青森と秋田の県境にある美しい湖「十和田湖」(とわだこ)は、日本の湖沼では12番目の広さを誇ります。
その神秘の湖には「龍神」が棲まうと云います。
十和田湖の中央に突き出した、陸続きの島が「十和田神社」の境内です。
入り口の鳥居の辺りから、すでに妖艶な気配が漂っています。
気がつくと、三白眼の狛犬が僕をじっと見つめていました。
一歩境内に足を踏み入れると、深い杉の杜に囲まれます。
威風堂々たる御神木。
杉の並木をしばらく歩いていきます。
岩を伝うように根をはる杉もあり、凄まじい生命力を感じます。
途中にあるちょっと大きめの石。
なんか気になりました。
やがて鳥居が見えてきます。
ここでは愛嬌のある狛犬が迎えてくれます。
青龍大権現にふさわしい手水舎。
身を清め、拝殿へと向かいます。
杉並木の先に、拝殿が見えました。
小ぶりではありますが、荘厳な拝殿です。
十和田神社は平安時代に、坂上田村麻呂が東夷征伐の折、日本武尊を祀ったのがはじまりです。
しかしこの十和田神社には「青龍大権現」にまつわる伝説が、奥之院に伝わっています。
昔、十和田に「八郎太郎」というマタギが住んでいました。
八郎太郎は湖の岩魚や水を喰らううちに八頭の大蛇となり、その後十和田湖に棲むようになり、湖を支配していたそうです。
ある時、熊野で修業をしていた「南祖坊」という修行僧が権現様から鉄の草鞋を授かります。
権現様は「この草鞋を履いて諸国を修行し、草鞋が切れたところを住処とせよ」と南祖坊に言い伝えます。
そしてその草鞋が切れたところが十和田湖でした。
十和田神社本殿の横に小さな社がありますが、
そこには鉄の草鞋が奉納されています。
さて境内から奥之院へと続く坂道を登ります。
かなりの急勾配です。
やがて大きな磐座が見えてきます。
永住の地を求めて十和田湖にたどり着いた南祖坊。
しかしその十和田湖にはすでに、八郎太郎が姿を変えた龍が住み着いていました。
そして住処をめぐり八郎太郎と南祖坊の間で激しい戦いになります。
八郎太郎は八つ頭の龍と変じ、南祖坊は法華経を唱え経文を投げつけ争います。
七日七晩の激闘の末、南祖坊が勝利します。
負けた八郎太郎は日本海の方へ逃げ、再び居住の地とした場所が八郎潟と呼ばれています。
そして勝利した南祖坊は十和田湖へ入水し龍へと姿を変えます
以降南祖坊は「青龍大権現」として祀られることになりました。
その南祖坊が入水した場所が、奥之院の先にある、鉄梯子を下りたところに「占場」として残っています。
ほぼ垂直に取り付けられた鉄梯子は、東北大震災以降、使用できなくなっています。
なので、今は上から眺めるか、観光船で外から眺めるかしかできません。
その湖面はとても綺麗な深いグリーンです。
ここは十和田湖でも最も水深が深いところだそうで、何だか引きずり込まれそうな、怖い雰囲気もあります。
遠くから眺めるくらいが、丁度良いのかもしれません。
なぜここが「占場」と呼ばれるのかと言うと、紙のこよりをここに沈めて、その沈み方で占うというのをやっていたからです。
今では「御前ヶ浜」で行うようになっています。
再び拝殿前を戻り、浜へと続く小道を歩きます。
ここは「天狗森」と呼ばれている場所のようです。
「乙女の像」が見えてきました。
「高森光太郎」の乙女の像です。
この像は夜になるといろいろ怪奇現象がある心霊スポットそしても有名です。
その先にあるのが「御前ヶ浜」。
美しい砂浜です。
沖には「兜島」「鎧島」が浮かんでいます。
これが「占場」で使うはずだった「おより紙」です。
縦にすっと沈めば大吉、
横向きに沈めば吉、
逆さに沈めば凶と言う具合です。
境内には「開運の小道」なるものもあります。
大きな岩山に沿って穴が開いており、それを祀っています。
「日ノ神」
「天ノ岩戸」
「金ノ神」
「山ノ神」
「火ノ神」
「風ノ神」と続きます。
開運の小道を抜けた御前ヶ浜には「恵比寿大黒島」がありました。
名の通り、島の上には「恵比寿神社」と「大黒神社」が建っています。
このあたりにすっと光が差し、なんだか神々しい雰囲気を放っていました。
これは僕の個人的な感想ですが、八郎太郎の変じた八頭の龍と南祖坊の話は、「八岐大蛇」の話を彷彿とさせました。
開運の小道に連なる洞穴は、出雲王と副王が、穂日らに拉致され枯死させられた洞穴を連想させます。
そして大黒は大国主、恵比寿は事代主の別の呼び名でもあります。
遠く離れた出雲と十和田湖に、隠された繋がりがあるように思われました。
何とも美しく、神秘的な十和田湖。
時間が許すなら、もっとゆっくり訪れてみたいスポットです。
回答ありがとうございます。写真を見た限りでは上陸できないのかなと思いましたが、神社がそこにあって御神体が祀られているのであればどなたか(十和田神社の宮司さん?)が管理しているはずと思ったので。検索しても詳しいことはわからず禁足地なのだとすれば、特別な意味があるということですから一体どんな目的があるのか興味をそそられます。
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そうですね、おそらく特別な何かがあったからこそ、そこが祀られているのだと思います。
恵比寿・大黒ときて連想されるのは、出雲の事代主・大国主となります。
古代の出雲王国では遺体は巨大な磐座周辺に埋葬し、また形の良い石を拝み墓としたとありますので、出雲由来の王家の墓かもしれません。
手前陸地側の祀られた洞穴群との関連も気になります。
https://omouhana.com/2019/05/01/出雲と蘇我王国/
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「恵比寿神社」と「大黒神社」にお参りすることはできるのでしょうか?
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こんにちは。
恵比寿神社と大黒神社は四方崖になっていますので、上陸はたぶん無理だと思います。
反対側が低くなっていますので、あるいは可能なのかもしれませんが、おそらく禁足地になっているのでは。
対岸から遥拝するのが正式な参拝になろうかと思います。
でも、気になりますよね!
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