雄山神社:前立社壇

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冨士・白山と並ぶ日本三霊山の一つ、霊峰立山。
その霊山を神体と崇める立山修験の源に「雄山神社」があります。
そこは峰本社、祈願殿、前立社壇からなる、三位一体の聖域でした。

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富山県南東部,常願寺川の谷口に岩峅寺(いわくらじ)と呼ばれる地域があります。
ここに立山外宮にあたる雄山神社「前立社壇」(まえだてしゃだん)は鎮座します。

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表参道には線路が横切っており、時折列車が通過します。

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岩峅寺及び祈願殿が鎮座する芦峅寺の「峅」と言う文字には「神の降り立つ場所」という意味があるそうです。

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この神社前立社壇は、立山山頂にある峰本社の里宮として創建されたものだと伝えられます。
神仏習合の時代は大宮立山寺、岩倉寺、岩峅寺雄山神社遥拝所などと呼ばれていました。

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立山信仰の流布には、修験・聖(ひじり)・比丘尼(びくに)などの活動に負うところが大きく、その拠点となったのが当「前立社壇」と「祈願殿」でした。
近世には岩峅寺が大講堂・観音堂・地蔵堂などを備え20余坊、芦峅寺が姥堂・閻魔堂を中心として30余坊の宗教集落を形成し、前者は出開帳、後者は勧進という形態をとって信仰の流布につとめてきたそうです。

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表神門前に立つと、その風格からか、神気が覆いかぶさって来るような気がしました。

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決して広いとは言えない境内。

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そびえる神木の中には夫婦杉なども見受けられます。

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前立社壇は、立山信仰の開祖「佐伯有頼」(さえきのありより)が、立山権現の化身である白鷹によって導かれたという岩窟の正面に位置し、この地より立山開山の伝説が始まったとしています。

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武将や公家からの信仰も篤く、古来より「立山権現」への献上品はこちらに奉納されてきました。

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祭神は、立山権現雄山として「伊邪那岐神」(いざなぎのかみ/本地阿弥陀如来)、太刀尾天神剱岳神として「天手力雄神」(あめのたぢからおのかみ/本地不動明王)の二神を祀り、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもありました。

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拝殿に置かれた石像の狛犬。

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これは加賀藩2代目藩主・前田利長の正室「永姫・玉泉院」が寄進したものではないかと云われています。

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峰本社、祈願殿、前立社壇の三社は三位一体の性格を持っているため、どの社殿に参拝してもご利益は同じとされています。

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立山開山の話の始まりの場所である当社は、古くは岩峅寺の前立社壇より山頂の峰本社まで宮司が歩いて通ったと伝えられ、今でも前立社壇の宮司が峰本社の宮司を務めているのだそうです。

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毎年11月3日の秋季大祭では、

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稚児舞・立山の舞・浦安の舞が境内石舞台にて奉納されるそうで、その雅な舞を1度目にしたいと思わされます。

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境内奥に「湯立の釜」というものがありました。

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正式には「探湯の釜」(くがだちのかま)と呼ばれ、弘化二年(1845年)加賀の「前田斉泰」公から寄進されたと伝わります。

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昔はこの釜で湯をわかし、お詣りした人々が身にふりかけて、身に罪のない事を神さまに誓ったと云います。
釜中には阿彌陀如来・不動明王をあらわす梵字が刻まれており、高岡の金森彦兵衛の作と伝えられています。

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当社の裏参道方面にも立派な鳥居が建ち、

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東神門と呼ばれる門も鎮座しています。

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東神門側は小さな滝などあり、より杜が深く感じられます。

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当社創建の年代は不詳ですが、社伝では、大宝元年(701年)に景行天皇の後裔と伝わる越中国司「佐伯宿祢有若」の子、「佐伯有頼」(慈興上人)が白鷹に導かれて立山の岩窟に至り、
「我、濁世の衆生を救はんがためこの山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり」
という雄山大神の神勅を奉じて開山造営された霊山であると伝えられています。

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後に三社の中心に関して、岩峅の前立社壇と芦峅の祈願殿の両社僧間で争いがおこり、以後、峰本社を中心とする考えにまとまりました。

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当社脇を流れる常願寺川は「日本一の暴れ川」と称され、たびたび水害をもたらしました。
この時当社から流されたものが下流地域で拾い上げられ、そこで御神体として祀られ、多くの神社が創建したという話もあり、往古は今よりも大規模かつ権威ある聖域であったと推測される次第です。

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