立石神社

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「神名樋山。郡家の東北六里一百六十歩、高さ一百二十丈五尺、周り二十一里一百八十歩あり。
蒐(いただき)の西に石神あり。
高さ一丈、周り一丈、径の側に小石神百余許あり。
古老の伝へに云へらく、阿遅須枳高日子命の后、天御梶日女命、多宮村に来坐して、多伎都比古命を産み給ひき。
その時、教し詔りたまひしく、「汝が命の御祖の向位に生まむと欲りするに、此処ぞ宜き」とのりたまひき。
謂はゆる石神は、即ち是れ多伎都比古命の御魂なり。
旱に当ひて雨を乞ふ時は、必ず零らしめたまふ。」

『出雲国風土記』

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出雲市坂浦町、島根半島の中頃に「立石神社」(たていわじんじゃ)と呼ばれる磐座があると知り、訪ねてみました。
そこは驚愕の、古代祭祀跡でした。

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最近注目されつつあるパワスポということですが、立地が立地なだけに、この日も訪れる人は誰もいません。

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踏み固められた斜面の細い参道は、氏子が住む集落と神社を結ぶかつての生活道だと云います。
氏子の方々の尽力で、一般の人も気持ちよく参拝できるように整備されていました。

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その約30軒ある氏子さんの半数は、姓を「立石」というそうです。
「山陰中央新報」で紹介された記事は、「氏子総代の金折徹也さん(66)は『地域の大切な遺産を知ってもらえるだけで幸せです』とほほ笑んだ」と伝えていました。

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さて、細い山道を数分ほど降ってくると、その磐座が姿を現します。

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山奥ではありますが、そこは切り拓かれており、光が差し込んでいます。

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そして神聖な場所を守るかのように、何本もの樹木が玉垣のように立ち並んでいました。

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天然の鳥居をくぐり、結界の内へ身を滑らせます。

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圧倒的聖地感。
度肝を抜かれました。

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神社とはありますが、社殿はありません。
そこには三つの巨石を中心に、磐座群が鎮座します。
大正期までは拝殿があったそうですが、今はその礎石だけが残り、古代の祈りの場が、そのままの形で残されています。

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往古より、住民はここで五穀豊穣を祈り、雨乞いしたと云います。
祭神は大国主命の孫「多伎都比古命」(タキツヒコノミコト)であり、雨乞いの神様として知られ、祈祷をしたご幣を持って背後の雲見峠まで行くと必ず雨が降ってきたと伝えられています。

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『出雲国風土記』には「阿遲須枳高日子」(アジスキタカヒコ)の妃、「御梶日女」(ミカジヒメ)が、多宮村にやってきて多伎都比古を産んだと記されています。

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アジスキタカヒコは出雲王国8代大名持だった、かの「八千矛王・大国主」の息子であり、母は宗像三女神の次女「多伎都姫」です。
つまり多伎都比古は祖父に大国主、祖母に多伎都姫を持ち、祖母の名から名付けられたのです。

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多伎都比古は八千矛王と八重波津身が枯死した事件を受け、異国人との共生を嫌い、東王家のクシヒカタを頼って大和の葛城へ移りました。

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多伎都比古は葛城で、葛木御歳神社や高鴨神社を建て、そこに父であるアジスキタカヒコを祀ったとあります。

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紙垂の先の、岩に挟まれた場所は畏れ多く、もちろん足を踏み入れることなどできませんが、往古から続けられてきた祈りが降り積もっているようでした。

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それにしてもなんて素敵な空間なのでしょうか。
またひとつ、出雲で大好きな場所を見つけてしまいました。

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立石神社からの帰り道、別の磐座が祀られている場所が目に入りました。

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「老母石神社」(おぼいしじんじゃ)と書かれています。

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花に埋もれた参道を進むと大きな石がありますが、これが老母石神社だというわけではないようです。

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こちらは「客神社」と呼ばれているようで、老母石神社はその向かい

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草と土に埋もれるようにして祀られていました。

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この石は、多伎都比古命が連れて来た姥(うば)を祀ったものと云われています。
ということは多伎都姫を祀ったものということになるのでしょうか。

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また賽の神(幸神)とも言い伝えられています。

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2件のコメント 追加

  1. こちらまで 何かが 響いてくるような ところですね。

    行ってみたいです・・・(‘-‘*)

    いいね: 1人

    1. CHIRICO より:

      とても神秘的な所で、アクセスは容易ではありませんが、出雲に行った際はまた訪れたい場所の一つです。
      和歌山の熊野にも似た雰囲気です。

      いいね: 1人

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