神在神社〜神功皇后紀 外伝

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何と長閑なこと…
穏やかな陽気の中、自分の前後に連なる行軍を眺め、女はわずかに目を細めた。

松浦国では、鏡山の山頂に登り祭祀した。
そこから遥か遠く、海の向こうを眺めてみたが、神の示した異国は見えなかった。
しかし女は、その先に、かの国があることを知っている。

「姫様、そろそろ伊都国に入ります。まもなく五十迹手も出迎えに参るでしょう。」
「うむ、そうか。」

武内襲津彦が姫と呼ぶその女は、オキナガタラシ姫という。
異国の血をひく彼女の風貌は、色白でやや切れ長の瞳、どこか神懸かった美しさを宿していた。
夫、仲哀を亡くし、女伊達らに兵を率い、自ら弓をもってまつろわぬ豪族らを打ち破ってきた姫。
そして今、大望である三韓制圧にむけて、準備のため橿日の宮へ戻る途中であった。

しかし、気丈に振る舞ってきたオキナガタラシ姫も、あまりに多くの血を流してきた自分の所業に我に返った。
神の意志に従い、ひたすらに戦ってきたけど、それは正しかったのだろうか…
神々しい彼女に、兵たちはまるで王のように接していたが、まだうら若い乙女であることを認識し、気遣っていたのは襲津彦だけだった。
襲津彦だけは、彼女の内に生じた揺らぎに気づき、見守っていた。

「五十迹手の祖は、姫様と同じアメノヒボコノ命と云います。きっと気の和らぐ、良い話も聞けましょう。」
「そうか、同郷の。どうりでここには、懐かしい風が吹いていること。」

ふわり柔らかな風が彼女の顔を撫で、その目を空に向けさせた。

「ああ、みてみろ襲津彦。彼の処には神がおられる。」

襲津彦もつられて空をみあげると、そこには紫色に染まった雲が、美しくなびいていた。

「霞たなびき、神が在られる。私の道は間違ってはおらぬとおっしゃっておられるのだな。」

再びそう呟いたオキナガタラシ姫の瞳はうっすらと潤んでいる。

「誠に、在られますな。」

それは襲津彦の胸にも熱く押し寄せる、空の景色だった。

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糸島市神在にある「神在神社」(かみありじんじゃ)を訪れました。

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こじんまりとした神社でしたが、元は北1kmほど先の牧の天神山にあったと云うことです。

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一度は祭りも途絶え、荒廃した社殿を、寛文4年(1664年)識者と村の有力者が、社を今の神在に再建したのだそうです。

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神在神社は第28代「宣化」天皇の2年(572年)、征新羅将軍に任ぜられた「大伴連狭手彦」(おおとものむらじさでひこ)によって戦勝と渡航の安全を祈って建てられたのが創建と伝えられています。

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宣化天皇といえば、北陸の蘇我本家の姫「蘇我臣振姫」と、そこに婿養子として嫁いだ出雲向家の王「オホド」の間に生まれた子の一人です。
オホドは、荒廃した平群王朝に終止符を打ち、蘇我王朝を築いた26代「継体天皇」のことです。

また「大伴狭手彦」は唐津の佐用姫伝説において、佐用姫が恋い慕う人として登場します。
狭手彦は戦うために二度も朝鮮半島に渡っていますが、任那や百済を救うため、1度目は新羅、2度目は高句麗と戦い勝利しています。
彼は唐津の港から出航していますが、往来の途上、この謂れある聖地で戦勝を祈願したのでしょう。

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狭手彦は奈良の都より、七世の神(国常立命・伊弉諾尊・伊弉冊尊・瓊瓊杵尊・彦火火出見命・保食命・大己貴命)を勧請したとありますが、
現在の祭神は「天常立尊」(あめのとこたちのみこと)「国常立尊」(くにのとこたちのみこと)「伊弉諾命」(いざなぎのみこと)「伊弉冊命」(いざなみのみこと)「瓊瓊杵命」(ににぎのみこと)「彦火火出見命」(ひこほほでみのみこと)「菅原神」(すがわらのかみ)と錚々たる面々となっています。

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境内の横に埴安命を祀った小社もあります。

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土地神を祀っているということですが、

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そこにある「足形石」というのが面白かったです。

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神のものか鬼のものか、たしかに足に見えます。

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さて、近年、この神在神社を注目させるあるものが発見されました。
それは「神石」(しんせき)と呼ばれています。

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神在神社から250mほど歩いた場所にそれはあります。
元は竹草繁る藪道だったそうですが、地元の方々が整備され、今では簡単にアクセスできるようになりました。

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とはいえ、ひと気のない竹藪の道に違いはありません。
天候の良い日に、複数人で訪れることをお勧めします。

そしてその神石が姿を現しました。

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その異様な神々しさに、思わず息を飲みます。
最近まで竹藪の中にあったということなので、神石周辺は刈り取って整備したのでしょう。
しかし周りの地形から、周囲を掘り下げたのではなく、もとから盛り土の上にこの巨石が鎮座していたことが伺えます。

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そして巨石の背後を支えるようにして伸びる、3本の木。
これは往古の人々が、意図的にここに祀ったとしか考えられず、まさに磐座と神籬の様相を成していました。

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地元の人はこの石を「ひよこ」のようだと表現していましたが、このアングルからは確かに巨大なひよこを想起します。

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この神石は伝承を頼りに、巨石ハンターの「須田郡司」氏が再発見したとのこと。
近年神事も再開されたと云います。

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「神在」(かみあり)という地名は、神功皇后がここで紫色に染まった雲を眺め、
「霞たなびき、神が在られる」
と言ったことから付いたと云います。

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狭手彦が渡海の安全と勝利を、当地で祈願したのは、神功皇后の由緒と「霞がたなびき、神が在られる」というほど神秘を、彼自身感じたからなのでしょう。

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永い間、人目に触れることなく沈黙を続けた磐座は、これから何を語ってくれるのか。
この日もただただ軽やかな、風が吹いていました。

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