敵味方入り乱れる戦場で島津義弘は思わず問いかけた
「女か?」
「女ではない、立花だ。」
勇ましくも可憐で美しい、そう答える女の名は立花誾千代。
「立花誾千代姫」(たちばなぎんちよひめ)とは正に、そういった男顔負けの武勇伝をもった女性でした。
豊後の大友宗麟(おおともそうりん)の重臣のひとりに「立花道雪」(たちばなどうせつ)がおりました。
道雪の元の名は「戸次鑑連」(べっきあきつら)といいます。
道雪は様々な武勇を持つ猛将ですが、中でも大木の下で休んでいた時、落ちてきた雷を太刀で斬ったと言う伝説もあります。
その太刀は確かに雷を受けた傷があり、銘を「千鳥」と言いましたが、「雷切」と改めたそうです。
さて、その道雪が57歳にしてやっと授かった女の子、それが「誾千代」です。
老いてからの娘は相当可愛かったらしく、幼い頃から、男顔負けの当主としての教育をほどこします。
そして、天正三年(1575年)5月28日に道雪は、わずか7歳の誾千代に家督を譲ったのです。
僕がこの「誾千代姫」に興味を持ったのは、この本を読んだからです。
「利休にたずねよ」で直木賞をとった「山本兼一」氏の「まりしてん誾千代姫」。
表紙挿絵の「ワカマツカオリ」さんのイラストもグッとくる可憐さで、たちまち姫の虜になりました。
7歳で城主となった誾千代は、城のある立花山を縦横無尽に駆け巡り、青春時代を過ごします。
ちなみに小説で誾千代の代名詞として言い表される「まりしてん」は猪の背にまたがる女武神です。
関係はないでしょうが、立花山に向かう道すがら、猪の首の剥製があってびっくりしました。
さて、誾千代の面影を追って、立花山へ登っていきます。
立花山はプチ登山といった趣ですが、途中やや勾配が厳しいところもありました。
しかしそこにある樹勢豊かな森は疲れを程よく癒してくれます。
苔むした倒木
生きているような巨大な木があちこちにあります。
「屏風岩」は天然の城壁のようです。
立花城の古井戸跡がありました。
誾千代姫13歳の時、大友家の家臣だった「高橋紹運」(たかはしじょううん)の息子、「高橋統虎」(むねとら)と結婚します。
この時統虎は15歳。
統虎は父の道雪が、武将の中の武将と惚れ込んだ男でした。
高橋家の長男を婿に出す気のない紹運でしたが、何度も頼み込む道雪に折れてしまいます。
この統虎こそが「立花宗茂」(むねしげ)その人であり、鎮西一と謳われた西の無双者です。
結婚から4年後の天正十三年(1585年)に道雪、その翌年には、紹運が亡くなります。
それは島津が攻め込む激戦の最中でした。
島津は、その勢いのまま立花城へも手を伸ばしますが、ここで宗茂は見事、城を守り抜きました。
誾千代も、篭城戦で徹底抗戦し、奪われた領地を取り戻します。
宗茂は翌年に遠征に来た豊臣秀吉の力を借り、島津を撃退します。
その優秀さ猛勇さに惚れ込んだ秀吉は「その忠義 鎮西一、その剛勇 また鎮西一」と褒め称えます。
この働きにより秀吉に直臣として取り立てられた宗茂は、筑後柳川13万石の大名への大出世を果たすのです。
しかしこの時、誾千代の心は揺れ動きます。
大名になったとはいえ、父と暮らした故郷、この立花山を離れたくはなかったのです。
立花山を下山していると、思わぬ場所に出ました。
「楠の原始林」とありました。
そこは屋久島さながら、といった太古からの森が存在しています。
樹齢300年を超えた大楠が600本も群生しているそうです。
可憐で可愛らしい誾千代も、この森を駆け巡っていたのでしょう。
では、立花山の麓にある名所を少しご紹介します。
「六所神社」は道雪が武運を祈願した神社です。
シンプルな拝殿です。
石の祠が幾つか並んでいます。
拝殿の裏に階段があり、
その先に本殿がありました。
「梅岳寺」には道雪のお墓があります。
そこには3つの石碑が並んでおり、中央は道雪の母の墓だそうです。
向かって右側が道雪の墓、左は従者の墓と伝わります。
さて、宗茂と誾千代は柳川城へとやってきます。
柳川では立花家の屋敷という「御花」(おはな)へ行ってきました。
門を潜るとノスタルジックな建物が見えます。
御花は現在、旅館・レストランとして経営されていますが、一般の人も気軽に立ち寄れます。
敷地内にある「立花家史料館」。
立花軍の象徴とも言える金の兜です。
この金箔押桃形兜は「金甲」と呼ばれ、戦場では一隊揃って着用させていたそうです。かっこいい。
月輪に鶏の尾羽をあしらった鎧も宗茂の特徴です。
誾千代の肖像画(レプリカ)もありました。
屋敷の館内も散策できます。
和と洋がくっついたような建物です。
長い廊下の上には「金甲」がかざってあります。
洋館の中を歩きます。
落ち着いた屋敷内。
結婚式をイメージした部屋がありました。
とても幸せな空気が流れています。
洋館を過ぎると、華やかな部屋へと着きました。
和装の結婚衣装。
無数に下がる鞠のようなもの。
そう、これは柳川で伝統的につたわる「さげもん」です。
おばあちゃんが、孫娘のために一つ一つ丁寧に手作りしていたそうです。
鞠の柄や数に全て、健やかに育つようにと意味が込められています。
ひな祭りの頃ですと、屋敷内のあちこちに雛人形が飾られています。
屋敷全体が雛壇のようです。
のどかな風景です。
やがて池が見えてきました。
風雅な池があります。
柳川へやってきた誾千代たちですが、立花家中でちょとした問題が起こります。
父の道雪の頃から尽くしてきた家臣たちは誾千代に、
新参の家臣は宗茂につくようになります。
つまり、家中同士での派閥のようなものができてしまい、場内はぎくしゃくしたムードが漂い始めます。
そこで誾千代は、自ら身を引く形で城を出る決意をしました。
誾千代が城を去る時、家臣たちには「自分の事は追わず、殿に誠心誠意仕えよ」と言い残ます。
御花に来たのなら、食事も楽しみましょう。
柳川と言ったら「うなぎのせいろ蒸し」も良いですが、
柳川の郷土料理もおすすめです。
「柳川鍋」と言えば「どぜう」です。
「どじょう」のことですが、臭みを消してあるので、あっさりいただけます。
他に「イソギンチャク」や「ムツゴロウ」など、珍味がたくさんあります。
城を出た誾千代が暮らした館跡が「宮永様居館跡」として残っています。
夫婦は別居状態となり、宗茂は別に側室をもうけました。
気の強い誾千代でしたから、夫婦仲はさらに悪くなっていったようです。
しかし、心の奥底では繋がる何かがあったのでしょう。
再び「御花」の裏手へとやってきました。
そこには「三柱神社」という小さな社があります。
宗茂は依然秀吉の下で武勇を振るいます。
その武勇は
「東に天下無双の本多忠勝あらば、
西に天下無双の立花宗茂あり」
と秀吉に讃えられるほどでした。
一方、一説に宗虎が文禄・慶長の役で不在の間、秀吉は誾千代を言葉巧みに名護屋城に呼び寄せ手込めにしようとしたとあります。
この時、誾千代は女性のお付きの者に鉄砲を構えさせて自分を護衛させ、また自らも武装をして城に乗り込んだということです。
この勇ましさに、さすがの秀吉も指一つ触れることはなかったと云います。
しかし、その秀吉もやがて亡くなることに。
関ヶ原の合戦で西軍にくみした宗茂は、負け戦となって九州に戻って来ました。
その時、誾千代はは数十名の従者をしたがえて、自ら出迎えに行きました。
ひな祭りシーズンになると、御花ばかりでなく、一般の民家でも「さげもん」や「雛人形」を披露してくれます。
各家で、様々な表情の雛に出会えるので、この時期はぜひ柳川を散策したいものです。
また川下りで有名な川沿いに「沖端水天宮」があります。
そして柳川に来たらおすすめお土産がひとつ。
「古賀神棚店」で「宝くじ用神棚」を買いましょう。
きっとご利益があるはずです。
そして神棚と並んでいる本が、葉室麟さんの「無双の花」。
そうこちらは立花宗茂が主役の小説です。
これもなかなか面白かったです。
柳川の神社といえばここ「三柱神社」(みはしらじんじゃ)です。
御祭神は「立花宗茂」「戸次道雪」そして「立花誾千代姫」です。
関ヶ原の戦いの時、先見の明ある誾千代は宗茂に徳川家につくように手紙を出します。
しかし宗茂は忠義に熱い男、豊臣家に恩があると、西軍として参戦します。
宗茂の留守中、薩摩の鍋島家が柳川城に攻めてきました。
誾千代は女衆を束ね、自ら鎧兜を身につけて参戦します。
鍋島家は、おそらく水軍を用いて攻めてくるに違いないと海への守りを固め、見事に鍋島軍を退けます。
しかし豊臣方の敗北により、立花家は柳川城を失い、
誾千代は加藤清正に守られる形で熊本の腹赤村に移り住みます。
もはや立花家も終わりか、と思われましたが、
宗茂は渾身の思いで奮起、大阪の陣では、徳川方で大いに活躍をします。
これを認められ宗茂は柳川藩として再興を果たし、幕末まで立花家を導きました。
ここ三柱神社では、宗茂を「蘇生・繁栄の神」として祀っています。
たまたま宮司さんとお話しする機会を得て、教えてもらった隠れパワースポットがありました。
この一角では、不思議と「四つ葉のクローバー」がたくさん生まれてくるのだそうです。
夫、宗茂が再興をかけて戦場にいる頃、
腹赤の村で誾千代はひそやかに暮らします。
毎日毎日、夫の再起を願って寺院参りを欠かしませんでした。
やがて無理がたたってか、誾千代は病に倒れ、この世を去ります。
享年34歳。
誾千代の祈りあってか、宗茂は見事返り咲きますが、その雄姿を誾千代姫が目にすることはなかったのです。
熊本の玉名に元は腹赤村だった場所があります。
そこに立花誾千代姫の墓がありました。
その墓の形から「ぼたもちさん」と愛称がつけられています。
田園広がるのどかなこの場所で、
今も誾千代は夫の帰りを待っているような、そんな気がしました。