畝尾都多本神社:語家~katariga~ 15

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奈良県橿原市に、「畝尾都多本神社」(うねおつたもとじんじゃ)が鎮座しています。

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当社は天香久山北西麓に鎮座し、「啼澤神社」「哭沢神社」「泣沢神社」の別名があり、その境内は「なきさわのもり」と呼ばれています。
御祭神の「哭澤女神」(なきさわめのかみ)は、「古事記」によると、イザナミが火の神であるカグツチを産み亡くなったのを、イザナギが悲しんで泣いた涙から生まれた女神だと伝えています。
神名は「さめざめと泣く神」という意味で、香山(香具山)の畝尾の木の下(木の本)に坐す神と同記は記しています。

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これは葬式のときに雇われて号泣することを職業とする「泣女」(なきめ)を神格化したものかも知れません。
中国、朝鮮半島、台湾、安南をはじめとして、ヨーロッパや中東など世界各地で散見される伝統的な習俗で、日本でも旧習として存在していたそうです。

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「哭澤の 神社(もり)に神酒据(みわす)ゑ 祈れども 我が大君は 高日(たかひ)知らしぬ」
(泣沢神社の女神に神酒を捧げて薨じられた皇子の延命を祈っているのに、皇子はついに天を治めになってしまわれた)

桧隈女王(ひのくまのおおきみ)が、と詠んだと言われる万葉歌碑が境内にあります。
持統天皇10年(696年)七月十日薨じられた「高市皇子」の延命をここの神に祈ったのに、聞きいれてもらえなかったとの歌意であると云います。

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草壁皇子が亡くなった時、失業しかけた柿本人麿を救ったのが高市皇子でした。
高市皇子は人麿が自分と同じ父親の息子であることを知っており、彼が都にきた時から親しく付き合っていました。
また壬申の乱でも共に戦っています。

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その高市皇子が696年7月に没します。彼は香具山の宮の主でした。
彼の死に人麿は、いくつもの挽歌を送りました。

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高市皇子の助命を祈った桧隈女王とは、皇子の妃だったようですが、その甲斐はありませんでした。
皇子は誣告により刑死となったと噂されています。

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拝殿の裏を除くと本殿がありません。
壊れたまま放置されているのかと思いましたが、違いました。
玉垣の扉の奧には井戸が祀られているそうです。
それは人頭大の自然石で積まれた、内径136センチメートルの古井泉であり、御神体になっているそうです。
かつて依代であったと思える玉だすきの切株がその手前に残され、太古の祭祀形態を偲ばせていると伝えられます。
今は枯れた井戸ですが、磐余池とともに天香久山の周辺にあった埴安池へ注ぐ飛鳥川の水源になる地下水脈の一つだったのではないかとの説もあるようです。

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質素な境内に静謐な空気が満たされています。
ここは太古に、亡き人を偲び、魂の呼び返しを祈った聖地だったのかもしれません。

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