
鹿児島県曽於市末吉町に鎮座する「住吉神社」(すみよしじんじゃ)に来ました。

参道、長っ!

この長い参道では、11月の第三日曜日に、流鏑馬(やぶさめ)が行われるようです。

そういや、流鏑馬ってまだ一度も生で見たことないな。

さてここへ足を運んだのは、以前宮崎の「カレーカフェ靜」さんご夫妻から、「霧島の北斗七星」の話をお聞きしたからでした。
何でも、とある女性が岩を祀った神社のマップを作ろうとしていたら、そこに”北斗七星”が浮かび上がった、というのです。

そういった話は、日本各地にありまして、たとえば”津軽の北斗七星”と呼ばれるものもあったりします。
しかし実際はこんな感じで、まあかなりこじつけっぽい北斗七星が浮かび上がるわけです。

江戸でも、”平将門の北斗七星”が見られるという話です。
津軽北斗七星よりは、北斗七星っぽい形ですが、ずいぶん柄の長い北斗七星になっています。

もう一つ、大阪の”交野北斗七星”というのがあります。
これは隕石を祀った星田妙見宮を起点に北斗七星を描いたもので、謂れも形も、先の2例よりもぐっとそれらしく感じられます。

しかし、これはWikipediaから拝借した北斗七星の写真ですが、これを重ねると

北斗七星の柄の部分が交野の方が平坦になっており、かつ肝心の星田妙見宮の位置が大きく違っています。
なのでまあ結局、聖地と北斗七星を線で結びつける話は「ちょっとこじつけなんじゃない」って思っていたんですがね、

見てくださいよ、この”霧島北斗七星”を。
かなりリアルじゃん。
そして、かなり広範囲じゃん、ってね。

それでWikipediaの北斗七星の写真を重ねてみると、驚くほどかなり正確に配置されている、と思ったわけです。

この霧島北斗七星を発見された方は、「谷口実智代」さんとおっしゃる方で、イワクラ学会の理事もされていた方でした。

しかしながら谷口さんは、2012年に病で亡くなられており、イワクラ学会も今は解散されていると聞いています。
当然ながら霧島の北斗七星は2012年以前に発見されており、一部で話題になっていたそうなのですが、僕は靜さんご夫妻に教えられるまで知らなかったのです。
いかに僕が霧島の聖地について無知であったか、ということになります。

それにしてもこの階段、スゲ~。。エビぞってるよ。

初めは良い良い、あとはバリきつ。
150段ほどの石段を、ヒイコラ言いつつ登っていきます。
霧島北斗七星について調べていると、生前、谷口実智代さんに突撃レポートした記事が、ネット上にありました。

それによると、北斗七星を形成する神社の共通点として、
「小高い丘にある」
「山頂部及びその付近に磐座を持つ」
「高千穂峰が見える」
ということらしいです。

その7つの神社は
「皇子原神社」「霞神社」「東霧島神社」「池之原」「母智丘神社」「金峯神社」、そしてここ「住吉神社」となっています。
そもそもなぜ北斗七星なのか、ということに対して、谷口さんは2つの説を用意されていました。
一つは、中国道教の「反閇」(へんばい)を表したもの。
もう一つは、高千穂峰の噴火を鎮めるため、ということです。
なるほど、北斗七星の右側には、沿うように大淀川が流れており、柄杓の合(桶)の中には御池がすっぽり収まっています。
これはあたかも、柄杓が大淀川の水を汲み出し、燃え盛る高千穂峰に水をかけているように見えます。
おもしろ~っ。

ってなわけで僕は、せっせと霧島北斗七星巡りをしているわけです。

やっと登ったぜぃ。

当社祭神は「底筒男命」(そこつつおのみこと)「中筒男命」(なかつつおのみこと)「上筒男命」(うわつつおのみこと)の住吉三神。
住吉三神はオリオンの三つ星、星神だと考えることができます。
御神体は石の鏡であるといいますが、真の神体はおそらく背後の山の中にある物でしょう。

住吉山(姥が嶽)の中腹に鎮座し、古代の創建と伝えられるが年代は明確ではない、とのこと。
当町・檍原は、古事記、日本書紀に見えるイザナギが禊祓をし、住吉三神を初め、諸神が生じた神代の要地である、と伝えられます。

当神社は住吉大神の荒魂を祀るといわれ、全国にある住吉社の根本であり、天和3年(1683年)に神祇道管領の卜部朝臣兼連が、島津光久公の請いにより当社の縁起を著したとされます。
ただしこの縁起は、社司高橋魂正が蔵していたが、延享年中の火災により焼失したそうで。
以来、島津家に必勝祈願の熱い信仰を受けます。

なるほどこの一帯は、『古事記』に記されるところの「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」(つくしのひむかのたちばなのおどのあはきがはら)であるということです。
阿波岐原の伝承地は他に宮崎の江田神社が有名ですし、福岡の志賀島も名乗りをあげています。
まあ言ってもそれは神話(物語)の話ですし、実際にイザナギという神が禊をした池が歴史的に実在するはずがありません。
それでも当地の「曽於」という地名や、住吉が転化して「末吉」となったという話は、意味深いものを感じます。

天保14年(1844年)の薩摩藩が編纂させた地理誌『三国名勝図会』(さんごくめいしょうずえ)』に書かれた、当・住吉神社の絵図には、本社の横に若宮と、なんと三島社が描かれています。
ま、また三島か。。

境内を見た感じ、三島社っぽい社殿は見当たらないのですが、

これかな。
どうかな、違う気がするな。
それで、そういや霧島北斗七星って、それぞれに磐座があるんじゃなかったっけ。

と、辺りを見回してみたら、なんか嫌な感じの階段があるよね。

これを登れ、と。

九州は”くまモン”はいても熊はいないから良いけど、できれば楽して聖地巡礼したい。

延々と登らされるのかと思ったら、割とすぐに目的地が見えてきたので安心しました。

どうやらこれが北斗七星第1の磐座、「姥石」(うばいし)のようです。

なんだこれは?
かまどのような、人工的に組まれた石に見えます。

姥石の説明書。
昭和5年(1930年)3月7日に、考古学者鳥居竜蔵博士によって発掘されたと書いてあります。

この磐座は、日向大隅二州の界石(国境)とも、立石(メンヒル)だとも、墓室(ドルメン)だとも言われているそうです。

ここに見える姥石は、ご丁寧に平坦な岩盤の上にそこそこの重量の岩が組み上げられており、どうみても人の手が加えらている岩に見えます。

そして説明書に姥石は二基あるとあり、一基は頭部の石が失われているのだそうです。
が、

これはひょっとして、頭部が失われているのではなくて、もともとなかったのではないでしょうか。
つまり、頭がある方が男神で、ない方が女神、ということです。

この二基のかまど型の磐座は、実はサイノカミの磐座で、古代に子孫繁栄を願って祀られたものではないでしょうか。
姥ケ岳、姥石のウバは、乳母ではないか。
そして、その祭祀に、三島族が関わっていた可能性があるのかもしれません。

そう考えると、当地がこんなにも生命力に溢れている理由が、分かるような気がするのでした。


2019年の晩夏、まだ暑い盛りにここを一巡しました。答え合わせはまた記事が進んでからと思いますが、中々のものが探れました☺️ 少し中に切り込んで霧島岑神社へも。 薩摩と日向の国境地帯も独特なものがあります。果たして今の県境が相応しいかどうかまで考えさせられました。
霧島高原は避暑地としても利用されますので、夏の散策も良いかもしれませんね。
霧島北斗七星巡りは想像以上に広大でしたので、苦労しました😅