燃えていた。
辺り一面火の海だった。
熱い紅蓮の龍がのたうち回り、苦しみから逃れるように襲いかかろうとする。
おのれ、大和、我が恨みはここに極めり…
ただこのまま死ねるものか。
俺と妹を育んだ、この土地だけは我が命を賭しても奴らに渡さぬ。
未来永劫、決して実ることのない不毛の呪いを受けるがよい。
…
「うむ、良い出来だ。」
夏羽の前には朝の太陽に輝く、銅の剣が一振りあった。
「これなら大和の軍勢を退けられよう。」
夏羽が所有する香春岳は質の良い銅が採れた。
夏羽は早くから新羅と交流を持ち、その素晴らしい精製技術に目をつけていた。
丘の上にある神夏磯媛の祠の前で夏羽は目を閉じる。
祖母神への朝の参拝が日課であった。
風を感じる。故郷の爽やかな風だ。
「妹はどうしているだろうか」
夏羽が今、心に掛けるのは、山門の女王として引き取られた妹のことだった。
名高い女王葛築目の跡目を継ぐものが、山門にはいない。
そこで血筋もよく、巫女としての才能も秀でた夏羽の妹に声がかかったのだ。
「お転婆なあいつも、山門の女王となれば随分しおらしくなったものだと思っていたが、
性根は変わらぬか」
皇后の召集の折、ここに立ち寄った妹はとんでもないことを言ってきた。
皇后暗殺、それを聞いたときはさすがに驚いたが、思いは兄も同じだった。
だが妹は千載一遇の好機をしくじったらしい。
なんとか山門の国へ戻ったと聞いたときは、心底胸をなでおろした。
「今しばし熊鷲殿が踏ん張ってくれようが、早く軍備を整えて妹の元へ向かわねば」
そのために銅剣の製造を急がせた。
丘から石の階段を降りていると、一人の伝令が足早に駆け上がってくる。
「夏羽様、大変です。羽白熊鷲様、益富山にて討ち死にとのことです。」
「なに、まさか」
また別の伝令が駆け上がって伝える。
「皇后軍、勢い落とすことなく山門の姫様のもとに向かっているようです。」
夏羽は青ざめた。
(早すぎる、)
「すぐに軍を整えよ、急ぎ山門に向かうぞ」
(なんだ、この異様な勢いは。熊鷲殿とて剛の者、そう易々とは…)
今朝の嫌な夢が脳裏をよぎる。
夏羽の額を、季節外れの冷たい汗が流れていた。
【田原正八幡宮】
田川にいた「田原麿」という人は神功皇后の三韓征伐に馳せ参じた人です。
その田原氏ゆかりの神社が田川にありました。
田原麿の子孫に応神天皇の神霊が現れ、母との縁深いこの地に社を建てるよう伝えたと言います。
気になったのは本殿裏にある変わった形の石。
「田」と「大神」の刻印が見て取れます。
【香春神社】
田川に向かうと、三峰が連なる象徴的な山があります。
「香春岳」(かわらだけ)です。
一番手前の一ノ岳が台形なのは、セメント精製のため石灰石が採掘されたため。
人の強欲さを窺わせます。
僕が訪れたときは雨雲で全容が見えませんでしたが、素晴らしい絵画を見つけました。
手前から一ノ岳「辛国息長大姫大自命」(からくにおきながおおひめおおじのみこと)
真ん中が二ノ岳「忍骨命」(おしぼねのみこと)
最奧が三ノ岳「豊比賣命」(とよひめのみこと)を祭神としています。
かつての写真もありました。
「辛国息長大姫大自命」は新羅の神様ということです。
どことなく神功皇后の本名「息長帯比売命」(おきながたらしひめのみこと)と似ています。
先ほどの絵画と写真が飾ってあったのは一ノ岳の麓にある「香春神社」(かわらじんじゃ)です。
長い石段の参道の先に本殿があります。
とても風格のある拝殿が鎮座していました。
拝殿の横に存在感のある大岩があります。
この「山王石」はある時轟音とともに山から降ってきたそうです。
奇跡的に社殿や人に被害はなく、これも神威のたまものと祀られています。
御祭神はもちろん、香春岳の三神です。
境内の雰囲気も良く、のんびり散策したい神社です。
【若八幡神社】
さて、神夏磯姫の後継として田油津姫の兄、夏羽は香春岳を含む一帯を治めていました。
御祭神が表すように、早くから新羅の進んだ精錬術も得ていたようです。
夏羽は鉱山を持つがゆえに、その重い重税に苦しんでいたと思われます。
祖神夏磯姫の仕打ちも含め仲哀天皇九州征伐に謀反を起こします。
香春岳からほど近い所にある「若八幡神社」に伝わる話では、
夏羽の妹、田油津姫は神功皇后暗殺を図ります。が、これに失敗。
その後皇后軍から山門で討ち殺されてしまいます。
夏羽は妹を助けるべく、軍勢を率いて山門を目指して駆けつけますが、
途中、妹が敗戦し殺されたことを知ります。
止む無く夏羽は自分の館へ引き返し立て篭もるのですが、そこを迅速に攻めてきた皇后軍に、
火攻めにて焼き殺されてしまいます。
ここは今は「夏吉」と呼ばれていますが、かつては「夏羽焼」(なつはやき)「夏焼」(なつやき)と呼ばれていました。
羽白熊鷲征伐から田油津姫、夏羽征伐までの流れはあまりに短期間に速やかに成されています。
3月17日、熊鷲を討つため、皇后軍は橿日宮から筑前栗田の松峡宮へ移ってきます。
そして20日、層僧岐野(そそきの)にて兵を挙げ、羽白熊鷲を討ち果たします。
さらに25日、山門にて土蜘蛛田油津姫も討たれてしまいます。
同じ頃、夏羽は田油津姫を助けようと急ぎ向かいますが間に合わず、館に籠城したところを焼き殺されてしまいます。
このあまりにも迅速で徹底した戦の裏には、ある黒幕の存在がありました。
「物部氏」です。
筑紫の物部氏は筑後川流域や遠賀川流域で勢力を伸ばしていました。
そこで採れるのは「すず鉄」や「隕鉄」。
鋼材が希少な上、川が堆積して陸化し、原料確保が難しくなってきます。
しかし目の前には豊かな鉱山と、それを採掘する土壌が整っています。
これが喉から手が出るほど欲しかったはずです。
仲哀天皇が崩御されたことにより、物部軍は暴走を始めたことでしょう。
更に朝鮮では鉄鉱石から製鉄する時代に入ってきています。
まだ若い皇后を祭り上げ、筑紫の鉱山をことごとく手にし、
新羅征伐を一層推し進めたのは物部氏だったのかもしれません。
そう考えると、神功皇后もまた、時代に翻弄された女性の一人なのです。
若八幡神社の拝殿を訪れて感じたのは「懐かしさ」でした。
どこか田舎の小学校のような、ノスタルジーがあります。
御祭神は「神夏磯姫」。
美しい弁財天の額絵が奉納されています。
この長閑な空間は、かつて兄と妹が慎ましく生活していた、平和なひと時を思わせます。
しかし夏羽の呪いは凄まじかったようで、
のちの光仁天皇の頃に、夏羽の亡霊を鎮めるため、大宮司屋敷に「宇佐神宮」を勧請しました。
つまり夏羽の怨念を宿敵の子、「応神天皇」を祀ることで抑えようとしたのです。
これで夏羽の心が鎮まるはずもありません。
その後もこの村は困窮のどん底にあったようです。
やがて時は過ぎて江戸時代、
大名の小笠原忠眞(おがさわらただまさ)が若八幡神社を参拝され、
この村の状況に胸を痛め、救済の施策を色々と施します。
その時、不吉な村名の「夏焼」を「夏吉」(なつよし)に改めたそうです。
これに夏羽の心も落ち着いたのか、今では豊かな田園が広がる土地となっています。
【鏡山大神社】
香春岳の麓の田園の中、
ちょど香春神社を挟んで若八幡神社の対面に、小さく盛り上がる丘があります。
そこにあるのは「鏡山大神社」です。
神功皇后はここに、いつものような「剣」や「武具」ではなく、自らの御魂を鎮めた「鏡」を奉納したそうです。
駆り立てられるように、激情に流されるように成された殺戮。
我に返った皇后の胸中に、夏羽兄妹に思う、何かが心に生まれた。
僕にはそう思われてならないのです。
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