別宮・瀧原宮:斎王 07

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「大神の遥宮」(おおかみのとおのみや)と呼ばれる別宮があります。
山深き聖地「瀧原宮」(たきはらのみや)です。

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瀧原宮は内宮から40kmほど離れた、国道42号線「熊野街道」沿いにありました。

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瀧原宮のあたりには、滝がたくさんあったと伝えられています。
ゆえに「滝原」と名付けられたと云うことです。

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参道に入ると、杜のマイナスイオンが満ちています。
すっきりとした気持ちよい空気、朝の参拝の良いところです。

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数ある別宮の中で、ここ「瀧原宮」と東の「伊雑宮」は遠く距離が離れているため、「遙宮」(とおのみや)と呼ばれています。
そして瀧原宮は内宮の「雛形」となった聖地ではないかと考えられています。
ゆえに当社は「元伊勢」と伝えられることもあるようです。

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手水舎がありましたが、その横から下に降る道があります。
その先には、

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内宮における「五十鈴川」と同じ、「御手洗場」(みたらしば)がありました。
本来はここで手口を清めていたそうです。

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瀧原宮の宮域は、約44haと広大です。
東京ディズニーシーが約49haなので、その広大さが窺えます。
山を背後に南面し、前方には川が東から西へ流れる地勢から、内宮の雛型になったとする説を唱える人も少なくありません。

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当社は、大和姫が内宮よりも先に天照大神を祀った場所という伝承があり、故に元伊勢と呼ばれています。
『倭姫命世記』によると、第11代垂仁天皇の皇女倭姫命が、宮川下流の「磯宮」(いそのみや)より天照大神を祀る地を探すために上流へ遡ったところ、宮川支流である大内山川流域に「大河の瀧原の国」という美しい場所があったので、草木を刈りとって新宮を建てたと記されています。
しかし後に天照大神の神意により、現在の内宮の地に新宮「五十鈴宮」を建てたため、今は別宮となったとしています。

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倭姫命世記はやや問題ある書ではありますが、神宮ではこの説を採用しているみたいです。

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神域の深い場所になってくると巨木が多く林立しているのが目に入ります。
瀧原宮はゼロ磁場で有名な「分杭峠」に繋がる「中央構造線」上にあるそうで、強力なパワーを受けているのだそうです。
一番手前の大杉はそのせいか、樹皮がねじれて育っています。

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第二次世界大戦末期、当地はアメリカの空爆を受け、斎館の一部と、宮域で最大であった太郎杉、次郎杉などが被災しました。

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さらに昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で外宮内宮の多くの神宮杉を失うことになりましたが、瀧原宮は奇跡的に被害が小さく、今では杉の巨木が目立つようになったと云います。

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社殿が見えてきました。

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瀧原宮境内には4つの社殿が鎮座し、
手前から
「瀧原竝宮」(たきはらならびのみや)
「瀧原宮」
「若宮神社」
「長由介神社」
となり、長由介神社に「川島神社」が合祀されています。

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瀧原竝宮と瀧原宮は社殿の造りも規模も、全くと言っていいほど同じです。

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二社は祭神を「天照坐皇大御神御魂」(あまてらしますすめおおみかみのみたま)と、これまた同じ名で祀っていますが、
瀧原宮は天照大神の「和魂」(にぎみたま)、瀧原竝宮は天照大神の「荒魂」(あらみたま)を祀っているとしています。

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ところが当社は由緒・起源が実ははっきりと分かっていない、と云うことで、まるで内宮の雛形のようだからそうした、と後付けのように祭神が決められたような感じなのです。

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富家の伝承を頼りに古代の謎を考察してみますと、大和姫は朝日を拝むには東向きの海岸が良いと考え、丹波、及び三輪山から伊勢国に移住しました。

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そして彼女は伊雑宮の井沢富彦の世話を受けています。
その伊雑宮こそ東向きの海岸に近く、太陽を拝むのに最適な場所です。
そこからわざわざこんな山奥に、太陽の女神の神殿を造るでしょうか。

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山に昇る太陽を拝む、という考え方もありますが、それなら伊勢まで遷宮する必要もなく三輪山で祭祀を続ければ済むことですし、仮に当地に遷宮したなら、社は山を背にして西向きに建てられるべきではないでしょうか。
この両社は南向きに建てられていました。

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両社の東側、

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一段高くなったところに別の2社が鎮座しています。

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そこにある「長由介神社」(ながゆけじんじゃ)は4つの社殿のうち、唯一西向きでした。
祭神は「長由介神」(ながゆけのかみ)とされていますが、この神の正体がまたよく分かっていないそうです。
一説に「長由介」とは、「長生き」という意味合いがあるとのことで、江戸時代には、長寿を願う参拝客で大変賑わっていたと云います。
また長由介神の神は、瀧原宮に納める「穀物(御饌)を守護する神様」と云われていて、外宮の「豊受大神」と同じ神であると推察する人もいるようです。
長由介神社同座する川島神社の祭神は川島神とされますが、やはり詳細は不明とのこと。

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そして一番高いところに祀られるのが「若宮神社」(わかみやじんじゃ)で、と祭神は「若宮神」(わかみやのかみ)とされます。

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「若宮神」は、「水にご利益ある神様」と云われ、一説では「水分神」(みくまりのかみ)とも云われています。
古来では「天若宮」とも呼ばれていたそうですが、実際のところは、この神も正体がよく分かっていないとのことです。
若宮と呼称される神社は、通常は天皇の皇子や子孫をお祀りしている例が多いことから、大和姫が祭神であると考える人もいるようです。
この社殿の横には、小さな「御船倉」(みふなぐら)という倉があり、その中に御神体を納める「御船代」(みふなしろ)が納められています。
この御船代は、伊勢神宮に関連した神社では、なぜかこの若宮神社のみにしか、存在しないそうです。
内宮の雛形としては、内宮にない建造物もあり、ちょっと当てはまらない気がしてきました。
ここは太陽と月の他にもう一つある天体の神を、大和姫が祀ったのではないかと思うようになってきました。

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