「空飛ぶ羽根と引き換えに 繋ぎ合う手を選んだ僕ら それでも空に魅せられて 夢を重ねるのは罪か」♪
天草の天空の鳥居「倉岳神社」(くらたけじんじゃ)へ行ってきました。
倉岳神社は天空の、と言うだけあって山頂に鎮座しています。
その前にちらりと立ち寄ったのが棚底諏訪神社(たなそこすわじんじゃ)です。
天草の海に面して鎮座。
天草島原の乱の時に社殿、古記録を消失。残念ながら寛永以前のことは失われてしまったそうです。
境内にある仁王像は弘化4年(1847年)の建立で、天草で年号が残っている唯一の仁王像です。
祭神は建御名方命のほか、妃神の八坂刀賣命で、大山祇命を合祀します。
当神社初代の良弁は文禄、慶弔の頃に京都へ往復しており、三宝院御門跡より修験の号を賜ったと伝えられ、400年以前には創立されていたことが窺えます。
毎年、棚底諏訪神社の秋祭りでは天草の島民たちでとてもにぎわうのだそうです。
そして棚底諏訪神社の向かいにも立派な山門があったので、ちょっと寄り道。
海雲山 廣済院(かいうんざんこうさいいん)「江岸寺」(こうがんじ)、浄土宗の寺院です。
天草島原の乱の後、鈴木重成によって再建され、道蓮社大譽上人紫雲圑轍大和尚を開祖としたと伝えられます。
現在の本堂・山門は明治27年(1894年)の改築で、天草の爽やかな潮風が吹いていました。
さて、ここから倉岳神社が鎮座する山の頂上に向けて車を走らせるのですが、これがなかなかな山道です。
8kmほどの道を延々と登っていくのですが、途中にはお立ち寄りスポットも点在していますので、ゆっくり行きましょう。
道は細く、昼間でも薄暗いカーブがあります。
山の斜面からは水が湧き出ていたり、滝になっているところも多く、
その水を一口含むとやわらな香りがしました。
離合もままならない道ですが、最近のフォトジェニックブームで訪れる人は多いようです。
対向車が来ないことを祈りましょう。
不思議な人工物がありました。
なんだろこれ?
何度もハンドルを切って、ようやく目的地が近づいて来ました。
広い駐車場にトイレも完備。
ここに鳥居がありますが、慌てない慌てない。
ここから登れば、20~30分は登山することに。
車でもう少し登れます。
ひと登りして神社の前へ。
ただしここの駐車場はさほど広くない(5台ぶんくらい)ですので、空いてない時は諦めましょう。
車を止めて、参道の階段を登って振り返ると、
おお、これが天空の鳥居か!と思いましたがなんか違う。
小さな石の社もあるのですが、その先に展望台みたいなものが見えるので行ってみましょう。
展望台の上には
三角点と霊水の井戸。
標高682mに湧き出る「倉岳霊水」。
1955年に倉岳の町を訪れた御所浦出身の僧が倉岳神社に水がないということを聞き、山頂へ向かって祈りを捧げました。
霊感を得た僧はただちに倉岳へ登り、この場所を掘ってみるとなんと岩間から水が!
へえ~!しかし口にする気にはなれない霊水でした。
がんばれ日本!
そういやアマビエは熊本の妖怪だっけ?
アマビエさんを眺めていると、その奥にちらりと顔を覗かせる鳥居を発見!
おっ!これはもしや!!
わくわく!
キタ♪───O(≧∇≦)O────♪
これよこれ、これぞ天空の鳥居♪
狭い敷地の先は崖。
御所浦の島々と有明の穏やかな海が眼下に広がります。
天草諸島の最高峰「倉岳」山頂にひっそりと鎮座する倉岳神社は、天草の人々に漁業安全の神として尊崇されてきました。
入口のものも含めて神域は3つの鳥居に囲まれ、
三方を見下ろす5つの石祠と
そのそれぞれに石の神像が祀られます。
由緒や祭神は不詳。
倉岳の山頂はマグマが冷え固まった貫入岩が教良木層(きょうらぎそう)から露出した場所になっており、その大地のエネルギーに昔の人は霊威を感じ取ったのでしょう。
「天気の子」みたい、と娘がいうこの鳥居が奉納されたのは最近のことで、2016年となります。
鳥居が奉納された2日後、あの熊本大地震が起きました。
幸い、鳥居は無傷でしたが祠が傾いた為、基礎から修復されたそうです。
1972年にも上天草大水害が起きており、長い間登山道は通行不可となっていました。
これも地元の方々やパラグライダー愛好家の協力で「延命登山道」が開通し、山頂まで車で登ることができるようになりました。
社の前には天草らしいお供物がたくさんあります。
よく見ると意味ありげな石の船も奉納されおり、
そこにはミナの貝殻が乗せられていました。
これらのお供物を見ていると、志賀海神社で言い伝えられている「山誉め祭」を思い出します。
山を誉めると海が豊かになる、山を育てると海が生きる。
倉岳神社はあたたかく、天草の民を見守っているかのようでした。
こんばんは。千葉から青梅経由で西東京の檜原村の温泉に浸かり、奥多摩周遊道路をぐるり愛車でドライブしてきました。途中で「塩船」なる地名が青梅にあり、今しがた調べたところ「地形が船に似ているから塩船観音寺」と名付けたことに由来とありました。生死の苦海を渡って涅槃の彼岸に至らせる仏菩薩の救いを渡船にたとえた表現なんだそうで仏教みたいです。海人族の御神体の船だろうか、それにしても内陸だなあ、縄文海進かなあなどと妄想して調べ始めたのですが期待はずれでした。とほほ~
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呪いの鈍い💢
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お前の人生は一体どんなんだったの?ある意味悲惨すぎ😭
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仁王像と登山途中の道行はちょっと不気味なところもあったけど、山頂はとても気持ちよかったよ😊
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精神衰弱の後の虚脱感ですか?
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開放感です😄
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死後の諦めですか?
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諦めてはいない🤔
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お願いだから一度絶望して下さい。その方がよっぽどマシな人生です。
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絶望はすでに数回体験済み😤
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嘘をつけ。何も悔い改めてはいないお前はただの再犯。
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うむ、たしかに悔い改めてはいないかも。
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お前の絶望とは、不平不満を辺りに撒き散らすだけの悔い改めなのか?意味が分からん。
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僕の人生に不平不満はあまりない。が、文字どおり望みを絶たれ経験はありますがね。
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お願いですから人並みに不平不満を感じて下さい。何故あなたの心は不平不満を感じないのにあなたは不平不満を辺りに振り撒くのか?
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不平不満を全く感じないわけではないけど、ね。
ただ本当に欲しかったものはすでに手に入れられたから、まあいいやって感じですよ。
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😭それは悲痛な人生の結果の厭世観😨
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厭世観、とは違うかな🤔実際、過去を振り返ってみて、幸せだった時間をたくさん僕は持っているので、悲観などはしていない。『偲フ花』はその記憶装置のひとつだと思っているし。
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ずっと寝てたのかお前の人生😨
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いやあ、忙しいよ、僕の人生は😊
というか、Nekonekonekoさんも朝早いね、いつも☀️
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爺さんか?
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爺さんはウォッカを飲み過ぎると自棄酒爺さん。
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下戸のおっさんです
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下戸のおっさんはウォッカなどという頭脳を壊してしまうかもの種類の酒を飲んではいけません。
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自ら飲むことはないだろうけど、美女に誘われたら飲んじゃうかもね😁
ハニートラップには気をつけます
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美女って誰?あんたは美女に誘われたら簡単に飲みに行くのかただの軽薄オヤジ💢
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同僚の女性と酒を飲み、結局語り合うのは昔話。…それから先は予測不可能なんだが、何かあったんかい?
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何その恐怖の展開。ある意味魂を自ら魔界に
堕とさないで良かったと言うべきなんでしょうけど。
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マティーニが美味しいという理由だけでバーに通うかも中年壮年男性の悲哀😨
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私の人生は客観的に見たら不幸そのものだった。お前はどうなの?
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おっさんは困ると寝たふり眼は開いてるけど。
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お前が過去に何人の女と関係を持ったかは私は知らん。だが私は元クソ馬鹿夫もう知らねえあんな奴以外の男を全く知らない💢
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💢なんか言ったらどうなのか?ただの不誠実。
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死ねクソ馬鹿💢
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元夫とは?究極の馬鹿の何かの生物だったかも。彼とは一年前に別れました。
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元夫はダサい男なので、彼はバーに行った事が一度も無い。もちろん彼の概念の中にはマティーニは全く存在しない。
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ごめんごめん、今から仕事なのでバタバタしてましたよ。
とりあえず僕は酒はやりませんし、味もわからない。
恋愛も大抵は破綻で終わったけど、良い思い出もよくない思い出もある。
美女が、というのは例えであって、もはや酒で溺れることはないでしょうね。
僕の人生は不幸であったか、というと幸せでしたよ。そういうことにしているし、事実ですよ。
でもそれが辛い経験がないということではありません。人は誰もが辛さを経験しているだろうし、幸せはあるんだけど、それを見つけられるかどうかはその人次第だと思うよ。
んじゃ、今日も励んできます♪
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何処へ行くのお前。行くとこあるんかい?
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お前は女を引っ掛けておいてすぐ失望して女をなんとなく捨てるタイプの不誠実だが。
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こんばんは。
誠実か不誠実か、僕が僕自身を判別するのは難しいです。
僕は自分のブログが荒らされることを好みませんが、Nekonekonekoさんにこうしてコメントをお返しするのは、あなたのブログの話にとても共感と感銘を受けたからです。文章も美しいと感じました。
いつだったかのコメントで、アヒルは寄りかかっても良いとおっしゃってくれた時は、正直ぐらりときましたよ。強がって生きている人間は、家族やスタッフに弱音を吐くこともできず、行きずりや見知らぬ人に吐露することしかできないのかもしれません。
まあたぶん不誠実な男なのですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。
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申し訳ない。私は自分の文章を時折読み返してみないとあまりよく覚えていない…
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😊
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汚らしい造りの建築物、呪いのモノリス乱立、仁王像は邪鬼が棍棒を担いで立ってるだけにしか見えない。怖いので呪いの石札を乱立しないで穢れ。
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