伊勢神宮・内宮:斎王 12

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「この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ」

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ついに僕も彼の地へと辿り着きました。
日本最大の聖地、日本国民の大御親神(おおみおやがみ)皇祖「天照大御神」が鎮まる場所、伊勢神宮・内宮です。

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垂仁天皇25年(紀元前5年)3月、伊勢に至った大和姫の元に神託が降ります。

「この神風吹く伊勢の国は常世の波が幾重にも寄せ来たり、辺境ではあるが美しい国だ。この国に落ち着こう」

神意に従い、祠と斎宮を五十鈴川の川上に設けました。
それが「皇大神宮」の始まりと伝えられています。

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「内宮」への入り口に掛かる橋は「宇治橋」と呼ばれます。
その下に流れる川が五十鈴川です。
川の中に立っている柱は、増水時に流れてくる大木などから、橋を守るためにあるそうです。

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広大な神苑の中を歩いていきます。
静けさの中に、砂利を踏む音が響いていました。

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かつてはこの神苑まで店が並んでいたそうで、その名残の礎石が今もラインのように残っています。
神聖さを尊重し、店を撤廃したのだとか。

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しばらく進むと立派な手水舎が見えて来ます。

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もちろん、この手水舎で手口を清めるのも良いですが、せっかくなので伝統的な方法でお清めをしてみます。

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手水舎から火除橋を越えて、鳥居の先に向かうと、

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河原に出る場所があります。

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そこは「五十鈴川御手洗場」(いすずがわみたらしば)と言って、直接、五十鈴川の清流で手口を清める場所となっています。

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そこにある石畳は、徳川綱吉の母「桂松院」が寄進したものと伝えられています。

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心地よい風も時折吹いていて、しばしの間、自然の音に身を寄せるのも良いです。

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この後「御正宮」参拝する前に伺いたい場所があります。

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「瀧祭神」(たきまつりのかみ)です。
地域住民からは「おとりつぎさん」として親しまれ、当社を参拝すると、天照大神に願い事を取り次いでくれると云われています。
ここでの参拝は、住所と氏名、参拝の旨をご報告しておくことがポイントのようです。

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玉垣の中を覗くと、社殿はなく、神体石が祀られているのみとなっています。
社殿がない理由は神宮関係者にも分からず、更に物忌の奉仕まで捧げられることは謎であると云われています。

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祭神の「瀧祭大神」(タキマツリノオオカミ)は五十鈴川の水源の神であるとされますが、名前からみて、別宮の「瀧原宮」との関連が気になります。

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神楽殿手前に、「風日祈宮」(かざひのみのみや)に続く道があります。
鳥居の前で軽くご挨拶し、こちらへは後ほど参ることにします。

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堂々とした入母屋造の「神楽殿」です。

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社務所や授与所などがここにあります。

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外宮にもあった手水鉢が、ここにもありました。

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「御正宮」が見えて来ました。

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日中はごった返す伊勢神宮も、早朝なら独り占めできます。

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御正宮の真向かいにある「御贄調舎」(みにえちょうしゃ)もパワースポットと云われています。

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中には入れませんが、神が宿っていると云う石積みの「神座」(しんざ)があり、ここで神に供える食べ物「御贄」(みにえ)として、アワビを調理する儀式が行われます。

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大きな石の階段を、一歩ずつ昇ります。

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皇大神宮・御正宮。
主祭神は「天照坐皇大御神」(アマテラシマススメオオミカミ)。
三種の神器の1つ・「八咫鏡」を神体とすると云われています。

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かつて内宮は、「荒木田」氏が祠官を世襲していたそうですが、明治の世襲制廃止によって任を解かれます。
現在は伊勢神宮を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人「神社本庁」によって管轄されています。

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神社本庁は、約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している、日本で最大の神道系宗教団体だといいます。
内務省の外局であった神祇院の後継的存在です。

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明治23年(1890年)、大日本帝国憲法第28条により、国民の「信教の自由」が認められると、神道・仏教・キリスト教は宗教団体として国家の公認を得ました。
しかし神社は国家から宗教として扱われないまま国家祭祀を公的に行う位置づけとされたそうです。

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1945年、第二次世界大戦により敗戦した日本では、GHQにより神道指令が出され、国家神道は廃止されます。
これにより、日本の神社は存続を危ぶまれました。
そこで尽力したのが「葦津珍彦」氏で、皇典講究所の「吉田茂」氏、神宮奉斎会の「宮川宗徳」氏とともに打開策を探ります。
1946年(昭和21年)、「全国神社の総意に基き、本宗と仰ぐ皇大神宮の許に、全国神社を含む新団体を結成し、協力一致神社本来の使命達成に邁進し、以て新日本の建設に寄与せんことを期す。」として、神社本庁を設立。
これにより、宗教法人法のもと、神社も他の宗教と同じく宗教団体として扱われることとなったのです。

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「慎みて怠ることなかれ」
『日本書紀』などに記されたこの言葉は、東征の途中神宮に詣でた「日本武尊」(やまとたけるのみこと)に、大和姫命が送ったとされています。
この言葉は、現在でも神職の心構えなど示すものとして大切にされているそうです。

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1945年7月29日の宇治山田空襲で、内宮にも40機ほどのアメリカ軍機が神域に迫ってきたそうですが、内宮の神域に差し掛かったところで焼夷弾は五十鈴川対岸の山に吸い込まれるように流れていき、この「奇跡」により内宮に被害はなく、神職は「ご神威」に涙したと伝えられています。

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参道を歩いて行くと、幾つかの倉などを通り過ぎます。
その中にある、「御稲御倉」(みしねのみくら)は、規模こそ小さいものの唯一神明造となっていて、内宮の御正殿とほぼ同じ形なのだそうです。

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やはり僕は、他の神明造りとの差が分かりません。

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別宮「荒祭宮」に向かって歩いていきますが、その手前にある石段は気をつけなければなりません。

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「お踏まずの石」と言われている石があります。
決して踏んだり触ったりしてはいけない石です。
ヒビが「天」に似ていることから、天から降ってきた石と云われています。

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そして「荒祭宮」(あらまつりのみや)が見えて来ました。

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ここは「天照大御神」の「荒御魂」(あらみたま)を祀っています。

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荒御魂は活動的な「御魂」の状態を指し、具体的なお願い事はここですることになっています。

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小高い木々に囲まれた美しい社殿。

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遠い昔に、ここで幾度も御神託を賜ったと伝えられていました。

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境内を進んでいると、しめ縄で囲まれた場所があります。
「四至神」(みやのめぐりのかみ)といい、神宮境内四方を守る神様です。

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「外宮」の「三ツ石」同様、温かいエネルギーを感じるという人が多いようです。
社殿はありませんが、ここでもお参りをすると良いようです。

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さて、境内を一周して「風日祈宮」(かざひのみのみや)に戻ってきました。

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五十鈴川支流の島路川を渡ります。
古くはこの橋がかかる川が五十鈴川本流とされており、この橋を五十鈴川橋と呼んだそうです。
後に最も長い川が河川の本流と定義され、当川が島路川と呼ばれてからは風日祈宮橋と呼ぶのが一般的となりました。

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宮橋を渡った先にある社殿、名の通り「風」にまつわる神様の宮です。

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祭神は「級長津彦命」(シナツヒコノミコト)と「級長戸辺命」(シナトベノミコト)。
本来は農耕に適した風雨をもたらす神でしたが、「元寇」の際、「神風」を起こしたのがこの神であると云われるようになり、日本の国難に際して日本を救う祈願の対象となったと伝えられています。

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遷宮前の侘びた社殿の写真です。
当時も独特の雰囲気がありました。

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数ある伊勢の聖域の中で、「風日祈宮」では特に強い気を感じるという人が多いようです。

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風日祈宮にそうした神気を養っているのが、社殿背後の杜の存在です。

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島路川から吹く風が、この大樹らに吸収され、大きな気へと育っているように感じました。

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一通り境内を周り、宇治橋まで戻って来ました。
多くの人はここで内宮を去りますが、その前にもうひと寄り。

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神宮司庁方面へ歩いていくと「大山祇神社」(おおやまつみじんじゃ)と「子安神社」(こやすじんじゃ)がひっそり鎮座しています。

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祭神は「大山祇命」とその娘「木花開耶姫命」(コノハナサクヤヒメノミコト)です。

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恋愛と安産に霊験ありと、知る人ぞ知る宮です。

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最後に宇治橋を渡り「伊勢神宮・内宮」を後にします。
名残惜しむあなたに、おまじないをひとつ。
宇治橋の西詰北側二つ目の「擬宝珠」(ぎぼし)、この中には橋の安全を祈って「饗土橋姫神社」(あえどはしひめじんじゃ)の「萬度麻」(まんどぬさ)が収められています。
この擬宝珠に触れて帰ると、また伊勢参拝に訪れることができると言われています。
帰り際、最後から二つ目の擬宝珠です。
文字がかいてあるのが目印となりますので、ぜひそっと触れて帰りましょう。

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