2021年11月8日、埼玉県秩父市の山中にある「三峯神社」(みつみねじんじゃ)へ、お礼の言葉を伝えに参拝してきました。
前日の7日はご存知の通り、僕の講演会という、始まる前から黒歴史確定のイベントがありまして、その緊張を少しでも和らげられるものはないかと会場へ向かう最中に道草をしておりました。
するとGoogleマップで「アラハバキ神祠」という表示を発見!
アラハバキ、ああなんとも安らぐ響きです。
たどり着いてみると、住宅街が密集する中にそれはありました。
外からはそこに何かあるなどとは分かりません。
マップを頼りに路地裏の細道を登っていくと
おや、ありました♪
小さな石の祠に祀られた、丸っこい石が3つ。
そこらへんに転がっていても、誰も見向きもしないような単なる石ころですが、この丸み、このふくよかさ、こうしてみると、もう僕には母なる女神の神像にしか見えません。
もちろん古代からこれが祀られていたわけではないでしょうが、いつ頃か当地に伝わるアラハバキ信仰を感じ取った方が、こうした御神体を組み上げたのでしょう。
素晴らしい感性です。僕はちょっぴり感動しちゃいました。
僕は講演会の冒頭で、会場の西10kmあたりのところと、このアラハバキ神祠の場所を紹介してしまいましたが、東北東に6.5kmの横浜市栄区公田町の間違いでした。
ごめんなさい。。
近辺はちょっとした散歩コースになっていて、「あらはばきはし」というものもありました。
早朝、三峯神社に向けて車を走らせます。
山は色づいて、道行きは赤やオレンジのトンネルになっていました。
三峰神社は、秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。
参道の入口にある三ツ鳥居、その横には神使である狼が狛犬がわりに鎮座しています。
前回撮り損ねていた由緒書、
そこにもオオカミさんがいらっしゃいます。
社伝によれば、ヤマトタケルが当地に至った時、道案内をしたのが狼だったと云います。
ヤマトタケルが秩父の山奥にまで来たということはないでしょうから、やって来たのは後の物部族が何かでしょう。
道案内した狼とは大神のこと。
三輪鳥居が入口にあることから、三輪大神を祭祀する一族が当地にいたことを示しているのだと推察します。
落ち葉が覆う参道。
僕は真っ盛りも好きですが、色づき始め、散り始めも好きです。
というか、日本の四季は、どこをとっても美しくて好き。
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
平安時代末期に流行った有名な『いろは歌』です。
『涅槃経』(ねはんきょう)の「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」を表すと言われてます。
色美しく香しい花も、やがては散ってしまうもの。
この世に生きる誰一人、永遠に生き続けられるものではない。
私はこの止まぬ迷いと苦しみの奥山を今日越えて
もはや儚い夢を見ることなく、俗世に酔いしれることもない、安らかな心境へと至るのです
来ました、三峯神社御本社。
両脇に聳える御神木。
見上げんばかりの巨木です。
まるで大社の鳥居のようですね。
三峯神社では、この木の氣を受けた「氣守」が人気です。
しかし僕が求めに来たのは、当社の裏のお札と云われる「御眷属拝借」のお札。
昨年このお札を、ブログネタに、程度の思いで受けてきたのですが、その帰宅直後に斎木雲州氏から手紙が届いたのです。
「会いましょう」と。
ふだんお守り、お札、御神徳の類はあまり気にしていなかった僕も、流石にこの時はブルりました。
やっべ、これ本物だ。。
すぐに本棚の上を掃除して、きちんとお札を祀り直したものです。
御眷属拝借は1年間の有効期限つき、
本も完成し、ちょうど講演会に呼ばれましたので、お礼参りに馳せ参じたのです。
御眷属拝借を受ける前にご挨拶に伺った方が良いとされる「遠宮」。
ここには「お犬様」が祀られています。
たくさんのお犬様の像に囲まれた石祠、
その頭の部分が「そらくん」に見えます。
遠宮参拝を終えたら、お札を返納し、新しいものを頂きます。
本殿で祈祷をいただき、御眷属お持ち帰り♪
小雨も降ってきましたが、秋雨じゃ、濡れてゆこう。
防水無仕様の愛機を死守しながら、も少し境内を散策します。
しっとりとした秋の神社も妖艶です。
大人の艶美を感じます。
ヤマタケさんちっす。
人生とは色々ですな。
まさかこの歳で、このような展開が待っているとは思いもせなんだ。
奥宮遥拝殿にも足を伸ばしましょう。
・・・っ!!!!!
んなっ、なんてものを見せてくれるんだ、あなたは!
最後に美しい景色を、三峰の山は僕に見せてくれました。
この世界は僕に未練をたっぷり押し付けてきます。
まだまだ僕には、寂滅為楽には程遠い。
人生の悩みも苦しみも、どうせなら楽しませてもらおうじゃないか。
なぜなら僕は、真正のマゾだから!
ツンデレな神よ、これからもこの下僕を、どうぞ振り回してくださいませ。
というか、三峯神社も公式にアナウンスしない、この秘密の社、
改めて凄い場所だな。
奥宮と本社の間にあるこの社は、とても重要な位置付けなのだろうと思われます。
帰り道、「秩父神社」にも立ち寄りました。
こちらが御神体となります。
うそです。
街中にあり、市民憩いの社ですね。
菊花祭があってました。
社殿は相変わらず修復中。
しかし天幕が反対側になっています。これはあれがみれるのでは!
大国主・事代主さんちっす。
相変わらず素晴らしい彫刻の数々。
前回見れなかった「つなぎの龍」
「その昔、秩父観音霊場札所十五番である少林寺の近くの天ヶ池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。
この彫刻こそ、伝説に語られた「つなぎの龍」の姿です。つなぎの龍の彫刻も、名工 左甚五郎が社殿彫刻に施したものと思われます。」
と、神社の説明です。
フクロウさんも見れました。
御柱もあったんですね。
秩父だけにおちちの木。
今回は時間にゆとりがあるので、境内を一周してみました。
ちゃんと狼さんもいます。
秩父神社の鎮守の森は、古くから「柞乃杜」(ははそのもり)と呼ばれ、市民に親しまれてきました。
「享和2年(1802年)秩父妙見宮縁起にも「柞の杜」とある通り、「柞」はミズナラの繁茂した神聖な杜であったと伝えられ、新編武蔵風土記稿には「社地一萬千四百八十四坪(約38,000㎡)是を柞の森と称します。「母巣の森」とも記され、かつてはブッポウソウの生息地となっていました。」
「柞祖霊社」というものも鎮座していました。
比較的新しい神社のようでしたが、ハハソ=母木=アラハバキが連想されました。
秩父神社の御祭神は芽衣子ちゃんで合ってます。(笑)嘘です。
こんばんはCHIRICOさん。人麿、読み終わりました。私の知る人麿は和歌の人。程度の知識で読み始めてびっくり。
稗田阿礼=人麿とは。目から鱗が落ちる想いでタイヤ交換を待つ間に読破させて頂きました。
ブログの横書きで本も書かれていたので読みやすかったです。
縦書きの本も好きなんですが、モノによっては頭に入ってこない本もあったので(笑)
サイン入りの本、ありがとうございます。続編の匂いがします。今度の講演会には乱入します。(笑)
CHIRICOさんには三峯神社さんは相性が良い神社のようですね。埼玉県民として秩父三社も誇るべき神社ですので、遠路はるばる福岡から来て頂けるのは光栄です。もう色々あやかって行ってくださいませ。(笑)
改めて、良い御縁でした。
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続編というか、本当はもっと時間をかけて完全版を出したい思いです。
読み物風なので縦書きにした方が良いのか斎木氏に確認したら、本は本来横書きなんだよ、とおっしゃられていました。縦書きのスタイルは後からでてきたものだから、と。
埼玉、また行きたいです!
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大神様の御眷属は秩父と飛騨が有名でしょうか。
両神山は現在でも社家の方が登山口の山小屋を経営されて居ます
そこのお話によれば秩父のオオカミ様は、両神社から貸し出した物のようです。
小屋に差し入れ持って行ったら色々お話して下さいました。
私も時間に余裕ができたら武甲山神社のお話聞きに行こうかと思っています。
話がそれましたが、奥社に行く直前の山道ですがいつも獣臭がするんでるよ。
何でか知りませんが、オオカミ様が守ってる気がしています
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おおーさすがnarisawaさん、また通な情報をありがとうございます。
しかも両神山も武甲山も、けっこうな山ですね〜。。でも行ってみたい♪
ということは両神社に出雲族の痕跡が残っているのでしょうかね、気になります。
そう、今回のお礼参りでも、駐車場から参道に登る途中、奥宮への分岐点で強烈な獣臭がしてドキッとしました。そういうことなんですかね。。
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両神山は昔は八日見山と言って、タケル伝承で8日が出てくるエピソードの場所を示す山と言われています。
長野県の碓氷峠では三代熊野のひとつ、熊野皇大神宮がありますが、そこにもタケル伝承があります。でもそこにはオオカミは居ません。ぬめっと長いサンショウウオの様な狛犬はありますが。
大神伝承は秩父神社、武甲山の社家が物部姓である事もあり、物部の投影が強い印象がありますね。しかし武蔵御嶽山となると、物部の印象が薄れる気がします。
仮に行かれる場合は、ルートは私のレコにもある様に、一番メジャーで安心日向大谷ルート(必ずピストンで)で行かれてください。八丁谷ルートは鎖場で単独行は禁止されています。とんでもないことになりますのでご注意を。間違って遭難して赤岩峠方面に行くと気づけはそこは熊の糞の巣窟であります。
話を戻しまして、物部関連で富士林先生の本を読んでいますが、ちょっと興奮しております。
邪馬台国、東征を圧縮して神功皇后に偽装しようとするのなら、物部氏を隠した記紀の目的は何だろうという事を考えていました。
日向神話の家系図を見ても一部しか想像できません。
ホオリと、豊玉姫を、イニエとイチキチマヒメにそれぞれ入れ替えれば、渚武とウガヤフキアエズを同一視し、磐余彦が物部だと分かるようにしているのではと推測ですが、何らかの方向性は見えますがやはりこれも一部だけ。
通常であれば、系図の欠損は発生しない。時代が同じなら次の人物を後継者にすれば簡単に万世一系は成立する。でもイニエと同時代の10代大王は丸々隠されています。
大和入りしてないイニエと、東征開始直後に亡くなったヒコイマスを隠し、息子のヒコミチヌシの代で垂仁イクメが政権を取ったという宇佐、神床家、向家の伝承が一致しているのなら、欠損の系図が1.5代~多く見ても2代分発生している事になります。
海部系の王朝にクニクルの代で女系に物部が入ったことを隠しもしない。
開化の息子であるヒコイマス、武内宿祢の父親であるフツオシマコトまでも系図が隠されていない
ヒコミチヌシ、武内宿祢、垂仁が同じ代であるという事は伝承が無くとも想像に行きつく人は居るだろう。
何故、崇神から垂仁までの時間を系図を消さずに圧縮したのか。何故ミマキなのか。崇神に至っては任那から来たように偽装されて、物部氏がその諡号の偽装に関わっている。諡号を付けた淡海は開化の子孫で、物部関係者。
順番が逆になっています。諡号が先に来てて、記紀が後になっているという推論が排除できないまま、記紀が独り歩きしている事になります。
その核心部分が丁度、新しい本に出ていますね。一気に出雲伝承は佳境に入ってきたと思います。あれを最初に出してたら、逆に世の中に受け入れられなかった可能性すら感じます。
PS:富先生は、お急ぎなんじゃないですかね。当日はお体優れなかったようですし。血縁の方の後継者の方はいらっしゃらないんでしょうか?次のイベントがあればまた絶対に行きます。今度こそ、私も色々お話させていただきたいです。
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確かに、物部の一次東征と二次東征の期間の話は、斎木氏の話や他の大元本でも安定しておらず、大彦やヤタガラスの年代が本によってずれていたりします。おそらく伝承でも不確定な部分なのだと思います。
何か大きな欠損がある可能性は高いと思います。しかしそれを探る手もまた失われて見つからないのが現状です。旅の中で何か発見があれば良いのですが、今のところ「あけぼの」や「ヤマト政権」を超える情報は見えてきません。
この期間の謎は僕も今後つきまとうテーマだと感じていますので、何か分かれば、ご報告します。
それにしても基本的に単独行動の僕ですので、両神山や武蔵御嶽山に向かうときは、ご忠告を踏まえ、十分に検討いたします。
それにしても、いつも貴重なたくさんの情報、ありがとうございます。
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あともしご迷惑でなければ、下記にメールをいただけないでしょうか、お急ぎの件でお伝えしたいことがございます。
a.kushihikata@gmail.com
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とっても面白かったし、紅葉も頂の景色も最高でした。ありがとう😊ございます😊
わたしには、3つの石は、手前のものはどうしてもおまんじゅうにしか見えません。まだまだ修行が足りませんね😓
ツンデレの神さま🙏どうか見守っていてください。
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mame58さん、ありがとうございます😊
僕も手前の石はおまんじゅうに見えました😄
あの石は何を表しているのでしょうね?お供物なのか、女神の子供なのか。
僕の神さまは、時として厳しい状況を押し付けて、もう死ぬんじゃないかと思うことさえあるのですが、必ずその先に素晴らしい、生きててよかったと思うほどの景色を見せてくれます。まさに究極のツンデレさんなのです😁
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