「掛けまくも畏き 伊邪那岐大神
筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等
諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ
清め給へと白す事を
聞こし食せと恐み恐みも白す」
(かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ
つくしのひむかのたちはなのおどのあはぎはらに
みそぎはらえへたまいしときになりませる
はらえどのおおかみたち
もろもろのまがごと つみ けがれあらむをば
はらえたまい
きよめたまへともうすことを
きこしめせとかしこみかしこみももうす)
祝詞の冒頭部分、「祓詞」(はらえことば)です。
ここに出てくる「阿波岐原」(あはぎはら)とはここ、江田神社のある地区のことだと伝わっています。
祓詞の意味はこのようになります。
「伊邪那岐大神が、
死者の住む黄泉国を訪ねて御身が穢れたため、
筑紫の国の日向の橘の小戸の億原(あはぎはら)
という浜辺で、
水につかって身を清め禊をした時に誕生になった
祓戸(はらえど)の大神等(おおかみたち)、
これらの神の御神徳によって、
私達の犯した罪や心身の穢を祓い清めて下さいと
申し上げることをお聞き下さい。」
宮崎市阿波岐原町にある「江田神社」は10世紀初頭に作られた「延喜式」にも記載のある、
最も古い由緒ある神社の一つです。
参道に入ってすぐに目につくこのご神木、根の付近にコブのようなものがあるのですが、
なんだかあれっぽいですよね。(笑)
皆撫でていくのでしょう、つるつるになってます。
境内は丁寧に掃き清められています。
それもそのはず、ここは阿波岐原の地であると云うことから、「禊発祥の地」「祝詞発祥の地」などと言い伝えられます。
御祭神は「伊邪那岐尊」「伊邪那美命」、国生みの二柱です。
拝殿はとても質素で、静謐です。
本殿横にある「おがたまの木」も御神木です。
「おがたま」とは「招霊」(おぎたま)のこと。
巫女さんが舞の時に振る鈴は「おがたまの実」がモチーフだといいます。
あと1円硬貨のデザインはおがたまの木だそうです。
おおらかな神気に満ちた江田神社ですが、その奥にも訪れるべきスポットがあります。
江田神社の裏に広がる「市民の森」は、
散策に丁度良い公園ですが、
そこに池があります。
「御池」「みそぎ池」と呼ばれます。
伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)は亡くなった妻の伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って黄泉の国を訪れます。
無事再会を果たした伊邪那岐尊ですが、腐敗した妻の姿に恐れて、黄泉の国を逃げ出します。
伊邪那美命が差し向けた黄泉の軍団からなんとか逃げ切った伊邪那岐尊が、穢れた身を清めたのがこの池といいます。
伊邪那岐尊が体を洗うと、様々な神が生まれました。
最初に生まれたのが「綿津見の三神」と「住吉の三神」です。
そしてたくさんの神が生まれた後、最後に生まれた三柱の高貴な神が「天照大神」「月読尊」「素戔嗚尊」です。
僕が訪れた時、蓮のつぼみが頭を起こしていましたが、
まるで神々が生まれるように、その花を広げ始めました。
実は僕は、今は伊邪那岐が禊をした「小戸の阿波岐原」は福岡の志賀島ではないかと思うようになりました。
これは「神功皇后伝承を歩く」の「綾杉るな」さんの影響ではありますが、伊邪那美が逝った黄泉の国が出雲であるとしたなら、宮崎のここは少し遠すぎると思うのです。
それに志賀島は三貴神に先だって生まれた「綿津見」の神を祀る「志賀海神社」があり、そこから那珂川を上ったところに「住吉三神」の大元社「現人神社」があるのです。
しかし由来はともあれ、そこには神秘的な光景が広がっており、間違いなく聖なる場所であると僕に確信を抱かせました。
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