蛭児神社:満天ニ鳴ル花 鬼星七支篇 番外

投稿日:

16.00.35-2026-03-14-06-51.jpg

旧・イワクラ学会理事の谷口実智代さんが提唱する霧島北斗七星に関連して、地上に描かれた”天の川”として示される”天降川”(あもりがわ)。
また『三国名勝図会』によれば、天降川の名称はその水源が天孫天降の地とされる霧島山にあるとされますが、霧島山は高千穂峰をはじめとする霧島錦江湾国立公園一帯の山を指すとすれば、水源の場所が合わないように思われます。

2020271-2026-03-14-06-51.jpg

天降川の下流域には、鹿児島神宮のほか、和氣神社熊襲穴もありますが、僕が気になったのは「蛭児神社」(ひるこじんじゃ/蛭兒)です。

2020274-2026-03-14-06-51.jpg

鎮座地は霧島市隼人町で、由緒によれば創建は遠く神代と伝えられます。
江戸時代までは正八幡(鹿児島神宮)に次ぐ大隅国の二宮とされ、二之宮大明神と呼ばれていました。

2020275-2026-03-14-06-51.jpg

祭神は「蛭児尊」(ひるこのみこと)で、現在の社域は寛延3年(1750年)の遷宮造営といわれています。

P2020275-2026-03-14-06-51.jpg

ああ、ほんとうに屋根に鬼瓦がついてる。どこか仏教的な社殿です。
伝説では、イザナギとイザナミの間に誕生したヒルコ神(祭神)は、3歳になっても立つことができず、そのため親神はヒルコ神を”天磐橡樟船”(あまのいわくすのふね)に乗せて流したところ、ここにたどり着き、その船から枝葉を生じて巨木になったということです。

2020277-2026-03-14-06-51.jpg

現在の楠の神木は、享保13年(1728年)8月に国分の地頭・樺山主計久初が植え継いだもので、境内にある金色の節を持つ金筋竹は、ヒルコ神が釣り竿あるいは舟を進めるための水棹として用いた竹が根付いたものと伝えられます。

2020279-2026-03-14-06-51.jpg

この付近一帯は、親神の心を察して「奈毛木の森」(なげきのもり)といわれ、大隅の国の景勝の地(日本最南の歌枕の地)として、古くから歌に詠まれていました。

2020286-2026-03-14-06-51.jpg

子が出来損なったから川に流しておいて嘆きの森とは、まったく身勝手な神たちであると思いますが、まあこれは人麿が古事記で創作した話。
超年下のチャーミングな嫁がありながら、配流先で年増の女を作る彼ならではの発想かもしれません。
当社に隣接する遺構からは、奈良時代頃のものと推定される海獣葡萄鏡(銅鏡)が数枚出土しており、この奈毛木の森が古い時代から神聖な場所だったことを窺わせます。

2020276-2026-03-14-06-51.jpg

さて、二神の子が流れ着いたという由緒をもつ蛭児神社と、天孫降臨神話に基づいた名を持つ天降川。
天降川は古来からある名前ではなく、後から付けられたものだとしても、それに由来する伝承がここにあったと考えられます。
それが当地の蛭児神のことではないでしょうか。

2020280-2026-03-14-06-51.jpg

谷口実智代さんは天降川を天の川だと考えていたようですが、そうではないのではないか、と僕は考えます。

2020284-2026-03-14-06-51.jpg

当地伝承の蛭児神とは何を表しているのか。
富家伝承的に言えばサイノカミであるクナト王と幸姫の息子・サルタ彦ということになるのでしょうが、ここでは違うような気がします。
天界・高天原から天降った皇子神、出雲か大和か、別の王都か、そこから移ってきた皇子か姫巫女を表しているのかもしれません。

2020283-2026-03-14-06-51.jpg

そのように考えると、鹿児島の鹿児とは、火児、この蛭児神から来ているのかもしれないと、思うのでした。

2020287-2026-03-14-06-51.jpg

2件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110
    何となく思ったんですがね。
    神門臣家→二神の子、猿田彦
    富家→二神の子、事代主
    橋本家→二神の子、最初の子神ヒルコ
    古事記はヒルコについては書かれていますが、彦五瀬奥方に関しては隠しています。オノゴロ島(もじると女子島)はヒルコ一族が引っ越して行った順番の様にも思えますね。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      ヒルコ一族、新しい観点ですね。
      まあ確かに、二神の子の中でヒルコは浮いているんですよね。

コメントを残す