住吉大社〜神功皇后紀 37外伝

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大阪住吉区にある「住吉大社」(すみよしたいしゃ)は、全国に約2,300社ある住吉神社の総本社です。
博多の住吉神社、下関の住吉荒魂本宮とともに「日本三大住吉」と言われています。

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境内に着くと、大きな石燈籠が目に入ります。
境内にある石灯籠の数は約600基とか。

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地元では「すみよしさん」または「すみよっさん」と親しまれ、初詣の時には大変多くの参拝者がやってきます。

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住吉大神は神功皇后の三韓征伐において皇后を助け、その征討を成功に導いた神としてその名を示しました。

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神功皇后が三韓征伐を終え、皇子を出産し、いざ大和への帰還しようとする最中、麛坂皇子・忍熊皇子の反乱に遭います。
皇后の船が難波へ向かうもぐるぐると回って進まなくなったため、「務古水門」(むこのみなと)で神託を伺うと、
住吉大神は自分の和魂を「大津渟中倉之長峡」(おおつのぬなくらのながお)に住むことを欲します。

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参道を進むと、「反橋」と呼ばれる橋があります。

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川端康成に「上るよりもおりる方がこはいものです」と書かせた反橋。
淀殿が寄進したとされる橋です。

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この橋を渡る事によって罪や穢れを祓う効果があるとされます。
反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ掛け橋として、虹にたとえられているそうです。

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可愛い手水舎があります。

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住吉大社の創建が卯歳、卯月、卯日だったからだそうで、「うさぎ」が神使とされているそうです。

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風格のあるご神木。

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本殿の入り口には柱が四角い珍しい鳥居があります。
「角鳥居」または「住吉鳥居」と呼ばれます。

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住吉大社には本殿が4棟あります。
縦に3棟、そして一番手前に2棟並んでいます。
つまり、L字型に配置されています。

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江戸時代に建てられた住吉造りの風格ある本殿。
縦に並ぶ本殿は手前から

第三本宮:「表筒男命」 (うわつつのおのみこと)
第二本宮:「中筒男命」 (なかつつのおのみこと)
第一本宮:「底筒男命」 (そこつつのおのみこと)

の住吉三神が祀られています。

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手前に並ぶ右側の第四本宮は
「神功皇后」 (じんぐうこうごう・息長足姫命/おきながたらしひめのみこと)
が祀られています。

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本殿の屋根にあるXの柱「千木」(ちぎ)は、一般に、先が縦に切られている「外削ぎ」は「男神」を、
横に切られている「内削ぎ」は「女神」を祀っていると云われています。
神功皇后を祀る第四本宮は内削ぎになっています。
富家の話ですと、本来、千木は出雲式が外削ぎ、物部式が内削ぎであるということです。

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住吉大神が和魂の住む場所として欲した「大津渟中倉之長峡」の地は、現在二つの説があります。
それは大阪の「住吉大社」と兵庫の「本住吉神社」です。
これは住吉大社であるとする説が有力ですが、神功皇后の東征の流れから言って僕は「本住吉神社」の方が正しいのではないかと思っています。
ちなみに本居宣長も本住吉神社の主張を支持したそうです。

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後年、本住吉神社に鎮まった住吉大神の和魂を、改めて港の大きな、広大な今の場所に祀り直したのではないでしょうか。

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住吉大社の最奥に位置する第一本宮、その本殿は拝殿に覆われてはっきり全容を見ることはできません。
しかし島根にある「古代出雲歴史博物館」で著名な神社の本殿を、精巧な模型で見ることができました。

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そこには彩色鮮やかな本殿が陳列されていました。

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住吉大社の神官が大社の由来を神祇官に言上した解文として伝わる「住吉大社神代記」というものがあります。
これに「(神功)皇后與大神有密事」とあり、神功皇后が住吉大神と「密事」があり、俗に夫婦の間柄となったという主旨の註記が付されています。
ここでいう住吉大神は武内宿禰のことであり、応神天皇は神功皇后と武内宿禰の間に生まれた子供であるという考え方をする人もいるようです。

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古代出雲王家の末裔「富家」の伝承では、神功皇后はの夫は「ワカタラシ大王」(成務天皇)であり、大王は豊前国の岡県主に攻められて若くして亡くなります。
皇后は次に豊前国出身の豪族「中津彦」(仲哀天皇)に協力を求めますが、彼も早くに長門で亡くなります。
そして皇后が最終的に三韓征伐の協力を取り付けたのが武内宿禰と称される武内襲津彦です。
襲津彦は皇后の願いのために力を尽くしますが、そうした中で二人が恋仲になるのは自然なことかもしれません。

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実際に富家の伝承でも、皇后と襲津彦の間に皇子が生まれたとされていますが、その皇子は幼くして亡くなり、代わりの養子が応神天皇になったと伝えています。
皇后と襲津彦のラブロマンスは一切が隠され、皇后はその後しばらく政を行い、襲津彦は別に妻を儲け子孫を残しています。

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第一本宮の奥に、住吉三神が降臨した地、神籬(ひもろぎ)がありました。

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「五所御前」(ごしょごぜん)です。

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五所御前の玉垣内には石が敷きつめられています。
実はその中に「五」「大」「力」のどれか一文字が書かれた石が混ざっています。

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石を3つすべて集めることができれば体力、智力、財力、福力、寿力の五つの力「五大力」(ごだいりき)を授かることができるそうです。
15分ほど、僕もチャレンジして、無事3つ揃えることができました。

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これをお守りにすると心願成就のご神徳があるそうです。

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住吉大社の境内はかなり広く、ゆっくり見て回るとかなりの時間を要します。

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源氏物語の舞台にも使われたり、

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昔話の「一寸法師」や「浦島太郎」にもゆかりがあるのだとか。

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ご神木の「千年楠」。

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裏手にある「楠珺社」(なんくんしゃ)では

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可愛い招き猫が人気のようです。

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境内にある「大海神社」は豊玉彦命と豊玉姫命を祀っています。

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大海神社は、龍宮そのものということです。

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社前の井戸は「玉の井」と呼ばれ、海神より授かった潮満珠 (しおみつたま) を沈めたところだと伝えられています。

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境内に翡翠の「撫でうさぎ」もありました。

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では住吉大社を後にして、少し寄り道を。

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「両大社頓宮」の碑があります。

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「頓宮」(とんぐう)とは一時的な仮宮の意味で、神輿の巡行の時に休憩を取る場所のことです。
ここ「宿院頓宮」は「住吉大社」と和泉国一の宮である「大鳥神社」のちょうど中間地点にあり、その両大社の頓宮として祀られています。

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元々は住吉大社の頓宮であったそうですが、明治時代になってから大鳥神社も頓宮として神輿を巡行させるようになったそうです。

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そしてここには住吉大社にまつわる伝承地があります。
それが「飯匙堀」(いいがいぼり)。

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飯匙堀の名は、その形が“しゃもじ”に似ているところから付けられたとされる水のない空池です。

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彦火火出見尊(山幸彦)が竜宮の豊玉姫と結ばれ、姫の父から潮満珠・潮干珠を授りますが、その「潮干珠」を埋めたのが飯匙堀だと伝わります。
何もない空の堀には、大きな石が一つ、立っていました。

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