香椎宮「儺の橿日宮」〜神功皇后紀 7

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「私が見まわしたのに、海だけあって国はない。どうして大空に国がありましょうか。
いたずらに私を欺くのは、いったい何という神か。」

静寂の中、大王の声だけが辺りに響く。
時は9月、秋の気配漂う夜、かがり火の中に数人の重臣とともに王はいた。
熊襲討伐の軍議が行われていた最中のことである。
その時、神功皇后が豹変した。

「我が祖の代々の王は、すべての神をお祀りいたしております。
どうして漏れた神がありましょうか。」

続けて言う大王に、神がかりをした皇后が神託を下す。

「水に映る影のように、はっきりと天上から見える。
どうして国がないと言って私をそしるのか。
おまえは国を保てない。
今、后が身籠った、その御子が国を得るだろう。」

「おまえは、鬼門の方角、向ひ津で死ね」

誰もが言葉を失う静寂に、不吉な予言の残滓だけがあった。

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美しい楠の並木を抜けると「香椎宮」があります。

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1月21日に仲哀天皇、神功皇后の一行は儺(な)の県にある「橿日宮」(かしひのみや)に到着します。
今の「香椎宮」です。

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境内に入っていくと、大きな池が目に付きます。

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その中心には、弁財天が祀られています。

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とても優しげなお姿です。

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晴れた日に、ここで一息入れるとなんとも穏やかな気持ちになれます。

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楼門手前に売店で、

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甘酒をいただくのが僕のお気に入りです。

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さて、楼門をくぐります。

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とても風格ある楼門です。

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楼門をくぐったところで、開運のおまじないがあります。
まず、手水舎で手口を清めましょう。

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そして参道を少し進むと、体格の良い狛犬さんがいますのでご挨拶します。
狛犬は「阿・吽」でペアになっていますので、その「吽」の狛犬さんにそっと触れましょう。

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再び手水舎のあたりまで戻ると、石畳に一箇所だけ色が違う場所があります。
ここに立ち、最初に入ってきた楼門の方を見ます。

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どうでしょう、お気づきになられたでしょうか。
門の中に鳥居が見えます。
つまり「開」の字が見えます。
「吽」をさわって「開」を見る。
「運」が「開」く、「開運」です。

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運を味方につけたら、御神木「綾杉」へと向かいます。

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「綾杉」(あやすぎ)は神功皇后が三韓征伐から凱旋した折、鎧の袖に刺していた杉の小枝を地に刺したものです。
下には三種の宝を埋め、皇后が自分の神霊を留めた綾杉は、「永遠に国家鎮護すべし」という祈りと、
「亡くなられた仲哀天皇の側に永く仕えたい」という思いが込められています。

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この綾杉は、朱色の玉垣に囲われていますが、四方に鳥居が作られているのがわかります。
その鳥居のうち、拝殿と反対側にある鳥居を覗いてみましょう。

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鳥居の隙間のその先に、きらりと光るご神鏡がお分かりでしょうか。
鳥居、綾杉を通してご神鏡の神威をいただける、絶好のスポットとなります。

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通常の葉の形状と異なり、綾状になっているので「綾杉」と名付けられているそうですが、
北九州の「高倉神社」、篠栗の「若杉山」にもそれぞれ神功皇后が植えた「綾杉」があり、そのどれもが壮絶な神威を放っています。

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「綾杉」の奥には「稲荷神社」と「鶏石神社」があります。

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「勅使参拝標石」という石は、なんかよくわかりませんが、香椎宮にしかないすごいものだそうです。

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さて、いよいよ拝殿へ向かいましょう。

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実は「香椎宮」は僕にとって、ちょっと大切な思い出のある場所です。
ここに来ると、とても気持ちが穏やかになります。

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この香椎宮が神功皇后に所縁ある神社というのは、だいぶ前から知っていました。
しかし今まではそんなに気に留めていませんでした。

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しかし香椎宮と、次の投稿で紹介する「伊野天照皇大神宮」が神功皇后伝承で繋がった時、とても僕の好奇心を刺激しました。
すると、今まで知らず訪れていた神社の数々が、ひとつの物語をつむぎだしたのです。

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しかし、そんな物語に無知でも、ここ香椎宮は優しい時間を与えてくれます。

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心地よい、そして少し物悲しい感じのする、僕にとってそんな場所なのです。

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拝殿前の門から綾杉を見たところです。
香椎宮の真の聖地、神功皇后伝承の最初のクライマックスを迎える前に、
境内の案内をもう少しさせていただきます。

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綾杉から拝殿と反対側の奥に「皇后陛下御放生の亀乃池」があります。

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「扇塚」の横には芸能上達の絵馬がたくさん掛けられています。

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武内宿禰像は応神天皇を抱いているようです。

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亀乃池の丘には「早辻神社」というのがあります。

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本殿の横に行くと

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摂社の中でもひときわ威厳を放つ神社があります。

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「武内神社」、御祭神は謎のキーマン「武内宿禰」、今後活躍を見せる凄腕の男です。

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神功皇后を含む6天皇に仕え、叡智の限りを尽くし、300年の時を生きたとされる男です。

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「武内神社」と本殿を挟んで反対側にある「巻尾神社」、
こちらは後に活躍の「中臣烏賊津大連命」(なかとみのいかつおおむらじのみこと)を祀ります。
神功皇后、武内宿禰とともに、神託を受け取る三人組のひとりで、「雷命」と呼ばれるほど武芸に優れ、
のちの中臣氏の祖先神となる人です。

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【古宮跡】
「巻尾神社」のあるところから裏参道を抜けた先にある古宮の跡地。
ここが真の香椎宮であり、「儺の橿日宮」(なのかしひのみや)と呼ぶにふさわしい聖地です。
さほど広くはない敷地ではありますが、ひと度足を踏み入れると、古代の空気が残っているのを感じます。

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古宮跡に入っていくと、ひとつの御神木が見えてきます。
1月に仲哀天皇と神功皇后らはこの橿日の宮にたどり着くと、
最終的にここを熊襲討伐の本部に決め、軍備を整え、軍議を重ねていきます。
9月5日、その日も重臣とともに仲哀天皇は軍議を行っていました。
その時、神功皇后の様子が豹変します。

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神がかった神功皇后は、仲哀天皇に対してこう告げます。
「天皇よ、どうして熊襲の従わないことを憂えるのか。
その土地は荒れた不毛の国である。
戦いをして討つには値しない。
その国よりもはるかに宝があり、例えば処女の眉毛のように、かすかに海の向こうに見える国がある。
まばゆいばかりの金・銀や彩色がたくさんある国である。
これを栲衾(たくふすま)新羅国という。
もしよく私を祀ったら、刀に血を塗らないで、その国は服従するであろう。
そのための捧げ物として、天皇の御船と穴門値践立(あなとのあたいほむたち)が献上した水田を差し出しなさい。」

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そして冒頭のストーリーへと続くのですが、仲哀天皇は「そんな国は見えない、偽りをなす神だ」と
怒りも露わに神託をそしります。
そこで皇后に憑いた神は「お前ではなく、皇后が身籠った子が国を継ぐだろう」と告げ、
「お前は死ぬだろう」と不吉な予言を残していきます。
そして、その後、予言通り仲哀天皇は急死するのです。

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悲しみに暮れた神功皇后は天皇の亡骸の入った棺を境内の椎の木に掛けました。
この椎を「棺懸(かんかけ)の椎」と言い、この椎から良い香りが漂ったということから「香椎」の名がついたと言います。

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僕が訪れた時、ひやりとした空気とともに樹木の香りがほのかに流れてきました。
現在の神木「棺懸の椎・香椎」は本来の棺懸の椎の、残った切り株から生えてきたものと伝わっています。

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棺懸の椎からさらに奥に進むと、石碑があります。

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「仲哀天皇大本営御旧跡」とありますが、ここが「橿日宮」跡となります。

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とここで水を差してしまいますが、富家の伝承では、神功皇后の最初の夫は「ワカタラシ大王」だと云います。
新羅へ武力で攻めいきたいと神功皇后はワカラタラシ大王に相談しますが、王はこれを断り、夫婦は疎遠となったそうです。
ワカタラシ大王は戦で亡くなったそうですが、その相手はなんと岡の県主だそうで、だとしたら熊鰐と戦争をした!?ということになってしまいます。

皇后が次に新羅出兵を相談したのが部下の「豊前中津彦」ですが、彼が仲哀天皇に比定されるそうです。
そして中津彦も若くして戦死したと云います。

事実はそうなのかもしれませんが、現地の伝承地を訪ね歩いていると、確かに「仲哀天皇」という存在があったように、僕には思えてなりません。
地名として「仲哀」の名が残っている場所もありますし、神功皇后とともに仲哀天皇に比定される何某かが橿日宮までやって来たのだと思えてしまいます。

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そして、ここから「神功皇后」は、凄まじい歴史を紡いでいくのです。

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さて、古宮跡から更に離れた場所に「武内屋敷跡」と「不老水」があります。
「武内屋敷跡」は「武内宿禰」の屋敷跡とのことですが、今は普通に民家が建っています。

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武内宿禰はどうやって300歳も長生きできたか?
その秘密と伝わるのが「不老水」です。

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日本三大名水とあります。

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この不老水の霊験で、武内宿禰は300歳も生きたと云います。

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もちろん実際に300歳生きたわけではなさそうです。
古事記や日本書記は、日本の歴史の始まりを古く見せたいがため、実際の年数を引き延ばして加工しています。

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富氏によるとここで言う「武内宿禰」は、数代に渡る武内氏をまとめて伝えていると云うことです。

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それはともかく、僕も霊験あやかり、この霊泉をいただくとします。

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不老水は近年、湧出量が減ってきているので、節度を持って適切にいただくことが大切です。

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香椎宮近辺には数々の神功皇后伝承地があります。

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【鎧坂】
皇后が鎧を付けた場所、「鎧坂」です。

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石碑となりの小さな坂が「鎧坂」みたいです。

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【兜塚】
「兜塚」は、皇后がここで兜を着けたとか、ここに兜を埋めたとか言われるところです。

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兜塚の石の横には、モビルスーツの頭部のような石がありました。

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【耳塚】
皇后が凱旋ののち、新羅の人々を供養したと伝わる「耳塚」は、民家の塀の裏にこっそりありました。

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殺した新羅兵の耳を持ち帰り、供養したのでしょうか。

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【濱男神社】
香椎駅そばの「濱男神社」には鎧塚なるものが、かつてあったそうです。

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同じ名前ですが、

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【濱男神社】
香椎宮近くの濱男神社は、神功皇后が「御島神社」を参拝する際、海が荒れた時はこちらから遥拝したそうです。

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とても小さな祠ですが、神聖な感じがしました。

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御神木の根元には、意味ありげな石が祀られています。

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【頓宮】
神幸式の際の、神輿の仮宮です。
神功皇后はここ香椎宮を拠点に、九州のまつろわぬ民を征伐していくことになります。

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