山王岳環状列石:満天ニ鳴ル花 鬼星七支篇 09

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ポラリス(Polaris)
北天の極星は満天の中心で輝き、夜海を渡る者のしるべとなる。

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少し前のXで、マックイーンさんからこんなコメントを。
確かにね。古代の先祖はどのくらい、天体のことを知っていたのか、疑問です。
天動説とか地動説とか、そんな認識はなかったかもしれません。
ただ、昼も夜も常に空を見上げ、空を巡るもの達に思いを馳せていたのだろうと、想像に難くありません。

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そしてこの世界は美しいと、心から感じて。

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さて、地上の星々を地に描いた可能性を秘めた霧島北斗七星ですが、確かにその位置は見事なまでに近似しています。
この7か所の聖地はいずれも磐座信仰の聖地ですから、これを定めた人は古い時代の人たちだったと推察されます。

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霧島北斗七星を発見された、旧・イワクラ学会の理事でもいらっしゃった谷口実智代さんは、北斗七星に対する北極星は高千穂峰だとおっしゃいます。
対面には天の川ならぬ天降川まであると。
確かにそうではありますが、いやちょっと待って、北極星近くね。

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北極星ポラリスの見つけ方は、北斗七星の一辺の5倍を、端からそのまま延長した先にあると僕らは小学校で習いました。

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で、それに倣って皇子原から線を伸ばしてみると、あるじゃないか、それっぽいのが。
イワクラ学会さえ気づいていない世紀の大発見を、僕はまたしてもやらかしてしまったのか!
と久々にイキっていたら、

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みずいとおる』さんて方が、先に見つけてたよね、どんまい。

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二番煎じやけどしゃぁないかー、とトボトボやって来ましたYO☆「藺牟田池」(いむたいけ)へ。

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藺牟田池は鹿児島県薩摩川内市祁答院町藺牟田にある直径約1kmの火山湖です。
ラムサール条約指定の湿地でもあります。

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あれが藺牟田富士の「飯盛山」でしょうか。
榛名湖の榛名富士に似ています。

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そしてドーン!あるじゃない、磐座が。
山王岳と呼ばれる山の頂上付近にある、トンがった岩は「竜石」(たついし)と呼ばれます。

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この竜石には、次のような伝説があります。
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その昔、藺牟田池には男竜、女竜の夫婦の竜神が仲良く暮らしていた。
やがて男竜は二人だけの生活には飽き足らず、嵐の夜こっそりと池を抜け出し、霧島の大浪池で女神たちと暮らすようになった。
幾百年、幾千年と時は過ぎたが、女竜は男竜の事をどうしても諦めきれず、ある霧の深い夜に大浪池に行こうと思い池の西側の山を登った。
しかし、山の頂上へ登りついた時、にわかに立ちこめていた霧が晴れ、差し込む朝の薄明かりに、巨大な女竜の姿は、たまたま鴨取りに来ていた里人の目にさらされた。
そして女竜は、そのまま岩の姿に身を変えてしまった。
やがて岩は竜石と呼ばれるようになった。
一方、大浪池で女神たちと暮らしていた男竜は幾百年、幾千年の間に地上で起こる様々な争い事や、日々変貌する地上の移り変わりを見るにつれ、遠く藺牟田池に残してきた女竜のことが気掛かりになりだした。
そして雲が厚くかかった辰年のある夜、男竜は、ついに意を決し、雲を乗りつき大浪池から藺牟田池にこっそり帰ってきた。
懐かしい藺牟田池に帰った男竜は湖中の女竜を探し求めてさまよったが、女竜の姿はそこにはなかった。
ところが、ふと池の西側の山に目を転じると、そこに岩に姿を変えた女竜をみつけた。
男竜は激しく胸を打たれ、変わり果てた女竜に向かって、幾度も謝り続けた。
この伝説を知った若者たちは、彼らの手で夫婦の竜を再会させることとし、それは竜神祭(8月7日)という形で現在も行われている。
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この日、僕は竜石まで登るつもりでしたが、天候がイマイチなのと道が荒れているようだったので、やめました。
下から眺められたからこれでいいか、と思ったのですが、いや登って見るべきだったかもしれません。
そこに広がる、いにしえの人達が見たものと同じ景色を。

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竜石の麓には、「山王岳環状列石」なるものがあるというので、これだけでも見ておきましょう。

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列石の手前に、「瑞奥寺」(ずいおうじ)跡と言う場所がありました。

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本尊の阿弥陀如来は約400年前のものであるとされますが、寺院は明治2年の廃仏毀釈により破棄。
現在は板碑1基と五輪塔4基を残すばかりとなっています。

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幸い破棄される運命にあった本尊は残され、藺牟田池畔の民家にて保存されているとのことです。

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そこから竹藪の中に入っていくと、

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ありました、「山王岳環状列石」(さんのうだけかんじょうれっせき)です。

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狭い範囲に、小ぶりな石積みが数基あります。

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薩摩川内市教育委員会設置の案内板によれば、「ひとかかえほどの大きさの自然石の根元を数個の小石で支え、さらにその周囲を環状に直径30~40センチの自然石を並べて囲んだ」環状列石が上部に一基、中部に二基、下部に三基計六基あるとのこと。

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「直径は1.4m~2mくらいで、考古学上これを環状列基あるいは支石基と呼んでいるが、年代や造立意趣は不明である。恐らく古代人の祭祀遺跡と思われる」ということです。

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これは位置的にも、山王岳山頂の竜石と関連がありそうです。
富家伝承的に磐座を定義すると、それは古代王の王墓が始まりであった、ということになります。
山中の巨大な岩(自然石)の下に、風葬後の王の遺体を埋葬して”埋め墓”とし、麓に石を積み上げて埋め墓を遥拝する”拝み墓”とした、これが磐座信仰の初めだとします。
巨石信仰自体はもっと古くからあったのではないか、と思いますが、それは自然崇拝的なものであり、岩に御魂が宿る磐座信仰としては、これが初めだとする富家伝承は正しいと感じます。
“人工的な加工された”云々というイワクラ学会の磐座定義は、この時代の後のことであろうと考えられます。

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山頂の竜石が王の埋め墓であるとするなら、ここには6代の王の拝み墓があるという風にも見てとれます。
富家の家族墓は、埋められた遺体の上に、秋田のストンサークルの内部に似た形の石が並べ置かれたとのことでした。

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もしくは、竜石が霧島北斗七星に対するポラリスであるのなら、この列石はこぐま座の星々を表しているのかもしれません。

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ただ、雑木に覆われて全貌が見えませんが、列石と向き合うように巨大な岩が横たわっているのが、少々気になりました。

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江戸時代後期に薩摩藩が編纂した『三国名勝図会』の藺牟田池の絵図を見ると、かつては湖畔に山王社が鎮座していたことがわかります。
同書によれば、藺牟田池は「山王の御池」と呼ばれており、山王岳が神聖視されていたことが窺えます。

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この山王社は「日吉山王大権現社」(ひえさんのうだいごんげんしゃ)と呼ばれており、”近江国の日吉社(日吉大社)より勧請したものだが、創建時期は不明”といいます。
明治初期の神仏分離令により、日吉山王大権現社は「日枝神社」(ひえじんじゃ)と名称が変えられ、明治6年(1873年)に台風で壊れたために湖畔から藺牟田小学校近くに遷座、さらに明治41年(1908年)に中原公民館近くに遷座しています。

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祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)とされていますが、今の日枝神社は山王岳からも藺牟田池からも離され、少し寂しげな印象です。

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さて、すでに幾多もの人が調べ上げた霧島北斗七星を訪ね歩き、すでに他人に先を越された藺牟田池・竜石ポラリス説を再確認してみたわけですが、それで終わるだけでは、ちょっと寂しすぎます。
ここは五条桐彦の意地の見せどころかもしれません。せやろか。

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霧島北斗七星の磐座群は、全てではありませんが、確かに出雲的なサイノカミの雰囲気がありました。
古代に出雲の血を引く一族がそれらを祭祀し、後に新たな磐座を繋げて北斗七星とした、とも考えられます。
その配置は確かに、大淀川の水を汲み上げる柄杓の体を成しており、火の神・高千穂峰を鎮ませる意図を感じます。

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また、藺牟田池の竜石と山王岳環状列石も、出雲的な二王墓制の可能性を秘めていました。
あれだけ精巧な測量技術をもった者が、高千穂峰を北極星としたとは考えられず、現在のポラリスの位置を計算すれば、それは藺牟田池の竜石となるのは必然です。
霧島北斗七星と竜石は関係ある!しかも、竜石はコンパスの針よろしく、軸としてうってつけの形をしています。

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そう、天体は動くもの。
ならば地上の北斗七星も天体のように動かしてみようではないか、とこの五条桐彦は考えたのでした。

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これです。
竜石を基点に霧島北斗七星をぐるりと回してみます。するとどうでしょう、磐座の柄杓は鹿児島西部の東シナ海の海から水を掬い取り、その水を薩摩半島の一部に注ぐように描かれるではありませんか。
薩摩半島のそのエリアには、アタツ姫(コノハナサクヤヒメ)の郷といわれる「笠沙の岬」と薩摩の豊玉姫・玉依姫伝承地が含まれているのです。
そしてこれを見て思い浮かぶ事象があります。
「北斗の水くみ」です。

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「北斗の水くみ」とは、北斗七星が海水面ギリギリに下降し、まるで海の水を掬い取るようにして再び上昇する現象のことです。
これは1980年に、天文学者で福岡教育大学名誉教授の平井正則氏が、小学4年生の理科教材の内容を考えて作る時に発見したとのことで、氏は「北斗の水くみ」の名付け親でもあります。

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この「北斗の水くみは」どこでも見られるものではなく、ある一定の条件が必要となります。

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 それは

①北緯33~34度に位置していること
②北に水平線がある(島や建物などの遮るものがない)

という二つの条件をクリアすることが必要となるのです。
それがなんと、世界広しといえど、おそらく九州北部の宗像から岡垣に至るわずかな海岸線しかない、と言うことなのです。
(地中海のごく一部で、見られる可能性はあるとのこと)

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宗像、そう宗像ですよ。
宗像族の始祖は出雲神門家のアタカタス王です。
アタツ姫のアタは、アタカタス王から来ているのではないか、と過去にnarisawa氏は話していました。確か。
また豊玉姫には、宗像族の血が、濃く流れていると考えられます。

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つまりそうです。
宗像の海で北斗七星を見ていた海洋族の彼らは、天の柄杓が玄界灘の海水を汲み上げる神秘を知っていた。
やがて彼らの中に、南九州に移住する一部の者達がいて、それを地上に再現した、それが霧島北斗七星と竜石の磐座だった!
なんだとー!すごい!やっぱオレ、すごいやんっ!

・・・ってちょっとだけ浮かれてたんですけどね、我にかえってふと思ったんですよ、

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そう、地球は動いているのだと。

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地球は自転していますが、それはコマのように、同時にブレが生じています。
これを地球の歳差運動といい、実はこれによって北極星は入れ替わるのです。

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北極星が入れ替わる、とは?
地球はこの歳差運動のため、春分点や秋分点が黄道に沿って西向きに移動し、約25,800年で一周します。
このため天の北極も移動するのです。
実は今の北極星ポラリスも、天の北極に完全に重なってはおらず、西暦2,100年頃に天の北極に最接近すると考えられています。

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つまり北極星とはポラリスに限定されるものではなく、地球の自転軸を北極側に延長した「天の北極」近くにある輝星を北極星と呼んでいるに過ぎないのです。
日周、あるいは年周において地球上から見ると北極星はほとんど動かず、北の空の星は北極星を中心に周りを回転しているように見える。そのため、北極星は天測航行を行う際に正確な測定をするための固定点となり得る、とされています。
では、こぐま座α星「ポラリス」は、いつから地球の北極にあったのかと言うと、おおよそ西暦500年頃からだと計算されます。
それ以前は、紀元前3000年頃にはりゅう座のアルファ星「トゥバン」が、また将来の約2000年後には「エライ」が北極星になると言われています。

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過去の北極星
紀元前12,000年頃 – こと座α星(ベガ 英: Vega、視等級0.0等)
紀元前10,000年頃 – ヘルクレス座ι星(視等級3.8等)
紀元前7,700年頃 – ヘルクレス座τ星(視等級3.9等)
紀元前5,300年頃 – りゅう座ι星(エダシク 英: Edasich、視等級3.3等)
紀元前3,000年頃 – りゅう座α星(トゥバン 英: Thuban、視等級3.7等)
紀元前1,100年頃 – こぐま座β星(コカブ 英: Kochab、視等級2.1等)
西暦500年頃~ – こぐま座α星(ポラリス 英: Polaris)

現在の北極星
こぐま座α星(ポラリス、視等級2.0等):西暦2,100年頃に天の北極に最接近する。

未来の北極星
西暦4,000年頃 – ケフェウス座γ星(エライ 英: Errai、視等級3.2等)
西暦6,000年頃 – ケフェウス座β星(アルフィルク 英: Alfirk、視等級3.2等)とケフェウス座ι星(視等級3.5等)がともに天の北極を周回する。
西暦7,800年頃 – ケフェウス座α星(アルデラミン 英: Alderamin、視等級2.5等)
西暦10,200年頃 – はくちょう座α星(デネブ 英: Deneb、視等級1.3等)
西暦11,600年頃 – はくちょう座δ星(英: Fawaris、視等級2.9等)
西暦13,500年頃 – ベガ
西暦26,000年頃 – こぐま座α星(ポラリス 英: Polaris)- 現在の状況から歳差が一巡し、回帰する。

西暦500年頃といえば継体帝前の25代「武烈大君」の時代で、古墳時代後期ということになります。
北斗七星の円運動はそれ以前では半径が小さくなり、宗像で「北斗の水くみ」を見ることはできなかった、と言うことになってしまいます。
なんだってーっ!!

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地球の歳差運動は約25,800年周期ですので、今から25,800年前であれば、ポラリスが北極星であったと言うことになりますが・・・
いやいや、まいった、どうしよう。
武烈時代か、その後の宗像系の何某かが、この壮大な鹿児島水くみシステムを築き上げた、とまあ、考えるほかありませんな。
竜石を北極星とし、宗像の北斗の水くみと関連させるならば、ですが。

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僕の壮大な霧島北斗七星論は、歴史を動かすには、いまひとつ根拠が必要なようです。

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10件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110
    出雲大神宮の東だか南側にも環状列石の様なものがあると書かれてましたね。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      熊野の産田神社の磐境なども、この類かもしれません。

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    公正担当

    北極星が定まらない時期は北斗七星を北の目星としたそうです。

    古代人は北斗七星を柄杓に見立てたり龍神に見立てたり…
    夜空を見上げ変わらず居てくれる星々は私たちの心の拠り所ですね。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      古代人は自分の位置情報を得るときに、天を見上げるほかなかったことでしょう。
      しかしその正確さに、驚くばかりです。

  3. 不明 のアバター 匿名 より:

    公正担当

    天体の星々の地上投影
    ワクワクしますね!

    山口県には天武天皇が描いた北斗図があるのですよ😊

    https://yamaguchi-city.jp/wp/wp-content/uploads/2019/10/991a7ca135a45bc54ae9751075888513.pdf

    https://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/201704100000/

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      オリオンの三つ星を神格化、聖地化した場所もちらほらありますが、北斗七星は古来から人々の興味を惹いたのでしょうね☺️

  4. Tomi Kaneko のアバター Tomi Kaneko より:

    キトラ古墳の天文図を見てきましたが、「帝星・北辰・妙見」はコカブという概念が有力でした。それでもこの配置は意図を感じるにあまりありますね。

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      やはりポラリスが北極星となるのは、もう少し後の時代ということでしょうね。
      霧島北斗七星のコカブの位置を探して見るというのも面白いかもしれません。

  5. よせふ のアバター よせふ より:

    おー!ずいぶんスケールの大きな話になりましたねー。
    ワクワクします!

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      よせふさんのおっしゃるように、霧島北斗七星は壮大な話になりますが、僕の考察はちょっと壮大過ぎたかな、と思っています😅
      なにより、”北極星が動く”と言うところまで当初は考えが及んでおらず、中途半端な考察となってしまいました。
      ただこの位置関係は、偶然にしては出来過ぎていると思いますね😊

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