道を進むのですが、日差しの反対側に入るため、めっちゃ暗い。

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こっっわ。。
もう帰りたいけど、ここまで来て帰れない、そんなジレンマを抱えて歩きます。
たまにパワスポ好きなうら若き、配信系女子とかが一人で聖地巡礼したりするけど、ダメだよこんなとこ、一人で来ちゃ絶対ダメ。
SNSでバズるかもしれないけど、人生がバグるかもしれないからね。

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それと、入口の立て看板にもあったけど、不法投棄多すぎ。
古来からの聖山に、こんな粗大ゴミ捨ててさ、その後まともな一生を送れると、思うなかれ。日本の神は、コワイんよ。
まあ普通の日本人の感覚だったら、まずできないことだけど。

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大量のゴミを見ても、さすがにこの量はどうしようもなく、とぼとぼ歩いていると、

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えっ?何コレ。
三度見したよね、これ。

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ヒエ~、これ渡るの??
昨日宴会したあとにラーメン食べるんじゃなかったよ。
ワイの体重、今、大丈夫??

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腕の太さくらいの丸太はミシリと軋み音を放ちつつも、そこそこ丈夫でしたが、いつ谷底に吸い込まるのかと、お玉がヒュンとなりました。
ね、女の子ひとりで、来ちゃダメ、絶対。

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勇気のタマヒュン橋を渡って少し歩くと、巨大な岩が目につくようになります。

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そしたら右側の山肌に注意してください。
目印は、垂れ下がったロープがあるだけ。コレ、見逃しやすいから。案内板などはありません。

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このロープを伝って、垂直か!と言うような斜面をよじ登ります。

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これまでは、なだらかで整備された登山道でしたが、ここだけは別。
倒木もあったりで、アドベンチャーですよ、まったく。

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登ったら、帰りは降りなきゃいけないんだよ。
こけるよ、絶対こける。こけれる自信がある。

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そうやって、ブチブチと愚痴がこぼれ始める頃、その磐座は姿を現したのでした。

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ほおぉ~、すごい聖域感。
これが石神か。
これまでもたくさんの磐座を見てきましたが、ここは凄いね。
かなり鬱蒼とした印象ですが、平成7年の台風で付近の木が倒れ、これでもずいぶん明るくなったのだそうです。

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この八つ岩には、ヤマタノオロチ伝承がありました。

「むかし、出雲の国の肥の川に住んでいた八岐の大蛇は、一つの身に八つの頭と尾とをもっていました。素戔嗚尊がこれを八段に切断して、八つの身に八つの頭が取りつきました。八つの小蛇となって天へ昇り、水雷神と化しました。
 そして、天のむら雲の神剣に従って大和の国の布留川の川上にある日の谷に臨み、八大竜王となりました。今そこを”八つ岩”と言っています」

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「天武天皇のとき、布留の物部邑智という神主がいました。ある夜夢をみました。八つの竜が八つの頭を出して一つの神剣を守り、出雲の国から八重雲にのって光を放ちつつ布留山の奥へ飛んできて山の中に落ちました。邑智は夢に教えられた場所に来ると、一つの岩を中心にして神剣が刺してあり、八つの岩は、はじけていました。
 そして一人の神女が現れて、”神剣を布留社の高庭にお祀りください”といいました。そこで布留社の南に神殿を建てて祀ったのが今の出雲建雄神社(若宮)である」

ー 天理観光協会

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この伝承の、剣のブッ刺さってた岩ってのが、小さな祠のあった岩でしょうか。
あの祠は、近年誰かしらによって置かれたものだそうです。

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まあしかし、八つ岩と言いながら岩は無数にあります。
伝承では、「八つの竜が八つの頭を出して一つの神剣を守り~、八つの岩は、はじけていました」とあるので、かつて龍の頭だった八つの岩がここにあって、それが弾けたので無数の岩がここにある、と解釈したら良いのでしょうか。

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丘の頂点に立ってみると、あれ?これってストーンサークルなんじゃね?
同心円上に岩があるようにも見えます。

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奥にはこれまたシンメトリーな磐座がありまして、

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その一つはどうやら炭治郎が斬っちゃったようですな。炭治郎、岩斬りすぎ~。

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この竈門炭治郎岩は「バクチ石」と呼ばれていて、その昔、遠い山奥なので見つかることがないところから、ここでバクチを打っていたと云われているそうです。

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また、岩の割れ目から水が湧き出すという信仰があるそうで、八つ岩は布留川が生まれる聖地ともみなされています。
ナマズに見えますね。

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それよりも何より驚いたのがさ、これよこれ。

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山の斜面に、こ~んな感じで石が立っているんだけどさ、

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ネッシーじゃん!
いや、蛇か。

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ネッシーのしっぽ岩。石上神宮の奥宮だからイッシーか。布留山だからフッシー?

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フッシーの背中岩①②は石英の筋も入っていて、ちょっと”おち○こ”みたい。

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③は割れているから、女の子かもしれない。
そして頭岩。
これ絶対、人工的に置いてあるよね。
オロチ=やっぱり越智なんじゃないだろうか。

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ちなみにこの頭岩が、ストーンサークルの中心になります。

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あ、きのこめっけ。きのこ好きな人、いたよね、確か。

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さて、八つ岩と龍王神社の分岐点まで来ました。
やっぱすごいな、このえぐれ。

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ここから龍王神社を目指します。

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再び怖い。
布留山の谷はホオズキ谷と言って、大きな大蛇が住んでいて、その目がホオズキのように赤かったと云われているんだそうです。コワ~。

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赤い目に見つかることがないように、祈りつつ歩いていると、

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冷蔵庫の落とし物がありました。
こんなことされたら、オロチさんもそりゃ怒るわ💢
わざわざここまで冷蔵庫持ってきて捨てる、その発想と努力に呆れてしまいます。

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大きくえぐれた道。
危ないし、怖い。
一人でノコノコ来ている僕が言うのも何だけど、やっぱり若い娘の秘境一人旅は危険だよね。

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二人でも危ないし、最低三人で来ないといけないよ。
もしどうしても仲間が見つからないというのだったらさ、そうだ、いっそのこと、ウチの子になったらいいよ。
そしたら、桐彦パパがさ、手を繋いで連れてってくれるから、さ。

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まあこのネタは、うら若くない乙女が「私も桐彦パパんちの子になるー」と言ってきて、僕が「そんなに大きな娘を持った覚えはなーい💢」と言うまでがセットなんだけども。

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なんてことを考えていたら、着きました。

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ここが龍王神社。

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ここは、地元民から「りょうさん」と呼ばれ、水神が祀ってあり、雨乞いの神で、水飢饉の夏には平坦部の農家から多くの人々が手に松明を持ち、雨乞いに来ていたといいます。

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その列は、麓の長滝の村から山の上まで連なるほど長いものだったそうです。

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「りょうさん」ってのは、この地方の龍王を指す方言だと思いますが、白石の神域の入口にある池が「りょうさん池」でした。
一応この二つは南北にほぼ一直線で結ばれ、そこにはダンノダイラはじめ、さまざまな神跡が重なります。

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鬱蒼な森に佇む、古そうな石の祠。
麓の夜都岐神社(やつぎじんじゃ)の元宮であるという説もあるようです。

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さて、ここに来てちょっとだけ物部氏に対して思うことがあります。
石上神宮とは、第二次物部東征を果たしたイクメ大君が、旧王都「和邇」の地に社を築き、建布都大神社の御神体の剣を納めて、旧王朝を征服し物部王朝がその後継ぎとなったことを天下に示す象徴の場所。
なのになぜ、これだけの旧王朝の神跡が残っているのか。

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旧王家やそれに属した人がひっそりと隠し守ったのかも知れませんが、ではなぜ、旧王家「天足彦国押人」の後裔に、石上神宮の管理を任せたのか。
そもそも物部王朝の象徴たる聖地に、旧王朝が祀ってきたであろう石神の名を付けるとはどういうことなのか。

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ふと思えば、出雲制圧軍のリーダー「物部十千根」は東出雲王家・富家の王宮をそのままの形で守り、サイノカミの信仰さえ守っていた節があります。
それが今の神魂神社となり、祭神のイザナギ・イザナミ神となっています。
石見の物部神社は、出雲制圧軍の前線基地であったと伝えられますが、その境内配置は富家領の佐太神社に酷似しており、出雲王家が祭祀してきた形を残しているように見えます。
仏教伝来の時も、物部守屋は最後まで神道を守り、そして命果てました。
一度目の物部東征で分かるのは、彼らにはカリスマ的祭祀者がいなかったということ。それだけに、出雲や越智などの母系の祭祀を切望し、守ろうとしていたのではないでしょうか。
彼らの祖である徐福は、終焉の地の金立山に、出雲のサイノカミと蓬莱信仰を融合した祭祀跡を残していました。徐福は間違いなく、出雲をリスペクトしていたと思われます。

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物部族は武力に長けた集団で、不老不死信仰から、倒した敵の遺体を復活できないように切り刻んだという事例が、ヤマトタケルの神話からも窺えます。
そんな彼らの様子から、荒っぽく傲慢な印象を受けやすく、富家伝承を学ぶ人たち、特に女性の中には、物部氏をことさら忌避する傾向があります。実際僕も、そうでした。
しかし物部氏とは純粋な性格で、神道、特に日本の古い神に対する敬意は、どの一族よりも深かったのかもしれません。

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『日本後紀』巻十二によれば、桓武天皇の延暦23年(804年)に、代々の天皇が武器を納めてきた石上神宮の太刀・武具などを山城国葛野郡に遷した時、倉がひとりでに倒れ、桓武天皇も病気になり、怪異が次々と起こったといいます。
そこで急ぎ石上神宮に使者を派遣して女巫に命じたところ、女巫は何故か布都御魂ではなく、布留御魂を呼び出し、鎮魂の儀を行ったところ、女巫が一晩中怒り狂ったため、天皇の歳と同じ数の69人の僧侶を集めて読経させ、神宝を元に戻したと記されていました。

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「ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」

大和入りを果たしたイクメは、旧王都の地に布都御魂剣を突き立てたのではなく、古き石神に神宝剣を捧げることで、我が世の安寧を願ったのかもしれません。
物部王朝はわずか3代で終わりを迎えますが、以後も一族は勢力を広げ、守屋の時代には「八十物部」(やそもののべ)と大和に謳われるのでした。

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28件のコメント 追加

  1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    実は1つ後悔していることが。。。ここ、行くべきでした。龍鎮神社のほうに導かれてしまいましたが、それはそれで良かったのですが。。。

    いまこんなにここが気になるなんて。ちょっぴり、いや、かなり後悔しとります(^_^;) そう、三人がよいのです。。ね、こういうとここそ。恐れ多いことを申すようですが、きっと五条先生も弥次喜多コンビのような、淀江姐さんと私がお供したら、足手まといになりつつも、ホラー恐怖はなかったかなと(笑)

    赤い字の看板、1人でみたら、ギャ〜ですよね。しかし、スゴイです、こんなご神域にお一人で果敢に行かれるとは。振根さんの上に位置するのでしょうか。。もう、自分は行きたくて行きたくて仕方ございません。

    というのも。。

    来週、島根の雲南、大東町の幡屋神社奥宮へやっと行くのですが(奥宮の創建は鎌倉とはなっていますが、磐座は恐らく古代からあったと思います)あそこは加茂岩倉遺跡がすぐ近いこと、元々は幡矢神社であったらしいこと、それから宮司さま一族、前宮司さんの長男さんに聞いたところ、宮司さん一族の名前が波多野であり、神楽、笛吹をずッと伝承されている一族。ご先祖さんの目は色素が薄く薄い青い目をしている方もおられ、ユダヤとの関係もなんとなく聞いてきたとのこと。(この辺りはよくわかりませんが(^_^;))思うに、物部秦氏というより、海部秦氏にちかいのかなとも思えてきました。そして、石上神宮にも少し関係性があるのかなあとも思えるのです。私としては物部考というよりも、そこに西出雲王家の出雲振根やその一族の存在がチラチラ見えるのが気になり、フルフル元祖は西出雲王家からなのではないかと、妄想しているからです。

    そんなこんなで、出雲振根とこの雲南、大東近辺の神社をいま探究中です。となると、備前の石上布都魂神社にも行かねばなりませんね。五条先生の石上布都魂神社を拝見いたしました。

    ここらへんとセットでまた、八ツ岩に是非とも行きたいと思います。奈良は年に2回は足を運びたいです。石上神宮にほど近い宿、常宿にしてもよいくらい、立地やホスピタリティ抜群、食べるとこにも探すロスなし、満点💯 道の駅のとんかつ、食べ損ねたので次回は食べるぞ〜とモリモリ食べて登山に備えないといけませんね。

    そして、幡屋神社、現宮司の波多野竹彦さまのYouTubeにて配信されている出雲から奉唱する、ヒフミ祝詞。石上神宮との関係性も、来週お伺いしてみようと思います。

    山陰は雪時期です。この時期は雪の合間に行くしかないのですが、熊の心配だけはないです。

    相変わらず跳ねた内容、長文失礼しました🙏

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      今回の八ツ岩は、逆に1人だったので冷静になれたかもしれません。最初に通った裏側の道は、マヂやばかったです😅

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  2. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    今週はずっと島根におりまして、色々勉強して参りました。
    まだまだ【信憑性高い謎】【半信半疑謎】【あやしい】等様々な伝承が記録・非記録共にあったので脳内ごった煮状態です…  
    奈良との接点はだいぶ見えてまいりました。
    フルにしてもフツ(フッ)にせよ音からの持つ意は今でも大切に考えている方々のお話に救われます。
    明治以降鎮魂の意味合いも変わっていますが、地の鎮めの儀式を受け継いでいる人も身近におります。

    倉庫用で放置していたBlogですが、記録したくなりました。
    https://modeldigitalphoto.fc2.net/blog-entry-3.html

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      kanekoさん、こんにちは。
      島根では、大いに得られるものがあったことでしょう。
      忘れないために記録しておく、ということは大切かと思います。
      とりあえず、ざっくり記録しておくと、ある時ふっとつながることも多々あります。
      僕は2025年は、神門家を中心に調べることになりそうです。

      地の鎮めということに関して、僕も最近、高千穂の鎮石(要石)を祭祀してきた一族の方と、お会いする機会がありました。
      神事・儀式を続けることの困難さを、感じていたところです。

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    2. 不明 のアバター 匿名 より:

      narisawa110

      地元飯田線、面白く拝見させて頂きました。

      因みに、ワタクシ、東急5000系が大好物でございます。バリエーションが色々で直流タイプもあった気がします。今は廃線になってしまいましたが昔は国鉄が矢代あたりで乗り入れできており、上野から長電湯田中駅直行便がありました。現在は、旧型のロマンスカーが長野駅から湯田中まで出ています。

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      1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

        模型のブログまでご覧いただきありがとうございます。🙇‍♂️東急5000系!当時留学先から帰国すると都内と湘南藤沢でしたので東急小田急が一番馴染みで、東横線使用末期は1981年頃まで乗りました。それが長電地下化同時期で地下の防炎化に木造車一掃に譲られたんですよね。松電や上田交通(これは旧型の方が好きです)長野県広域に広まったものの、それも過去の思い出ですね😅 鉄話失礼いたしました。 ちなみに、上野発7時40分頃の急行妙高1号・志賀2号(79年以降奇数化で3号)で横川着が9時台、釜飯買って車内で食べて、湯田中直通志賀号にも乗車いたしました。78年だとまだ12歳ですがよく覚えております。

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        1. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

          逆でした🙇‍♂️7時47分発妙高2号志賀1号で、次発のあさまはビジネスマンで混む中、「急行のグリーン車が最高に快適なんだ」と好む父に連れられて軽井沢の会社の別荘へもこの列車利用が多かったです。

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          1. 不明 のアバター 匿名 より:

            narisawa110

            なんですとぉー(ミカン星人)www直行便お乗りになられてたんですか。昔は温泉がリゾートの趣で、旅行者が大変多かったですね。

            5000系初期型とかwww、何だかおねだりしてしまったようですみません。

            長電は車両の整備が一級で、自分たちで部品も作ってしまうので今でも、しなの鉄道整備はまだ長電関連の会社で請け負っていたと思います。確か神棚もあって鍛冶の神様だったかと。鋳物で部品を作ってしまうほどの猛者であったと聞いております。

            長電2500系は超初期のスライド乗降口扉の窓が大きいタイプが1編成あったかと思います。長電のみ押し込み式ベンチレータで、前照灯が上のみ。岳南と逆なんですよね。試験時は赤一色。松電は熊本と同じで実はワンマン対応でミラー付きになっており、結局使われませんでしたが増設運転台のあるものが1編成ありました。試験時はホワイト。熊本電気鉄道以外で現存する車両は松電の物で、確か導入時の東急型に戻し、ミラーを外した状態で県外で静態保存になったと思われます。長野県の須坂インター近くの喫茶店の展示車両は確か運よく引き取り手が見つかり東急型に戻す改造をして展示される流れだったと思います。長電名物の前方後円墳型の配線カバーは外されてしまうと思います。

            いつか時間が在ったらと思い、熊電改造ベースにエッチングパーツと有井の岳南電車のタイプをヤフオクで集めて時間がないままそのままになってしまっています。

            まさか・・5200ゆたんぽにも乗られたことが・・・

            いいね: 2人

          2. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            マニアック😄

            いいね: 1人

          3. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

            鉄道だけに「脱線」ですが😅 私の模型がある方のブログにコメント欄を付けられるか試してみます。無理なら現ブログに記事にします。 まだまだネタは豊富です~。
            もちろん「ゆたんぽ」こと5200は大井町線5連時代中心ですが何度も乗ってますし、妻が元関水金属(KATO)の企画社員だったり→銀座松屋の鉄道模型ショウで業界で知り合って結婚したとか😂
            私は鉄道写真界過去最大の写真展の統括プロデューサーだったりとか(もうやめい💦)
            ここお借りしてはいけないのでぜひウチの方で。

            いいね: 1人

          4. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

            ウチで盛り上がっていただいて、全く構いませんが、写真を色々見てみたいですね😊

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  3. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    追記です。すみません間違えました。島根の幡屋神社の元宮の磐座は昔からご鎮座(鏡岩)してますが、今の宮司さんが、昔から親戚から、どこかに誰もまだ知らない祠があると聞かされていて、最近、その磐座の裏山にやっと小さな祠を見つけたそうです。恐らく、まだどこにもアップされていない祠だと思われるとのことでした。

    西出雲王家、振根、阿波忌部、物部の融合してそうな気になる神社です

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  4. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    出雲の武部峠が気になり、出雲風土記の建部の郷にたどり着きました。そこは大和とフトニ系吉備が西出雲王家、つまり出雲建こと出雲建雄こと出雲振根から支配権を奪った、制圧の地名なのだということがなんとなーくわかりました。

    フルフル気になり調べていくうちに、神門の臣古彌がフルネと読みますよね。。。この一族って物部氏と姻戚関係? でここに住み始めてからこの辺りを建部と呼んで、現在の武部になったということみたいです。フルフルユラユラの原型は、この一族の持つ力、イブヨセ、息寄せ、黄泉がえりの術からきてるとかきてないとか。。🤔🤔🤔

    おお。。切手神社とか検索したらありました。いま気になる神社は、くしふる神社と重蔵神社(地震と要石)、切手神社と出雲大原郡の幡屋神社(フルフル関連)です。

    どうやら幡屋神社にも振根伝承が伝わっていそうです。宮司さんの一族おられまして。。ハタ◯さんですよ。名前がもうね。。ご長男さんが知り合いでして、話を聞く所によると、元宮があり最近かもですが、古い時代の磐座が見つかったそうです。冬になる前に行きたい場所です。

    石上神宮の出雲系を祭るエリアを参拝してからどうも振根さんやフル、フユ、神門家と物部氏の関係性が私も気になり始めました。

    。。もちろん私の頭は交通整理ができていません(笑)五条先生からヒントを教えて頂いても分からないと思います(^_^;)

    物部の祖が徐福だとすると、もともと不老不死を追求した方士でもありますから故に、忌部を介してその力を得た物部の一部の一族がいて、振根を倒したと同時に振根の一族と姻戚関係を結んで。。。石上神宮のエピソードに繋がる。。のか🤔🤔🤔

    神門家、西出雲王家→物部系が絡む

    向家、東出雲王家→蘇我系が絡む

    こんな構図が浮かびました。

    フルフル気になる。

    余談ですが、でもどうしても解せないのは、書紀で四道将軍とかなんとか呼ばれて吉備津彦と一緒に振根を抹殺したとかいう人物に大彦の息子を当てはめた果安ですかね。。大和への恭順を示し国造としての地位を守るために、武渟川別命の名前をそこに記したのでしょうが、まこと残念なストーリーです(T_T)

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      切手神社、面白そうですね。でも遠い😅
      幡屋神社は以前から気になっており、山中に元宮があるという情報も確認済みでした。磐座があるんですね。
      僕は雪が溶けて出づ芽の頃に伺いたいと思いますので、情報がありましたら、ぜひ教えてください😊

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      1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        磐座気になっておられましたか、目利きが流石の五条先生✨️
        私は去年、職場におられる今の宮司の先代の宮司さんのご長男さんから聞きました。幡矢だったんじゃないかとも言っておられました。神原近いし、矢櫃神社も近いですもんね。御神宝の矢。

        了解です(^o^)
        今の宮司さんがその裏山で見つけたという小さな祠、何やらずっと探し続けてたのがやっとあったと興奮されてたとか。
        その情報も探っておきますね。
        あと飯&カフェ情報ლ(´ڡ`ლ)

        秘境メシとかありそうですもんね。お蕎麦とか。
        今年の年越し蕎麦は笠そば〜🎶

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  5. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    そういえば、

    高千穂に天孫降臨地として、くしふる神社ってありますね。久士布流、布留、振る。振るとか、フユという言葉は地震封印を表してるような気がなんだか突然してきました。

    振る、地震。。なにかに影響うけたかのでしょうか、最近🤔 櫛というのも、結構なにやら含み意味もあるとか(ミステリー作家、高田崇史氏の本読み過ぎかも(笑) 意外とおもろいですよ)

    それから三という数字。聖数とされて三拍子。これは出雲も三と八を聖数として崇めていましたよね。特に三十三とか、十三という数字。神社でいうと十三神社(重蔵神社とかも)、仏教では観音菩薩が姿を変えて衆生を救うそのお姿が三十三、三十三詣りとか、三十三間堂とかはそこからくるそうです。そういえば重蔵神社のフユ衣さま。

    たまたま数字と古代史を調べてる友人がいて、私の誕生日が三、十三だということで仲良くなりました(^_^;言霊、数字、興味はさほどなかったものの。。。言霊とか数字って本気で調べたり向き合うと何かあるのですかね。こういう世界はなんかちょっとバイアスかかってしまってたのか、自分はなんか抵抗感あります。。。が、目に見えない世界、というのも確かにあるんでしょうね。

    しかし、漢字はとてもとても気になります。地名とか漢字の由来、そこには古参の知恵や、忘れてはなるまい、残さねばならないという当時の人間の意志を感じます。古地図をボーッと眺めてて、よしっ次行く神社ここだ、とか、気になる神社が自ずと決まります。大抵、そういうカンって当たるというか。。そういうのってありますよね☺☺

    いいね: 2人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      くしふる社と地震に目を付けられるとは、さすが出芽のSUETSUGUさん😏
      ちなみに僕は、4という数字が常に絡んでいます。

      いいね

      1. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

        4が絡むーちょ?

        なんででしょう?🤔

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  6. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    徐福は出雲をリスペクトしていた、というのはわかります。彼の和名のひとつに、出雲風土記の波多の郷に、「波多都身ノ命」の現れた処故、波多の地名になったとあり、

    波多都身ノ命=徐福でハタ族の代表としてとらえられてますよね。

    で、じ〜っと漢字を見て思ったとですが、

    似てる。。。

    八重は多く重なるという意味?

    八重波都身と波多都身ノ命。

    八代目少名彦、事代主の本名に似せてるということは、徐福が出雲王家をリスペクトし、かなり親密で信頼されていたということなのではないかと思いました。

    ニギハヤヒ=火明命=事代主とかいう説も巷にはありますが、それはちょっと🤔いや、かなり解せませぬ。

    それにしても物部神社といい、石上神宮といい、五条先生の言われるように、出雲の痕跡を敢えて残しているとしか思えないですね。石上神宮の出雲エリアにある天神社もそんな気がしてなりません。

    また秋上家と神魂神社との晩年の経緯といい。。やはり、物部氏は出雲を畏敬の念でとらえていたのですかね。乗っ取りは否めませんが。。制服したものの贖罪というか、申し訳なさみたいなのも少し感じますよね。祟りを畏れたというのもあるでしょうが。死者をも蘇らせるユラユラフルベ。武が物部で、恩頼は出雲王家に感じます。振る、フユ、これは出雲式の呪術のひとつが物部に継承されたものだったとは考えられないでしょうか。あ、単なるいつもの変なカン(笑)テキトーですみませんm(__)m

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      徐福がアンチ出雲だったら、さすがに妃を二人も貰えないですよね😅
      高照姫を捨てたようになっていますが、それで親戚のアタカタスが娘をやるとは思えないです。

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  7. 出芽のSUETSUGU のアバター 出芽のSUETSUGU より:

    ダンノダイラ→白石の御神域→りょうさん池→龍王神社→八つ岩。なんともきれいな一直線ですね。たまに思うのですがこの時代の方々は、測量とかに近い技術を持ってたんかなあと思います。計測器やレーザーポイントなしにどうやってできたんだろ? だいたいこの辺〜🎶てな感覚でレイラインとかもできるとは思えないですね。。

    そしてまさかの出雲振根とフルべ。そうくるのですね(@_@;)

    石上神宮を見下ろす形で西出雲王家の元宮がご鎮座しているみたいですね。。そういえばミタマノフユ(御霊のフユ=恩頼)のフユと振るは同原語だと聞いたことがあります。冬も同じだと。天之冬衣もフユがつきますが、冬は振ゆを表すそうで。。実は西出雲王家?🫢 

    それにしても、冬眠前の森のクマさんの危険、神隠しの危険、死の谷底にオチる危険、アドレナリンと出雲のお守り、御加護が護って下さっていのかもしれませんが。。更新(交信)が途絶えませんように🙏

    赤いきのこ🍄萌〜タマゴダケの、モドキさんかな。。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      振る、何かを揺り動かす力のようなものでしょうか。地震??

      古代の採石民族は、特殊な測量技術を持っていたのではないでしょうか。

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  8. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

    🐥布留のオチ、物部オチ、オチのオの漢字の上に口、下に巴。巴とは蛇がとぐろを巻いた姿を表している…武具に縁がある残忍な一族である物部。布留の御霊を呼び出したら憑代である女巫が怒り狂うとは剣呑ですな🐤一体何を呼び出したんですかな…

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      石上神社の神宝を持ち出そうとしたから、ヤバみな神が怒ったんでしょうな。くわばら、くわばら。

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      1. Nekonekoneko のアバター Nekonekoneko より:

        🐥少なくとも大人のやる事では無いですな。事情も汲まないで半日以上も怒り狂うとか🐤

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        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          人は誰しも、人目を憚らず、童心に帰って踊り狂いたい時もある、そんな気分だったのでしょう🐍

          いいね: 1人

  9. asamoyosi のアバター asamoyosi より:

    まさに命懸けといった感ですね。🥵

    気をつけてご研究、なさってくださいますように。

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    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      毎回いろいろありますが、流石に肝が冷えました😅

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