群馬に来たら、是非訪ねたいと思っていた所があります。
「今井商店」です。
藤岡の小さな町の一角にある、古びた商店です。
何故ここに来たかったのかと言うと、
知る人ぞ知るBUCK-TICKの聖地だからです。
今井商店はその名の通り、メンバーの「今井寿」氏のご実家です。
僕は昔、BUCK-TICKのファンでした。
今は妻がファンで追っかけをしています。
店内はとってもこじんまりとした商店です。
本来はたばこ屋さんみたいですが、僕はたばこは吸いませんので、お菓子を購入させていただきました。
高崎市新町に「於菊稲荷神社」(おきくいなりじんじゃ)というところがあったので、立ち寄ってみました。
なぜこちらに立ち寄ったのかと言うと、於菊と言う名前に、なんとなく惹かれたからです。
当社の公認ホームページに次のような話が掲載されていました。
「江戸時代 新町に於菊という心優しく美しい娘がおりました。
於菊はいつも稲荷神社で 近所の子供たちの面倒をみており、皆に慕われておりました。
ある日、重い病にかかり住む所を失いました。
子供達の親が不憫に思い、稲荷神社の側に小屋を建て交代で看病しました。
三年の月日が流れたある夜、稲荷の神様が夢枕に現れ 人々のために尽くすようにと於菊に告げたのです。
お告げと同時に病は全快し、稲荷神社の巫女になりました。
熱心に神明奉仕を続けるうち、神秘的な力を授かった於菊の元には、近隣、遠方から多くの参拝者が相談に訪れました。
困りごとは 稲荷の於菊に聞け、於菊の稲荷に参ろうと、いつしか於菊稲荷神社と呼ばれるようになりました。
今でも於菊は大好きなお稲荷さん(神様)のお手伝いをしているそうです。」
もとは普通の「稲荷神社」だったという当社。
祭神はウカノミタマということで良いのでしょうか、いまいちはっきりしません。
社殿によると、戦国時代(天正10年)神流川合戦の際、白いキツネが現れ北条氏が勝利を収めたと伝えられます。
この御神得に感謝して、この地に社を構えたと云うことです。
とてものどかな村社という雰囲気。
社務所が開いてなく、御朱印はいただけませんでしたが、御朱印も御朱印帳も可愛いと評判のようです。
「上野総社神社は上野の総鎮守なり、上野総社神社は国内総神社の神集ひ座す御神地なり、上野総社神社を参拝するは県内各神社を参拝するにひとし。」
群馬県前橋市元総社町にある「総社神社」(そうじゃじんじゃ)へ立ち寄りました。
上野国の総社にあたり、正式名称は「總社神社」、また国名を冠し「上野国総社神社(上野総社神社)」とも称します。
社伝によると、崇神天皇皇子の「豊城入彦命」が軍神として経津主命を祀ったことに始まるという当社。
以前は蒼海城内の宮ノ辺(宮鍋)の地にありましたが、永禄9年(1566年)に兵火で焼失、元亀年間(1570年-1573年)に現在地に再建されたと伝えられます。
祭神は、正一位として「赤城大明神」「抜鉾大明神」「若伊香保大明神」「伊香保大明神」「岩根大明神」「小祝大明神」「榛名大明神」、
従一位として「浅間大明神」「火雷大明神」「倭文大明神」が祀られます。
古代、国司は各国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していたのですが、これを効率化するため、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになったそうです。
人の都合で神様を集めまとめてしまうというのは、少々乱暴で傲慢に感じますが、それでも当社の境内には、地元民に親しまれる穏やかな空気に満たされていました。
本殿の裏の方へ回ってみます。
真裏に小さな石の祠が並んでいます。
いくつかの道祖神も。
それらの一番高いところに稲荷社がありました。
そこでは、可愛い張り子の「願掛け狐」が奉納されています。
当社のある場所は、赤城神社に伝わっていた「高野辺大将・家成」の3人の娘のうち、唯一生き残った「伊香保姫」が暮らした地だと云うことです。
美姫の優しい気持ちが、今尚この地に根付いているようでした。
わぁー今井商店だー!すぐ分かってしまった(笑)
私も中学生の頃行った事があります。懐かしい。
当時今井ちゃんの吸ってたメンソールのタバコを買って帰ってきました。
他にもタクシーの運転手さんがいろいろ回ってくれて、
兄いの親御さんのお店?と敦ちゃんの実家に行って、あっちゃんのお兄さんに会えてしまったのが良い思い出です。
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やっと僕も行くことができました(笑)
兄いの店はもう無くなったらしいですね。
あっちゃん家は分かりませんでした。。
お兄さんも引っ越したって話ですしね。
群馬楽しかったです、また行きたい!
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そちらからは遠いですもんね。
今井商店以外は全部タクシーの運転手さんが親切に連れて行ってくれました。
私も場所は覚えていません(笑)
私も福岡行ってみたいです。
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福岡も良いところですよ。
と言っても、何が良いかと聞かれると返答に困るのですが(笑)
ぜひ福岡へ遊びにいらしてください。
オススメはやっぱり太宰府とかになってしまうのかなぁ。。
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CHIRICOさん、お晩です。w
行きたかった群馬の地は於菊さんと総社でしたか。於菊さんは昔から通な人には知られた社でしたが、御朱印で有名になった社ですね。私も何度も訪問させていただいています。一昨年までは仮設だった社も立派になりました。その後も御朱印ブームに乗りたくさんの人が集まる社となってます。
最近では書置きで限定御朱印を多く出していて、私は逆に足が遠のくようになりました。私が御朱印を始めた当初のここの社は、人がそこそこ来る位だったんで神職さんと結構、お話が出来ていたんですが・・・ブームになった頃から書く方が忙しいようで、なんかただ神様にお参りして御朱印を頒布してもらって帰る形になっていったからで。それでも神職さんの人柄の良さが輝いてはいる神社かなと。
総社・・・神様のごっちゃ問題は難しいですね・・・。明治時代に神仏分離な政策が打ち出され、寺と共にあった社は大部分が外に出されてしまいました。
また土地を区画整理したり神社の後継ぎが減ったりなんだりかんだり。田舎の神職は稼げないので兼業する方も多いです。
日本で一番神社が多い県は新潟県です。確か・・・。しかし神職の在住する社は結構少なく人の手が入らないので朽ちてしまっている社が多いよう
です。
そう考えると人の手が届き、管理出来るように神様を残しておきたいと考えるなら、これも致し方ない気もします。
御成敗式目に「神は人の敬に依りて威を増し人は神の徳によりて運を添ふ」とあります。
私の考える神社とはそこに移住する民が自分の祖先となるモノを祀り、血を受け継ぐ氏子として生きてきた歴史の道標のようにも思えます。また自然に畏怖し崇め奉る社を建てたり豊穣を願ったり。日本人が他人を思いやれる人間性であるのは神様が身近であったからだとも思えます。
そして今日の日本は、昔と違いどこにでも移住して住むことが出来るようになりました。しかしながら自分の氏神様と土地神様はきっと違うでしょう。寛容さがあればこそ。なのかなとも。日本は八百万の神様のおわす国。どの神様でも在りだからこそ一神教同士の宗教紛争がないというのは幸せだなあと。そんなことを感じる今日この頃です。 8まん
今日はPCからでした。
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こんばんは、8まんさん。
於菊さんと総社さんは、群馬行き直前に、地図上で目に入って、急遽ルートに加えた神社です。
でもどちらも、ほんわかとした良い雰囲気の神社ですね。
御朱印に関しては、僕もブームになってちょっと興ざめしている口です。
御朱印は、朱印と社名か本尊の墨書きがあれば十分、と思っているのですが、まあ派手なものも悪いと思っているわけではありません。
ざっくりしているのが日本の神社の良さでもあるので、いろんなものがあっても良いのでしょう。
僕の子供の頃は、神社が1番の遊び場でした。
鬼ごっこをしたり、裏山を探検したり。
雨が降れば本殿にまで上がり込んだり。
それでも神様からバチを当てられたことはありません。
むしろ温かく見守ってくれていたように思えます。
そんなところが、日本の神社の良いところだなと思います。
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